【おんなの目】 流れ去った一行

 茜さんとの電話を終え、さあ、書こうと座りなおし鉛筆を握ったら、さっきまで頭の中で閃いていた言葉が消えていた。素晴らしい一行だった。この一行からすらすらと沢山の実りあるものが引き出されると確信のある言葉だった。心躍らせた一行。その一行がなければ「おんなの目」が書けない。

 おお、これだと思い、原稿用紙約一枚半の「おんなの目」の升目を目に浮かべ、その一行を先頭に頭の中で架空の文章を並べた。書けたのだ。

 ああ、駄目だ! 忘れてしまった。欠片も思い出せない。目の前が真っ暗だ。大袈裟に聞こえるかもしれないが、浅学菲才の身には、こういう一瞬の一行に頼るしかないのだ。例えば、切手シートの台紙から切手を一枚剥がす時、上手く最初の角が捕まえられれば、後はスーと剥がれる。完璧な一枚の切手が手に入る。

 今朝の行動を最初からなぞろう。

 今日は雨かなと思いながら、灰色の雲を見た。2Bの鉛筆を三本。ナイフでカールした木屑を出しながら削った。ここで閃いたか? 立ち上がって机の角に膝をぶつけた時だったかな? いや、茜さんと電話している最中だったような気がしてきた。そうだ、彼女の言葉に触発されて思いついた一行だった。彼女にもう一度電話した。「もしもし、さっきの電話では何話したっけ?」

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