猪木と激レア「ボディスラムマッチ」を繰り広げたキングコング・バンディ くりぃむ上田がツッコミに昇華

猪木をボディスラムで投げ捨てるバンディ(85年2月、大阪、東スポWeb)

【プロレス蔵出し写真館】「マッキーは元気? よろしく伝えてよ」。米ミネソタ州ミネアポリス行きの機内で偶然、隣席になった〝巨鯨〟キングコング・バンディは、私が東スポのカメラマンだと分かると、にこやかな表情で本紙記者を懐かしんだ。

WWF(現WWE)に参戦していたバンディは、ミネアポリスのメットセンターで行われたメインイベントでボビー・ヒーナンとタッグを組み、ハルク・ホーガン&リッキー・スティンボート組と対戦した。今から35年前の1986年(昭和61年)2月22日のこと。

バンディは〝まだ見ぬ強豪〟として前年の85年1月に初来日。3月にはWWFに初登場を果たすと、その後、新日本には2度来日したが、主戦場をWWFに移してからは日本の土を踏むことはなかった。

バンディは、初来日時にアントニオ猪木と「ボディスラムマッチ」という超レアな試合を行ったことがオールドファンの記憶に残っているだろう。

「フォールカウントは5でいい。そして俺をボディスラムで投げたら、イノキに1万5千ドル払おう」。バンディは来日早々、そう大胆不敵に猪木を挑発した。

身長196センチ、体重202キロのバンディは、アメリカで10カウントのハンディキャップマッチを何度もやっていて、ボディスラムで投げたら1万5千ドル払うという宣言は、いまだ一度も破られていないというふれ込みだった。試合前に力自慢のお客をリングに上げて挑戦を受け、一度も体が宙に浮いたことがないと自慢げに語った。

猪木は7日にこれを受託し、さらに、27日の長野・更埴大会で「こちらから、バンディに俺をボディスラムで投げたら1万5千ドル払ってやる」と逆提案。日本初の賞金1万5千ドル争奪(当時のレートで約390万円)「ボディスラムマッチ」が正式決定した。勝負とは別に、先にボディスラムで投げた方が賞金をゲットできるルールだ。

このボディスラムマッチが行われる前、30日の東京・福生大会で、猪木はバンディに6人タッグながらフォール負けを喫した。坂口征二、藤波辰巳(現・辰爾)と組みバンディ、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ワイルド・サモアン組と対戦。バンディに抱えられ、ブッチャーにタックルを浴びてサンドイッチ状態で挟まれ崩れ落ち、ボディプレスを食らい3カウントを奪われた。

猪木のピンフォール負けは80年7月25日、岡山・倉敷大会のタッグでのタイガー・ジェット・シン以来、5年ぶりだった。これで、シングル戦は否が応でも注目が集まった。

さて、2連戦行われた「ボディスラムマッチ」は、第1ラウンドが2月5日、名古屋・愛知県体育館で行われ、ゴング前にバンディが猪木をボディスラムで投げたが、これは認められず試合開始。バンディが持ち上げると猪木はヘッドシザースで切り返すなど、見ごたえある攻防を展開したが互いにボディスラムは不発。試合は猪木がリングアウト勝ちを収めた。

そして、翌6日の大阪府立体育会館の第2Rは見事にバンディがボディスラムを決め(写真)、賞金をゲットした。猪木は延髄斬りの2連発で試合には勝利し、溜飲を下げたのだった。

ところで、深夜のラジオ番組「くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン」で、「くりぃむしちゅー」の上田晋也が有田哲平に「勝手に1万円争奪って、キングコング・バンディと猪木のボディスラムマッチみたいになってっけどよー」と、この試合をネタにした得意のたとえツッコミが飛び出したことがあった。

オールドファンしか目にしてないだろうこの試合のたとえツッコミ。理解できたリスナーはどれくらいいただろうか…(敬称略)。

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