「村上春樹を読む」(20)『風の歌を聴け』から『1Q84』まで 村上春樹作品とカラス・その1

村上春樹が学んだ校舎の高みに留まっていた「カラス」

 この「村上春樹を読む」というコラムは、私が村上春樹作品を読むうちに気がついた物語の姿やディテールの形を具体的に列挙して、その「惑星直列」のような繋がりぶりを示し、それに対する私の考えを書いていくというものです。

 「気がついた」と言っても、1人の読者としての私の気づきにすぎませんし、その考えも1人の読者としての読みにすぎません。

 それでも、具体的な繋がりを挙げた後に、私の考えをいつも示してきました。

 でも今回のテーマは、以前から気になっていて、その具体例を「惑星直列」のように並べることができるのですが、でもその「惑星直列」の姿は何なのかついて、的確に自分の考えを述べることができないのです。しかし、どうしても気になる繋がりの形ですので、それを示して、このコラムの読者の人たちと一緒に考えていきたいと思います。

 今回の「惑星直列」、それは「カラス」です。村上春樹作品の中に一貫して、登場してくる「カラス」のことです。

 村上春樹と「カラス」の関係が、一番はっきり出てくるのは『海辺のカフカ』(2002年)でしょう。これはもう、よく知られたことですが、「カフカ」はチェコ語で「カラス」のこと。作家のフランツ・カフカの「カフカ」も「カラス」のことです。フランツ・カフカの父親ヘルマン・カフカが経営していたフランツ・カフカ商会のカラスのマークが『海辺のカフカ』の装丁にも使われていました。そして同作には「カラスと呼ばれる少年」が出てきます。

 でも、村上作品の中に出てくる「カラス」は、何も『海辺のカフカ』だけではないのです。例えば『1Q84』の中にもカラスは何度も登場します。BOOK2には、リーダー殺害後、隠れ家に逃避中の青豆のマンションに姿を見せます。

 「大きなカラスが出し抜けにベランダにやってきて、手すりにとまり、よく通る声で何度か短く鳴いた。青豆とカラスはしばらくのあいだ、ガラス窓越しにお互いの様子を観察していた」とあります。

 『1Q84』BOOK3では、作中小説『空気さなぎ』の作者である美少女作家・ふかえりのもとにカラスがやってきています。「カラスがやってくる」。1日に「いちどじゃなくなんどかやってくる」とふかえりは天吾に話しています。ふかえりは、そのカラスと会話が可能な人間として物語の中に存在していて、日々、彼女はカラスと意見交換をしているようです。

 そんな村上作品と「カラス」の関係について、考え出したのは、1つの具体的なきっかけがあります。私は2008年3月から、1年間「風の歌 村上春樹の物語世界」という企画記事を毎週、各新聞の文化面に連載しておりました。この連載では村上作品に登場する場所などを訪れ、その地に立って、作品について考えるということをしておりました。

 この取材の中で、村上春樹が学んだ高校にも行ったことがあります。ファンの常として、「ミーハー」そのもので、校門で記念撮影などをいたしました。この時は、ちょっと校舎に近づいた程度で、学校関係者への取材などは何もしなかったのですが、ふと見上げると、学校の校舎のてっぺんの塔のような高みに「カラス」が1羽とまって、私を見下ろしていたのです。

 「おいおい。村上作品のことを考えるなら、そんな校門で記念撮影なんかしてないで、オレのことを考えたらどうなんだ!?」

 いやいや、その時には“カラスが留まっているな”とただ思っていただけなのですが、このカラスを撮影して(今回の写真です)、何度か写真を眺めるうちに、そんな具合にカラスが話しかけていたのではないかと思うようになったのです。これが「カラス」と村上春樹作品の関係について、意識的に考えるようになった始まりです。

 他にも重要な例を挙げてみれば、『ねじまき鳥クロニクル』(1994年、95年)の「カラス」です。

 この『ねじまき鳥クロニクル』の第1部は「泥棒かささぎ編」と名づけられております。

 『泥棒かささぎ』は、ロッシーニのオペラで、序曲が有名ですね。そして『ねじまき鳥クロニクル』という大長編の冒頭は「台所でスパゲティーをゆでているときに、電話がかかってきた。僕はFM放送にあわせてロッシーニの『泥棒かささぎ』の序曲を口笛で吹いていた。スパゲティーをゆでるにはまずうってつけの音楽だった」という文章で始まっています。

 その『泥棒かささぎ』はこんな話です。裕福な小作農家の息子ジャンネットが戦争からまもなく帰還する場面から始まります。ジャンネットは召使いニネッタと恋仲ですが、家の女主人は息子とニネッタとの結婚に反対です。

 ニネッタは家財の扱いがいい加減で、先日もフォークが1本なくなったばかり。そして今度はスプーンがなくなって、ニネッタが泥棒で逮捕され裁判にかけられ、有罪となるのです。その過程で、村の権力者によるニネッタへの恋の横恋慕もからんで物語が展開していきますが、実は泥棒の犯人は「かささぎ」で、かささぎがフォークやスプーンなどを盗んで、教会の塔にある巣にため込んでいることがわかります。

 そのように、真犯人は「かささぎ」であることが分かって、ニネッタは救出され、彼女とジャンネットが結ばれるという話です。

 『ねじまき鳥クロニクル』という長編も、ある日、突然、妻が自分の前から失踪してしまう話です。何かの力で、とらわれの身となっている妻を、長い時間をかけて、最後に主人公が救出するという物語です。

 だからこそ、ロッシーニの『泥棒かささぎ』は、その物語にはぴったりの音楽なのでしょう。『ねじまき鳥クロニクル』第1部「泥棒かささぎ編」では、まだ妻は失踪していませんし、失踪は第2部「予言する鳥編」の冒頭ですので、妻の失踪と奪還を物語の中心と考えれば、それまでの序章として「『泥棒かささぎ』の序曲」が「うってつけの音楽だった」ということになるのでしょう。

 さて、その「かささぎ」ですが、カササギは「スズメ目カラス科」の鳥なのです。カラスよりも少し小さいですが、肩の羽根と腹の面とが白色であるほかは黒色で金属的な光沢のある鳥です。つまり「泥棒かささぎ」のカササギも「カラス」の仲間なのです。

 そして、今回、このコラムを「カラス」をテーマにして書きたいと思ったのに、もうひとつのきっかけがあります。

 中国文学者で、東大教授の藤井省三さんから『「レキシントンの幽霊」におけるアジア戦争の記憶』との論考を送ってもらい、それを読んだ時のことです。

 「レキシントンの幽霊」は、米国マサチューセッツ州ケンブリッジに2年ばかり住んだことがある語り手の「僕」(この語り手は作家なので、村上春樹に近い存在のようにも読めます)が体験した幽霊屋敷での話です。

 「僕」は、50歳すぎの建築家・ケイシーと知り合います。そのケイシーは30代半ばぐらいのピアノ調律師・ジェイミーと一緒に暮らしています。僕はケイシーが所有する古いジャズ・レコードの見事なコレクションに関心を抱いて、彼の家を訪ねるのです。

 そのケイシーの家はレキシントンにあり、ケンブリッジの「僕」の住まいから車で30分ぐらいのところにあります。そこで体験する幽霊譚です。

 さて、藤井省三さんの論は、この短編の中に秘められた日米戦争、およびアメリカの対アジア戦争の記憶というものを具体的かつ詳細に述べたものでした。

 少しだけ、藤井さんの論を紹介すれば、「レキシントンはアメリカ独立戦争において最初の銃声が放たれた土地」であり、それゆえか、「レキシントン」は太平洋戦争で活躍したアメリカ海軍航空母艦の名前にもつけられており、太平洋戦争初期には日本空母祥鳳を撃沈し、同翔鶴に大損害を与えたが、自らも日本軍艦載機の攻撃を受けて大火災を起こし、米軍駆逐艦の魚雷により処分されており、日本海軍が撃沈した最大のアメリカ空母であるのだそうです。

 その空母「レキシントン」の名前は43年2月就役の新空母に継承され、同空母は44年6月のサイパン攻撃などで活躍。戦後は訓練空母となり、村上春樹が米国に滞在中の1991年11月に退役しました。この空母レキシントンは映画『トラ・トラ・トラ!』(1970年)に出演して日本海軍空母「赤城」を演じ、映画『ミッドウェイ』(1976年)でもアメリカ海軍空母艦を演じているそうです。

 またケイシーと一緒に暮らすジェレミーの、その母親が住む「ウェスト・ヴァージニア」も日本海軍による真珠湾攻撃により大破した戦艦の名前でもあるのです。

 藤井さんは、これらの事実を挙げながら『「レキシントンの幽霊」におけるアジア戦争の記憶』を書いています。

 藤井さんの論の中で、私が興味をひかれたのは2隻目の空母「レキシントン」の愛称が「ブルー・ゴースト」であったことです。

 それを知って、「へえ……」と驚きました。この「村上春樹を読む」では村上作品の中に表れる色の問題を繰り返し、論じていますが、私は「青」(ブルー)は村上春樹の作品の中では「歴史」を表す色だと書いてきたので、「ブルー・ゴースト」の愛称に驚いたのです。

 私も藤井さんとは、別な角度から、この「レキシントンの幽霊」が「歴史」へのこだわりを抱いた作品ではないかと思ってきました。

 それは、いま記した色の問題です。

 「僕は四月の午後に緑色のフォルクスワーゲンに乗って」ケイシーの古いレキシントンの3階建ての家を訪れます。

 その家は「庭はまるで広い林のようになっており、四羽の青カケスたちが派手な鋭い声をあげながら、枝から枝へと順番に飛び移るのが見えた。ドライブウェイには新しいBMWのワゴンが停まっていた」と村上春樹は書いています。

 「青カケス」の「青」は歴史を表す色です。「四」という数字は村上春樹作品の聖なる霊数で、それは幽霊や霊的なもの、死や異界とつながったものを示しています。このことも繰り返し、コラム「村上春樹を読む」の連載の中で書いてきましたが、「四月」に僕がレキシントンに行くと、「四羽の青カケスたち」が派手な鋭い声をあげて迎えるのです。

 また、この短編には「僕」が幽霊と出会い「あれは幽霊なんだ」と思う場面がありますが、やがて「僕」は眠りこんでしまいます。そして、翌朝9時前に目を覚ますと「軒下で青カケスが鳴いて」いたりしているのです。

 そして、この時のBMWのワゴンの色も実はブルーです。同短編の最後に「ときどきレキシントンの幽霊を思い出す」とあって、「息を飲むほど立派なレコード・コレクションのことを。ジェレミーの弾くシューベルトと、玄関前に停まっている青いBMWワゴンのことを」という文章があるからです。

 ですから私も「レキシントンの幽霊」が「歴史」に関係しているらしいことは、分かっていたつもりでしたが、それが具体的にどのように関係しているのかという点について、つかみがたく感じていたのです。藤井さんの論考を読んで、それが「歴史の具体」として、私の中に入ってきたのです。

 「僕」がレキシントンのケイシーの家に行くときに乗っている車は「フォルクスワーゲン」であり、レキシントンのケイシーの家の前に停まっている車が「BMW」という両方がドイツの自動車であることも、ですからおそらく第2次世界大戦を意識したことではないか思われます。言葉遊びが好きな村上春樹のことですから、もしかしたら「レキシントン」には「レキシ(歴史)」という言葉がタイトルの中にも懸けられているのでしょうか…。いやいや、これは私の妄想でしょう。

 さてさて、藤井省三さんの論文で驚いたことが、もう1つあります。

 それはその文章の最後の言葉です。藤井さんは、紹介した、「僕」が幽霊に出会って、その翌朝、青カケスたちが鳴いていたことに触れて、こう書いています。

 「ところでレキシントンの古屋敷で悪夢から目覚めた「僕」が最初に聞くのは、青カケスの鳴き声である。青カケスとは英語でBlue Jay、それは『風の歌を聴け』から『羊をめぐる冒険』まで「僕」の良き理解者であった在日中国人、朝鮮戦争からベトナム戦争までを在日アメリカ軍基地で働きながら体験したあのジェイと同じ名前の鳥なのである」

 野球の大リーグで、唯一アメリカ以外のカナダ・トロントに本拠地を置くチームに「ブルージェイズ」というチームがあります。

 先日、日本のプロ野球・ソフトバンク入りが決まった。五十嵐亮太投手も一時、在籍したことがあるチームの名前が「ブルージェイズ」ですが、それが日本語では「青カケス」であり、村上春樹作品の出発点である「ジェイズ・バー」は「カケスのバー」なのかもしれないのです。もちろん「ジェイ」は単に「J」のことで、「ジェイズ・バー」は「J's Bar」と英語で書くのかもしれません。私も漠然と、そのように理解していました。

 でも藤井さんの指摘を受けて「カケス」について調べてみると、なんと、これがまた「スズメ目カラス科」の鳥なのです。広辞苑には「ハトよりやや小形。全体ぶどう色で翼に白と藍との美しい斑がある。尾は黒い。他の動物の音声や物音をまねることが巧み」などと記されています。

 「ジェイズ・バー」は、藤井さんも書いているように『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』の初期三部作に登場する海辺にあるバーの名前です。

 この「ジェイズ・バー」は「僕」も「鼠」も「左手の小指のない女の子」もみな集まる場所です。藤井さんも述べているように、この「ジェイズ・バー」の経営者である中国人の「ジェイ」はもともとは基地で働いていたのですが、彼はその仕事を1954年にやめ、基地の近くに初代の「ジェイズ・バー」を開きます。そしてヴェトナム戦争が激しくなってきた1963年に、僕たちの街、海辺の街に引っ越してくるのです。

 つまり藤井さんの指摘を受け止めて、その先を考えてみると「ジェイ」も「カラス」であり、「カフカ」も「カラス」なのですから、デビュー作『風の歌を聴け』の海に近くある、その「ジェイズ・バー」もまた『海辺のカフカ』なのです。

 『1Q84』のBOOK3で、死の床にある父親を天吾が、付き添って看病をしている場面にも「カラス」が出てきます。

 天吾が父の病室に入って、カーテンをあけ、窓を大きく開いて、気持ちのいい朝を迎えます。見ると、一羽のかもめが風に乗り、両脚を端正に折り畳み、松の防風林の上を滑空していきました。

 そして「くちばしの大きなカラスが一羽、水銀灯の上にとまって、あたりを用心深く見回しながら、さてこれから何をしようかと思案していた」と村上春樹は書いています。

 この時、父と天吾のいるところは海沿いの療養所です。つまり、その「カラス」もまた『海辺のカフカ』なのです。

 村上春樹がいかに一貫性をもって世界を書き続け、自分の物語を広げ続けてきているのかが、非常によく分かりますね。

 さて、村上春樹の作品の中にデビュー作『風の歌を聴け』から『1Q84』まで、一貫して登場してくる「カラス」の意味について、これからみなさんと一緒に、考えていきたいと思います。

 最後に、これは宣伝です。この「村上春樹を読む」のネット連載から『空想読解 なるほど、村上春樹』(共同通信社刊)という本が生まれました。連載の文章をアップした後も、テーマにしたことを、さらに考えて続けていて、その考えを受けて加筆、再編集したものです。読んでいただけたら嬉しいです。(共同通信編集委員・小山鉄郎)

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