エリート金融マンだったのに、なぜ政治家に?!乙武洋匡が公明党・岡本三成氏に迫る!

選挙ドットコムでは、乙武洋匡氏をMCに迎え選挙や政治の情報をわかりやすくお伝えするYouTube番組「選挙ドットコムちゃんねる」を毎週更新中です。

今回は2020年11月27日に公開された対談の様子をご紹介。ゲストは公明党・岡本三成議員です。金融マン時代の話や政治家を志した経緯について伺いました。

 

政治家になる前は金融の世界にいた

2世議員がほとんどいないという公明党。各議員のバックグラウンドも様々なようです。シティバンクに7年、ゴールドマン・サックス(以下、GS)に15年と、計22年間金融の世界にいた岡本議員。

乙武氏は、「GSは高収入の極みだとみんな思っているはず。国会議員の収入は当時の半分じゃ済まないですよね?」と尋ねます。岡本議員は、「GSは社員に沢山給料を払う企業で、収益の7〜8割は社員の給料だと思う。ありがたい報酬を頂いた時もありました」と答えました。

乙武氏が、「GS時代に40歳で執行役員になったのは、かなり異例なんじゃないですか?」と尋ねると岡本議員は、「GSは大学院を卒業して入社すると新卒としてニューヨークで認められるが、私は同期で最初に役員になったグループの一人です」と答えました。

続けて乙武氏は、「執行役員への抜擢は、どういう部分が評価された結果だと思いますか?」と尋ねます。

岡本議員は、「GSという会社と私のカルチャーが合ったのだと思います。優秀な仲間・一流のお客様とのプロジェクトに対して全力で取り組むから、役員になるまでの15年間も毎日すごく楽しかった。GSはチームワーク重視だし、長期での利益を優先するから短期的な利益には目もくれない。

『お客様の期待を上回る結果を出す』という姿勢でプロジェクトに取り組み、文化祭をやっているような感じです。色々な人と評価を共有できたのが良かったです。GSでは年末になると360度評価が行われるが、『私は〇〇さんと一緒に働いたので〇〇さんのことを評価します』と言って勝手にみんなが手を挙げる。だから、私の評価も収入も未来のプロモーションも、チームのみんなが決めるのです」と話しました。

岡本議員は、GSの優れている点を更に紹介します。

「ネットワークがある会社は日本中どこにでも存在するが、ネットワークを活かしきれている会社はほとんどない。たとえば、私が東京でお客様からの依頼を頂いてスペインにいる同僚に相談した場合、翌日には完璧なリストがスペインから届きます。(スペインにいる同僚からしたら)それが収入面やプロモーションを評価してもらう一番の近道になる。GSは組織がすごく機能しています」と話しました。

公明党へ入党した経緯

岡本議員は2011年の夏頃に、公明党の幹部の方から「衆院選に挑戦しないか」と連絡が届いたのだそうです。

乙武氏が、「心の準備はできていたのですか?」と尋ねると岡本議員は、「全く準備できておらず、青天の霹靂でした。公明党の議員や職員とコミュニケーションをとることはあったし、彼らが政策を作る上で金融や世界経済について質問や相談を受けていたこともありましたが、まさか議員に挑戦しないかと話が来るとは思っていませんでした」と話しました。

続けて乙武氏は、「GSを辞めようと思った理由と議員をやってみようと思った理由は何だったのですか?」と尋ねます。

岡本議員は、「GSを辞めようというのは考えたことがなかったのですが、議員をやろうかなと思った理由は明確にあります。2001年の米国同時多発テロ事件の時、GSの本社ビルは倒壊した世界貿易センタービルの数ブロック離れたところに位置していました。2機目の飛行機は私の目の前でビルに突っ込んでいき、多くの人が亡くなる瞬間をみました。あの時、誰にぶつけたらいいのか分からないぐらいの怒りや、命を守るのは誰の責任なのかという思いなど、色んな思いがあった。

そして政治の重要性を物凄く認識しました。誰もが自分らしく生きられるような社会の土俵づくりをするのは政治の責任だから、自分に貢献できることがあったら貢献したいという気持ちがありました。そしてもう一つ、海外にいるからこそ分かる日本の良さがあり、『もったいないな』と思うところが沢山ありました」と話しました。

また、金融マンだったことも政治家を志す動機に関与しているのだそうです。

岡本議員は、「金融の世界には公的機関に移る人も沢山います。それまでマクロ経済の世界で生きてきた経験を世の中に還元したいという気持ちがある。たとえばアメリカの財務長官だったスティーブン・ムニューシンとは、ニューヨークで4年間一緒に働いていたし、同い年で仲の良かったマーク・カーニーは、イングランド銀行総裁を務めました。

世界にネットワークを持っている人が国政に携わることでシナジーが生まれ、今までの経験が政治の世界で役に立てるのではないかと思いました」と話しました。

 

根本にあるのは『大衆と共に』という気持ち

乙武氏は、「国会議員として一番熱を入れている分野は何ですか?」と尋ねます。

岡本議員は、「私はシングルイシューポリティシャン(単一論点の政治活動ばかりをする政治家)にはなりたくない。政治は総合的な活動だから、いくつか軸を持ちながらそれぞれの分野に必要なことを取り組んでいきたいのです。公明党立党の精神が『大衆とともに』です。

(結成当時の)昭和39年は、55年体制でイデオロギーがふたつ対立していて置き去りにされた民意がありました。私は中道ど真ん中でいきたいと思っています。中道は右と左で足して真ん中と誤解されることがあるが、『中』は中る(あたる)という意味。

道に中る(あたる)のが中道で、人間主義や生命尊厳主義というのが『道』であると私は思っています。何に力を入れるかの根本が現場目線・大衆目線であり、その中で経済政策や安全保障政策、外交、教育が大事だと思っています。私自身も教育の機会を与えてもらったから、ここまでこれた。色々な切り口はあるが、その根本にあるのは『大衆とともに』という気持ちです」と話しました。

乙武氏は、「アメリカ同時多発テロ事件のこともあり、命を守りたいという点に重きを置かれているのかなと印象を受けました」と投げかけます。

岡本議員は、「ビル倒壊後、砂煙の中を走って逃げたうちの一人が私で、生きているのは奇跡。私には目に焼きついて離れない光景があります。飛行機がビルにぶつかった後、ビルから火の手が上がっていた。ビルから飛び降りたら必ず命を落とすことが分かっているのに、暑さに耐えきれずに人が飛び降りていた。

あのような情景を目にしてしまうと『何か自分が役に立てるようなことがやりたい、命を守れるような取り組みがしたい』という気持ちになりました。その気持ちが、色々な政策を前に進める上で原点になっています」と話しました。

 

岡本三成氏プロフィール

1965年佐賀県生まれ。創価大学卒業後、シティバンクに入社。同社勤務時に世界9万人の行員の中から2名だけが選出される「フェニックス・アワード」を受賞。米国ケロッグ経営大学院にて経営学修士号を取得した後、ゴールドマン・サックス証券で勤務。2012年、公明党公認で衆院選に立候補し、初当選。以降当選を重ね、現在4期目を務める。公明党青年局次長、外務大臣政務官などを歴任。現在は公明党国際委員長代理、同党国土交通部会長などを務めている。

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