コロナ禍で右往左往した日本人へのメッセージ! 『小林秀雄の「人生」論』が発売!

誰もが小林秀雄の名前を知っている。 しかし彼が一貫して追求していたものが何であったかを知る人はほとんどいない――。 近年でも関連書の出版が相次ぎ、 いったいいつまで読まれ続けるのかとも思われる小林について、 「それでも小林について語る理由」を明示した本が出版される。 『小林秀雄の「人生」論』 (浜崎洋介著、 2021年11月10日発売)。 「小林の名前は知ってる。 昔、 学校のテストや参考書で読まされた」という人は今でも多いだろう。 小林の文章は一見読めるようでいて、 しかし何が言いたいのか今ひとつわからない。 だから悪文だとか、 それを使った問題は悪問だ、 という意見もある。 でもこれは当たっていません。 なぜなら小林の関心事は、 じつは大きく見れば一つしかなかったからで、 それが読み取れれば、 しごくまっとうで、 深く納得されることだけ言っているのだ。 それは、 「人はどうすれば充実して生きられるのか」ということ。 人とは私たち、 つまり近現代以降に生きる日本人のこと。 「そんなに長いスパンで日本人を捉えていいのか?」という疑問はもっともですが、 考えてみましょう、 明治維新後は、 戦争を経ても私たちは根本的には変わっていない。 「西洋化」・「近代化」という基本は変化していないから。 そんな読者が「おお、 そうだ、 その通りだ」と納得してきたからこそ小林は、 昭和初期の登場以降、 1世紀近くにわたって読み継がれてきた。 では「充実して生きる」ことと「近代化した日本人」とはどんな関係があるのか。 それを説明するために、 本書の著者浜崎氏は、 小林秀雄の「接ぎ木と台木」という比喩を取り上げている。 それによると、 日本人は自分を完全に西洋と入れ替えたのではなく、 根っこのようなもの(台木)は変えずに、 上の部分だけを取り替えて「接ぎ木」したのだ、 つまり「台木=日本人が自然に身に着けた言葉や歴史」、 「接ぎ木=合理的で先進的な世界基準の西洋的理性」とを合わせた存在が、 近現代の日本人だということになる。 小林秀雄自身も西洋的な教養に深く身を浸している。 いまでも岩波文庫の『地獄の季節』(アルチュール・ランボー作)という文学史上に輝く詩集は小林訳。 またドストエフスキーやゴッホについて著作があり、 一方で日本の文学作品も現在進行形で批評し、 本居宣長の研究にも没頭した。 小林は、 いわば、 自分の「台木」と「接ぎ木」を深く意識しながら、 その両方を行き来しながら活動した、 きわめて現代的な知性だったのだ。 自分の中の「日本的なもの」と「西洋的なもの」との共存を自覚すること――それが、 近代の日本人が充実して生きるための第一歩であるということを、 小林秀雄は早くも、 27歳の批評デビュー時点で認識していた。 それから52年後の絶筆まで、 小林秀雄はこの認識をさまざまな表現で書いてきた。 身の丈を超えるような、 外来の立派な思想へ、 無理に自分を合わせようとしない。 といって、 やたらに日本の伝統とか、 古いものとかにしがみつこうともしない。 自分の「根っこ=台木」をよく知って、 そこから来る「直観」を信じる。 思い切ってまとめると、 そういうことになる。 小林秀雄の言いたかったことは、 本当はずいぶんシンプルだったのだ。 そのことを、 小林の同時代人は、 うすうす分かっていた。 だから、 文壇に異様なまでの存在感を発揮する「恐れられる存在」でありながら、 書くことはどこか優しく、 一般にも受け入れられ、 カリスマ的な人気を保っていた。 長らく、 日本人は「海外」と自分を比較して不安に陥ったり、 逆に傲慢になったりと、 「自立していない感じ」を露呈してきた。 それにはもっともな理由がある。 しかし、 あらゆることをよく見極めて、 自分の足下を見つめ、 そこから出てくる直観を信じて生きること――それこそが、 今でも私たちに必要なことであり、 それを半世紀にわたって主張し続けてきた小林秀雄が今も読まれ続けている理由かもしれない。 『小林秀雄の「人生」論』の著者・浜崎洋介氏は批評家であり、 批評の「始祖」を論じることにはいくらか勇気も必要でしたが、 コロナ禍の今こそ、 世に問う意義が大きいのではないかと、 長らく読んできた小林秀雄についての本を出すことになった。 硬派な浜崎氏にとって初めての「口述筆記」の新書であり、 分量的にも読みやすくなっている。 これを機に「あの難解だった文章が読めるようになる」喜びを味わってみよう。

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