壮絶なイップス克服体験「死ぬほど練習した」 引退まで向き合い続けた“恐怖心”

元ヤクルトの村中恭兵氏【写真:荒川祐史】

元ヤクルト左腕・村中恭兵氏が経験「どんどん悪くなる一方でした」

プロアマ問わず、野球選手が突然襲われる「イップス」。発症のきっかけや症状の大小は様々で、選手生命を脅かすことも少なくない。元ヤクルト投手で、今季限りで現役を退いた村中恭兵氏も、NPB時代に苦しんだひとり。壮絶な克服過程を乗り越え、再起を果たした記憶を思い返す。

「わざとかなって思われるくらい、ありえないほど外れましたからね」

プロ10年目を迎えたころだった。右打者の外角を狙って左腕から投げた球は、その打者の背中に直撃した。プロの世界なら、たとえ制球ミスしても数十センチ。メートル単位でズレた球は、何よりも分かりやすい異変の知らせだった。「どんどん悪くなる一方でした」。地獄の始まりだった。

東海大甲府高から2005年の高校生ドラフト1巡目で入団。2010年に11勝、2012年に10勝を挙げた。30歳を前にして突如降りかかった制球難。「足がうまく動かなくて。リリースポイントが知らぬ間にずれてました」。前年の2014年に見舞われた腰の故障が原因だったと後になって気づいたが、当時はただ錯乱した。

結果的に1軍登板ゼロに終わった2015年は、想像を絶する日々だった。「いつ(イップスが)出るか分からない。投げるのがめちゃくちゃ怖かった」。2軍の室内練習場で、ネットに向かって5メートルの距離を投げることから始まった。「怖さがなくなったらちょっと離れて。それを延々とやってました」。治る保証はない、精神力との我慢比べは途方もなかった。

至って真面目に言う。「何球投げたか分からないくらい、練習は死ぬほどやりましたね」。距離を伸ばせたら、今度はネットの後ろに打者に立ってもらう。少しずつ、少しずつ恐怖心を取り除いていった。その年、チームは14年ぶりのリーグ優勝。全く力になれず戦力外を覚悟したが、再起の場を与えてもらった。

引退の寂しさもあるが反面「もう投げたくないっていう思いもある」と語る村中恭兵氏【写真:荒川祐史】

引退の寂しさ反面「もう投げたくないっていう思いもある」

翌2016年は主にリリーフとして52試合に登板。7勝3敗6ホールド、防御率3.90をマークした。ただ、“元凶”となった腰の状態は好転することなく、騙し騙しのマウンドでは長くは続かなかった。2018年オフに手術したものの、2019年は状態が戻らずに1軍登板なし。戦力外となった後は独立リーグなどで2年間現役を続け、この秋に引退を決断した。

発症してからも投げ続けた6年間。側から見れば綺麗さっぱり克服したように見えるかもしれないが、ゆっくりと首を横に振る。

「イップスになると、ずっとその意識は拭えない。少なからず、絶対にある。その度合いが大きいか小さいか、というだけ。一生、消えることはないです。その中で投げるしかないです」

最後の1球まで、頭の片隅には、制球を狂わす恐怖が居座っていた。屈する選手も少なくない中、村中氏は自身の胸中と折り合いをつけながら向き合ってきた。「いいのか悪いのか分かりませんが、諦めの悪さはすごいと思います」。不屈を貫いた自らを顧みて、穏やかに笑う。

現役引退に、もちろん寂しさはある。その一方で、安堵する気持ちがのぞくのも事実。「何だかんだ言って投げたいという思いはありますけど、もう投げたくないっていう思いもあります」。打者だけでなく、自分自身との戦いも、ようやく終わりを迎えた。(小西亮 / Ryo Konishi)

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