”造船所”と呼ばれ 人生ゆかりの船模型制作80年 長崎・伊王島の佐藤さん

旅客フェリーや巻き網漁船、貨物船など、佐藤さんが作ってきた模型の一部。佐藤さんが抱えているのは結婚記念に制作した「希望丸」=長崎市伊王島町1丁目

 作り続けて80年。長崎市の伊王島に暮らす佐藤郁雄さん(86)の自宅には、紙や流木で船を再現した自作のミニチュア模型が並ぶ。本土への渡海船、大海原に繰り出した巻き網船、憧れの大型クルーズ船-。どれも島に生まれ育った佐藤さんの人生と、縁が深い船ばかり。中学3年の春、同級生に贈られた言葉がある。「君は“造船所”だな」

  紙と流木で

 島にはほんの10年前まで本土とつながる橋はなく、船は「生命線」。幼い頃から渡海船が好きで、本土の繁華街や母の実家へ行くたびに、甲板へ出て海風に胸を躍らせた。本格的に模型を作り始めたのは小学3年の夏休み。画用紙や海岸で拾った流木で、船を仕立てた。作るごとに腕を上げ、友人にもプレゼントするようになった。
 中学卒業後は「船好き」が高じて、伊王島などと本土を結ぶ船会社に4年間務め、操機手としてエンジンも動かした。伊王島炭鉱に職を移した後も、石炭を運ぶ運搬船の模型などを作り鉱業所の文化祭に出品。落盤事故に巻き込まれて1年間入院した間にも、病床で模型作りに没頭した。

  設計図なし

 1960年に結婚。外国のクルーズ客船をモチーフに作った模型に「希望丸」と名付け、妻に贈った。「まさに人生の船出でしたね」と懐かしむ佐藤さん。今も大切に保管してある。
 炭鉱の閉山後も、工場や巻き網漁船などで働く傍ら、年に1隻は模型を作り続けた。定年退職後は自由な時間が増えて“造船”のペースが上がり、多い時で年に5、6隻作ることも。
 制作スタイルは子どもの頃からほぼ変わらない。既存の制作キットや設計図は使わず、船の写真集や長崎港で撮影した船の写真を見ながら、主にポスターの裏紙と流木で制作。船のタイプごとに基本的な構造は頭に入っているという。

今年制作し、伊王島文化祭にも出品する大型フェリー「はまゆう」の模型(手前)など。佐藤さんは、三菱重工長崎造船所で建造された船を模型にすることが多いという

  平和の船を

 「数え切れないほど」の模型を作ってきた佐藤さんだが、「軍艦」を作ったのは20代の頃の一度きりだ。9歳の時に長崎原爆に遭い、赤黒い原子雲や島に運ばれてきた負傷者を目撃。戦争がもたらす惨禍を知るからこそ、争いを想起させる船には食指が動かなかった。「平和じゃないと船は作れない」と静かに語る。
 今年は、三菱重工業長崎造船所で昨夏進水した大型フェリー「はまゆう」など3隻の模型が完成。31日に伊王島開発総合センターで開催される「伊王島文化祭」に出展する。
 自宅には今も50隻ほどの模型があり、妻には「置き場所がないからもう作らないで」とたしなめられる。年を重ね、模型作りからの「引退」も考え始めた。それでも「暇があったら作りたいね」といたずらっぽく笑う佐藤さん。“造船所”はまだまだ稼働しそうだ。


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