42歳で現役引退のアンソニー・デビッドソン。決断の理由と“トヨタ最終年に感じていたこと”

 WEC世界耐久選手権のLMP2クラスにJOTAから参戦し、今季最終戦のバーレーン8時間レースをもって、プロフェッショナル・ドライバーから引退することを発表しているアンソニー・デビッドソンは、20年以上にわたるキャリアを終え、プロのレースから離れて家族とより多くの時間を費やすのに「適切な時期」だと感じている。

 42歳のデビッドソンは最終戦のレースウイークを前にした10月31日、バーレーン8時間レースがフルタイムのドライバーとしての最終レースとなると発表していた。

 発表以来、自宅で過ごすより多くの時間を必要とすること、そしてプロとして競争することへの関心が低下していることなど、引退するという決断に至った背景をデビッドソンは説明している。

 スーパーアグリF1などを含むシングルシーターのキャリアの後、デビッドソンはスポーツカーへと転向し、2010〜2017年の間にプジョー、トヨタのファクトリーLMP1プログラムに加わっていた。2018年、フェルナンド・アロンソのトヨタGAZOO Racing加入に伴いレギュラーシートを失い、LMP2クラスに戦いの場を移していた。

 彼の主な功績には、セバスチャン・ブエミとともに2014年のWECタイトルを獲得したこと、そしてマルク・ジェネ/アレックス・ブルツとともに、2010年のモビール1セブリング12時間レースを制したことなどが挙げられる。

「自分がいま行っていることの他のすべては維持するが、プロとしてのレース・ドライビングはもうしない」とデビッドソンはSportscar365に対し語っている。

「僕らには年に6週末しか(WECのレースが)ないから、僕の人生やコミットメントの大部分を占めているわけではない。そこから離れるのは少し変な気分だけど、少々やりすぎたと感じている」

「10歳と8歳の小さな子どもが家にはいる。もっと家にいることの必要性と欲求は、このワーク・ライフバランスには合わなかった」

「いまは中学校を決めたりしなければいけない時期なので、もっと多くの時間、家にいるのがふさわしいと感じている。家族ともっと一緒にいたいんだ」

 デビッドソンは、レーシングドライバーとしてのキャリアを終えた後も、モータースポーツと関わり続けることを希望している。現在彼は、シミュレータードライバーとしてメルセデスと、TVアナリストとしてスカイ・スポーツとともに働いている。

「他の仕事が増え、WECの週末に取って代わるとは思わない」とデビッドソン。

「それらの他の仕事は、現在と同じままだと思う。たとえばメルセデスのためのシミュレーターや、スカイ・スポーツでの仕事だ。これ以上の仕事をすることはない。レースドライバーを辞めたからといって、必ずしも他の活動を拡大していく必要はない」

「3つのきちんとした仕事が進行中の現在、小さな家族と過ごす時間をやりくりしようとして、僕は過負荷の状態になっているように感じる。僕だけじゃなく、妻もとても大変だった」

「家でもっと多くの時間を過ごせることを願っている。将来に何が起こるかは分からないものだけど、レースを辞めたらもっと多くの時間を家で過ごすと、家族とは約束してきたんだ。だからいま、彼らはそれを楽しみにしているよ」

 プロとしてのキャリアは締め括るデビッドソンだが、“楽しむ”ためにレースに参加することは否定していない。彼はモータースポーツを楽しみ続けてはいるが、ハイレベルなチャンピオンシップへのコミットメントに伴い必要とされる物事には、もう魅力を感じていないという。

「楽しむためのレースはするかもしれないが、それはプロという文脈で、ではない」とデビッドソン。

「僕はJOTAに対し、テストドライブなどをする提案はした。それは、競争ではないからね」

「姉妹車(28号車)のストフェル・バンドーンや、トム・ブロンクビストのように、ライバルと戦うために必要なパフォーマンスを絞り出すことには、ちょっと燃え尽きてしまったんだと感じる。これらのシリアスなドライバーと対峙するには、腕まくりをして臨む必要がある」

「それは真剣な競争だ。LMP2でアマチュアやシルバーのドライバーとレースをすることは笑いの種だと思われるかもしれないが、僕はそれを軽く考えたことはない。僕は常にベストを尽くしたい」

「ここ(LMP2)に来るのは素晴らしいことだ。チームメイトとの友情が大好きだし、クルマを運転することも大好きだ」

「僕はもう、競争というものが好きではないんだ。それに気づいたとき、僕はこの場から離れなければいけないと思った」

 バーレーン8時間レースのイベント前記者会見においてデビッドソンは、2018年に新加入したフェルナンド・アロンソの代わりにトヨタのLMP1チームを離れ、LMP2へと移行したときは、レースへの愛情を取り戻す上で極めて重要な瞬間であったと述べた。

 彼は2018/19シーズンにドラゴンスピードからエントリーしたあと、JOTAから2シーズン、LMP2クラスに参戦してきた。

「その昔、デイビッド・クルサードが引退したとき、彼と話したのを覚えている」とデビッドソンは言う。

■LMP2への転向で取り戻した“愛”

2021年WEC第6戦 記者会見に臨むデビッドソン

「僕は彼にこう尋ねた。いつ引退するかというのを、どうやって知るのですか? 若いドライバーとして、まだやっていける。レーシングカーを運転したくないという状態になるなんて、想像もできないのですが、と」

「彼は僕に言ったんだ。『そう感じたときが、そのときだ』と」

「僕がそんなことを感じ始めたのが、トヨタにいた最後の年だったと思う。歳をとるほどに、人生はより複雑になるものだ。家族ができ、家でもっと多くの時間を過ごしたくなるものだ」

「すべての選択肢を検討し始め、人生にはレースよりももっと多くのものがあることに気付き始める。それは、これが単なるスポーツではないと認識することであり、となれば完全にもはや自分だけの世界ではない。当時は、そう感じ始めていた」

「それに加えて、トヨタにおけるキャリアの終わり頃には、詳しくは語れないことが他にもあって、このスポーツへの愛情が少し失われてきていた」

デビッドソンにとってトヨタ最終年となった2017年。2021年最終戦、奇しくもこのふたりが同じレースを最後に第一線から退くことに

 LMP2への転向にあたって、デビッドソンは、3シーズンにわたるコドライバーであるロベルト・ゴンザレスと、ドラゴンスピードのチーム代表であるエルトン・ジュリアンを重要人物として挙げた。

「もう一度楽しんでレースをするために、(LMP2を)やってみるべきだと感じた」とデビッドソン。

「僕はLMP2についてあまり多くを知らなかったが、それが楽しく、僅差の戦いであることは分かっていた。僕はその一部になりたかったし、多くのアマドライバーがそうしているのと同じように、もう一度レースをすることを楽しんできた」

 デビッドソンはLMP2でのキャリアにおいて、2019年にドラゴンスピードでスパを、JOTAで上海のレースを制している。翌年にはユナイテッド・オートスポーツのフィル・ハンソンとのスリリングな最終スティントのバトルの末、ル・マン24時間レースで2位フィニッシュを果たしている。

「僕は最高の時間を過ごした。レースがもたらしてくれるすべてのものを、もう一度愛せるようになった」とデビッドソンは振り返る。

「そのチャンスを与えてくれたのは、ロベルトとエルトンだ。再びサーキットに戻るだけでなく、よりリラックスしていること。それでも、最高の状態でドライビングできたように感じた」

「富士ではドラゴンスピードでポールポジションを獲得し、ル・マンではJOTAで2位になった。自分のベストの状態でドライビングできたと実感したし、だからこれで終わらせたいと思った」

「歳を重ねるにつれて徐々にパフォーマンスが落ちているなかで、辞めたくはなかった。若いドライバーのラップタイムに割り込んでいけるとまだ分かっているうちに、引退したかったんだ」

「僕は自分自身に正直でなければならなかった。トヨタ(を降りて)から3年が経った。正直言って、以前には想像もしなかった3年だ。僕はいま、僕が終わらせたかった形で幕を引くことができる」

最終レースとなる2021年WEC最終戦バーレーン、FP2のコースインを待つデビッドソンに対し、トヨタのスタッフから粋なメッセージが

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