世界初?ノーリングマッチを決行した大仁田厚 ドラゲーでも08年に鷹木信悟が体験

ノーリングマッチの風景(90年9月、奈良、東スポWeb)

【プロレス蔵出し写真館】2008年8月9日、ドラゴンゲートの後楽園ホール大会で、前代未聞のアクシデントが発生した。

この日、米国から届いたばかりのリングが、第1試合の最中にロープワークの衝撃で壊れてしまったのだ。リングの支柱の溶接部分が折れたため、ロープは緩み鉄柱1本が傾いた。

第1試合が終わると、壊れたリングをレスラー、スタッフ総出で撤収。岡村隆志社長は観客にノーリングマッチを提案すると、観衆が拍手で応じたためフロアにマットと板、リング用のスポンジを敷いて、その上からキャンバスを被せてガムテープで床に固定し、そこで試合が行われることになった。

構造上は普通のリングとほとんど変わりがないが、フロアに固定されているので弾まず、衝撃が逃げないという過酷な〝リング〟が完成した。

エースの鷹木信悟は第5試合でドラゴン・キッドと組み、BXBハルク&谷嵜なおき組と対戦。キッドが場外戦でステージ席からムーンサルトを見せれば、鷹木はキッドが支えるイスを踏み台にして谷嵜にレッグドロップ。大いに会場を盛り上げた。

鷹木は「特に戸惑いはなかった。でも、これならジーパン履いてくればよかった」と語ったが、この日をさかのぼること18年、ジーパンでノーリングマッチを行っていたのは大仁田厚だ。

今から31年前の1990年(平成2年)9月20日、FMWの奈良県立橿原体育館大会。この日は、気象庁の観測で平成に入って最強の台風の1つと言われた台風19号の影響を受け、選手が会場に着いたのは試合開始20分前の午後6時10分だった。しかし、なんとリングがまだ到着していなかった。

それでも会場を埋めた2257人(主催者発表)の観客はじっと試合が始まるのを待ち構えていた。午後7時にリング運搬バスから連絡が入ると、試合時間にリングが間に合わないことが判明。

リングを運搬するトラックは午前0時に八王子を出発したのだが、東名高速道路の御殿場―大井松田間が不通となり、大渋滞に巻き込まれていたのだ。選手を乗せたバスは午前5時に東京・大田区馬込を出発したが、選手はとっさの判断で名古屋から近鉄線に乗り換えていた。

10分後、大仁田は土下座し「今日は台風のためリングが間に合いません。ノーリングストリートファイトマッチに全試合、させていただきます」と説明すると、観客からは温かい拍手が送られた。

急きょ、体育館から拝借した2枚の体操用マットをリング中央に敷いてリングの代わりとし、全試合会場のどこでもファールできるエニウェアストリートマッチを採用。反則自由、勝敗はフォール、ギブアップ、KOのみで行われることが決まった。

選手たちは試合前「どうしよう」と悩んでいたが、第2試合に出場する女子プロレスの里美和は「ロープ飛ばされたらどうしよう…」的外れな小ボケをかましていた。

そして〝世界初〟と思われるノーリングマッチは、午後7時40分に第1試合のゴングが鳴った。

大仁田はメインに出場。ミスター・ポーゴ、ザ・グラジエーターが待つ体操用マットにジミー・バックランドと控室からダッシュで襲い掛かり、しょっぱなから客席になだれ込み乱闘を展開した。

大仁田の試合はノーリングでも、さして問題はなかった(敬称略)。

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