「村上春樹を読む」(32) 再生の神話・聖杯伝説 T・S・エリオットをめぐって、その4

 

T・S・エリオット作、岩崎宗治訳『荒地』(岩波文庫)

 今年5月に「河合隼雄物語賞・学芸賞」創設を記念した、村上春樹の公開インタビューが京都で開かれました。私もそのトークを聴きに行きましたが、日本ではめったに公開の場での講演やトークをしない村上春樹が、それを引き受けたのは、2007年に亡くなった河合隼雄さんへの深い敬愛の念があったからでしょう。

 その河合隼雄さんとの対談本『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』(1996年)の中に次のように、自分の小説と聖杯伝説に触れたところがあります。

 「これまでのぼくの小説は、何かを求めるけれども、最後に求めるものが消えてしまうという一種の聖杯伝説という形をとることが多かったのです。ところが、『ねじまき鳥クロニクル』では「取り戻す」ということが、すごく大事なことになっていくのですね。これはぼく自身にとって変化だと思うんです」という言葉です。

 聖杯伝説は、前回も紹介しましたが、キリストが磔となった時に、その血を受けたとされる聖杯を探す騎士の物語です。この聖杯伝説は多くの物語を呑み込んで、中世の騎士道物語として、いろいろな話に発展していく伝説です。関連した物語として「アーサー王物語」や「トリスタンとイゾルデ」などの話が知られています。

 村上春樹は、もしかしたら聖杯伝説のような物語が好きなのかもしれません。紹介した発言などからも、そのような感覚を少し受け取ることができるかと思いますが、初期の作品をみても、例えば『1973年のピンボール』(1980年)の最後のほうに「もちろんそれで『アーサー王と円卓の騎士』のように『大団円』が来るわけではない。それはずっと先のことだ」という言葉があります。「円卓の騎士」とは、アーサー王物語においてアーサー王に仕えたとされる騎士たちです。

 ちなみに『1973年のピンボール』のこの部分は「馬が疲弊し、剣が折れ、鎧が錆びた時、僕はねこじゃらしが茂った草原に横になり、静かに風の音を聴こう」と続いていて、デビュー作『風の歌を聴け』(1979年)のタイトルと繋がるような表現となっています。そんな場面に『アーサー王と円卓の騎士』のことが出てくるのです。

 聖杯伝説というと、映画の「インディ・ジョーンズ シリーズ」などのイメージやゲームのことを思わせるのか、単純なストーリーの面白さだけを追求したものと思われがちです。村上春樹も何度か、聖杯伝説的な物語を書いているということで、批判めいた言説にさらされたこともありますが、でも、それは聖杯伝説などに関して、かなり単純な見方を示していて、村上春樹の物語をどこか性急に批判しているのではないかと思ってきました。

 聖杯伝説を引用した単純な冒険もの、ゲーム的なものが存在することは分かりますが、だからといって聖杯伝説のすべてをそのようなものとして考えるという姿勢には疑問を感じていたのです。(もちろん「インディ・ジョーンズ シリーズ」を批判しているわけではありません)

 なぜなら村上春樹の物語を読んでいると、そのデビュー作から一貫して、この世の在り方に対して、深い批判意識を持ちながら、常に我々が生きる、この社会の「再生」を強く希求するような力を感じてきたからです。

 村上春樹自身が語っているように、その作品が「一種の聖杯伝説という形」をとっていたとしても、でもそこで描かれる、この社会の「再生」を求めて、聖杯伝説が引用されているのではないかと読めるのです。

      ☆

 「夜には一人で本を読み、酒を飲んだ。毎日が同じような繰り返しだった。そうこうするうちにエリオットの詩とカウント・ベイシーの演奏で有名な四月がやってきた」

 ここ数回の「村上春樹を読む」は『ダンス・ダンス・ダンス』(1988年)に記された、この言葉を出発点にして、T・S・エリオットの詩集『荒地』(1922年)のことなどをめぐって、書いてきました。今回も村上春樹作品と聖杯伝説の関係について、この『荒地』を媒介項として、もう少し考えてみたいと思います。

 日本人の詩にとって「荒地」という言葉は二重の意味を持っています。一つは、もちろんエリオットの『荒地』という詩集です。そして、もう一つは、その『荒地』の詩に強く動かされた、中桐雅夫、鮎川信夫、北村太郎、田村隆一氏たちが、形成していった〈荒地派〉と呼ばれる詩人たちの詩のことです。

 〈荒地派〉の詩人たちは1938年8月号に載った『新領土』の上田保訳「死者の埋葬」を読んで、同人として『新領土』に加わり、並行して〈荒地グループ〉を作っていきます。この「死者の埋葬」が「四月は最も残酷な月」から始まっているエリオットの有名な『荒地』冒頭の詩です。

 そして戦後、その〈荒地グループ〉の詩人たちは、日本の戦後詩を代表するグループ〈荒地派〉を形成していくのです。

 私も田村隆一さんの詩が好きで、学生時代に田村隆一さんが講師で来るという詩のセミナーというものに「田村隆一を見るために」参加したこともありましたし、就職して文化部の文芸記者となった時には、鎌倉に田村隆一さんを早速、インタビュー取材に行きました。1986年10月に鮎川信夫さんが亡くなった時にも、すぐ田村隆一さんのところに電話をかけて話を聞き、追悼の談話記事を書いたことがあります。それほど〈荒地派〉の詩人たちの詩に対する思いを抱いていたということだと思います。

 そして、もちろんT・S・エリオットの『荒地』も読んでいましたが、それら〈荒地派〉の詩人の向こう側に、彼らの出発点となった『荒地』という詩集があるという感じで、私はエリオットの『荒地』を読んでいたのかもしれません。

 でも、2010年に岩崎宗治さんによる、T・S・エリオット『荒地』の新訳が、岩波文庫から出て、それを読んでちょっと驚いてしまいました。その驚きのことを書いてみたいと思います。

 この岩崎宗治訳『荒地』の巻末に、訳者による解説があって、戦後の日本の詩壇をリードした『新領土』の中の若い詩人グループ(つまり〈荒地派〉の詩人たち)の作品の特徴は「『焦点をほとんど故意に抹殺した散文的、記述的スタイル』(大岡信)であった。論理性を排除した〈荒地派〉の詩の文体は、『昭和十年代の現実に対する拒否であり、それからの主観的分離の宣言だった。…言葉の論理性の破壊は、現実否認の端的な表明だった』(同)」とあります。

 そして「論理性を剥奪された言葉による詩世界は、言いかえれば『接続詞のない世界』(深瀬基寛)であり、つまりエリオットの『荒地』の文体の、彼らなりの模倣、あえて言えばエリオットの『荒地』の「誤読」であった」と記されていました。

 この解説で岩崎宗治さんは、〈荒地派〉の詩人たちはエリオットの『荒地』の「誤読」から生まれたとまで言っているのです。〈荒地派〉は戦後の日本詩を代表する人たちですから、戦後の日本詩はエリオット『荒地』の誤読から始まったと記してあるわけです。

 さらにその岩波文庫には訳者による「あとがき」というものも付いていて、そこに加藤周一さんの言葉として「西洋の詩の翻訳が現代の日本の詩の大混乱の一因ではないか、とりわけエリオットの『荒地』の日本語訳は『詩というものについての誤解の種(たね)をまきちらした』のではないか」と言っていることを紹介しています。

 さて、以上書いてきたことが、この「村上春樹を読む」というコラムに、どのようにつながっていくのかという問題です。

 それは〈荒地派〉の「あえて言えばエリオットの『荒地』の『誤読』であった」という岩崎さんの指摘と関係するところなのです。岩崎さんは「『荒地』全体の主題的枠組であるフレーザー/ウェストン的テーマは注目されず、いわゆる〈神話的方法〉も〈並置〉も視野に入っていなかった」〈荒地派〉の読み方を指摘しています。

 つまり〈荒地派〉の詩人にとって、「彼らの「荒地」とはすなわち第I部「死者の埋葬」だった」と記してあります。それゆえに『荒地』全体の主題的枠組であるフレーザー/ウェストン的テーマのほうが見落とされたままだったと岩崎宗治さんは述べているのです。

 これまでも紹介してきましたが、『荒地』は雑誌発表当初から難解な詩として知られたようで、単行本にする際、エリオットによる自注がつけられ、ようやくその意図するところの一部分が著者により明らかにされたという詩集です。そのエリオットの自注の冒頭にジェシー・L・ウェストン女史の『祭祀からロマンスへ』(1920年)とフレーザーの『金枝篇』の2冊から、この詩集が着想を得ていることが記されています。このようにエリオット自身が書いているテーマが見落とされてきたと岩崎宗治さんは言うのです。

 そして、ウェストン女史の『祭祀からロマンスへ』とは聖杯伝説に関する研究なのです。T・S・エリオットの『荒地』という題名は、この「聖杯伝説」から来ています。キリストが磔となった際に、その血を受けたとされる聖杯が見失われ、その聖杯を探す騎士の物語が聖杯伝説。そして〈聖杯の城〉の王の国土は〈荒地〉で、騎士たちは、ある問いを正しく問うことによって、生命力の衰えた王と荒廃した国土を再生させるとされています。その国の王は〈漁夫王〉と呼ばれています。それは太古の生命のシンボルである「魚」と結びつけられているからです。

 キリスト教では「魚」はキリストの象徴ですが、『祭祀からロマンスへ』では、キリスト教よりも遙か以前に「魚が太古の生命のシンボル」であったことが非常に多くの例を挙げながら述べられていますし、ケルトの民間伝承という解釈も根拠としがたいことが詳細に記されています。例えば、インド神話の人類の始祖であるマヌが水の中にいる「一匹の稚魚」を助けたことにより、宇宙の大洪水からマヌを救ってやると言われること。また仏教でも「魚」や「漁師」のシンボルが自由に使われていることなども述べているのです。

 つまり「魚」、そして「漁師」という肩書は「最初期の時代から、特に生命の起源とその持続とに関連をもっていると考えられていた神々とかかわりがあったと確実に主張することができる」と同書で述べられています。

 そして「魚」をめぐるシンボルのそもそもの出所は「すべての生命は水から由来するという信仰におそらく見出されるはずである」と記されており、アーリア人の祖先の考察からは「雨であれ川であれ、水を与えるか与えないかは神の責任であり、水の不断の供給は、あの規則正しい自然の繰り返しにとって大切な条件であった」とも書かれているのです。

 さらに『祭祀からロマンスへ』の序論には、T・S・エリオットが『荒地』の自注に記したフレーザーについても「数年前、J・G・フレーザー卿の画期的な著書『金枝篇』をはじめて研究した際、わたしは聖杯物語のいくつの特徴とそこに叙述されている自然崇拝の特異な細部との間にみられる類似性に強い印象をうけた」と記されてもいます。

 あまり長々しい引用、紹介はかえって伝わりません。ですから『祭祀からロマンスへ』についてはこのくらいにいたしますが、『荒地』の新訳の解説の中で岩崎宗治さんは日本の〈荒地派〉に対して「重ねて言えば、〈荒地派〉の詩人たちにとって、『荒地』とは言葉の論理の否定であり、現実拒否の虚無と絶望であった。エリオットの『荒地』の荒廃のイメージを、〈荒地派〉の詩人たちは戦後日本の〈荒廃〉と重ねて見ていた」と記し、さらにその訳注の部分では、これらの言葉とは対照的にエリオットの「『荒地』は一見、言葉とイメージの自由連想的な集合とも見えるが、「聖杯伝説」と「再生神話」を軸に解読すれば、そこに一貫した「意味」を読みとることができる」と述べてもいるのです。

 このコラムは「村上春樹を読む」という題名ですので、ここで村上春樹作品のほうに戻らなくてはなりません。私は岩崎宗治訳で『荒地』をどう読むかということを教えられて、そこからウェストン女史の『祭祀からロマンスへ』を読んだのですが、そのように「聖杯伝説」を「再生神話」の中に置いて読んでみると、村上春樹作品の中の「聖杯伝説」もやはり「再生の神話的な物語」として、強く意識されているのではないかと思えてくるのです。

 例えば、『羊をめぐる冒険』(1982年)では、猫に「いわし」という「魚」の名前がつけられました。すると、年取って、今にも死んでしまいそうだった「いわし」が、物語の最後には、まるまると太った猫として「再生」しているのです。

 少し戻れば、その猫が黒服の車の運転手によって「いわし」と名づけられた時、その名前について、「悪くないな」と「僕」が思うのですが、横にいるガールフレンドに「どう思う?」と訊ねてみると、彼女は「悪くないわ」「なんだか天地創造みたいね」と同意するのです。それに対して「僕」も「ここにいわしあれ」と言って、応えています。

 ここで、猫への「いわし」という「魚」の命名に対して、そこに神話的な意味を明らかに意識して村上春樹は書いていると思います。

 『ねじまき鳥クロニクル』の冒頭で行方不明となった猫の「ワタヤ・ノボル」が、長い物語の第3部で「サワラ」と名づけられるのも「魚」偏に「春」を加えた「鰆」(さわら)が、自分のもとから去ってしまった妻を取り戻す「再生」の予告を秘めた命名なのでしょう。サワラは瀬戸内では、春に産卵のために外海から入ってくる「魚」です。瀬戸内海に産卵による「再生」という春を告げる「魚」が「サワラ」です。

 また「すべての生命は水から由来する」という視点から、村上春樹を読んでみると、デビュー作『風の歌を聴け』の中で「僕」と「鼠」が初めて出会った時、2人でビールを半ダースばかり買って、海まで歩き、砂浜に寝転んで、それらを全部飲み、海を眺める場面があります。「俺のことは鼠って呼んでくれ」と鼠が言う場面です。

 「僕たち」は堤防にもたれ、1時間ばかり眠るのですが「目が覚めた時、一種異様なばかりの生命力が僕の体中にみなぎっていた。不思議な気分だった」と思います。「100キロだって走れる」と「僕」は「鼠」に言い、「俺もさ」と「鼠」が言います。ここにも「海」と「水」による「再生」の力を村上春樹は意識的に描いていると私は思います。

 さらに『羊をめぐる冒険』では、3代目となった「ジェイズ・バー」を「僕」が訪れた後、川沿いの道を歩く場面があるのですが、そこにこんなことが書かれています。

 「川沿いの道は僕の好きな道だった。水の流れとともに僕は歩く。そして歩きながら、川の息づかいを感じる。彼らは生きているのだ。彼らこそ街を作ったのだ。何万年という歳月をかけて彼らは山を崩し、土を運び、海を埋め、そこに木々を繁らせたのだ」

 ここにも太古からの、神話時代からの「水」や「川」の力が意識的に記されているのではないかと、私は思うのです。

 こうやって考えていくと『羊をめぐる冒険』の「僕」とガールフレンドが北海道で泊まるホテルが、なぜ「いるかホテル」(ドルフィン・ホテル)なのか、「鼠」と「僕」が再会する土地が、なぜ「十二滝町」なのかということが、「海」や「川」「水」との関連性を持って、私に迫ってくるのです。そして『海辺のカフカ』(2002年)という物語の題名も同様です。

 以上のことは、エリオットの『荒地』と村上春樹作品との関係を、岩崎宗治さんの『荒地』の紹介やウェストン女史の『祭祀からロマンスへ』を通して、その「聖杯伝説」や「魚」「水」の力を媒介にして、私が妄想していることです。でも、それらの視点を通して読み返してみると、村上春樹作品から『荒地』と響きあうものを私は強く感じるのです。

 『1Q84』(2009年、2010年)を例にとって、より具体的に紹介してみましょう。まずそのBook2には、エリオットが『荒地』の自注の冒頭に触れたフレイザーの『金枝篇』のことが出てきます。女主人公の「青豆」が「リーダー」と対決している場面で、「フレイザーの『金枝篇』を読んだことは?」と「リーダー」が「青豆」に問います。「ありません」と「青豆」が言うと、「リーダー」は「興味深い本だ」と言って、その魅力を話し出していきます。

 さらに前回、『1973年のピンボール』(1980年)の中で「漁師」が重要な場面で出てくることを紹介しましたが、この『1Q84』にも何回か「漁師」のことが出てきます。1つはBook2の中で、男主人公の「天吾」が「青豆」のことを思い出す場面です。「天吾」が記憶を掘り起こしてみる場面は「二人のまわりにあったものごとについて、漁師が網を引くように柔らかな泥底をさらった」と記されています。

 そして、まっすぐに「天吾」の顔を見ていた「青豆」の視線を彼は思い出すのです。その「青豆」の一対の瞳は「透き通っていながら、底が見えないくらい深い泉のようだ」と記されているのです。「瞳」が「深い泉」のようだというのは、それほど特異な表現ではありませんが、その「深い泉」という言葉も「漁師」との組み合わせで、記されていることを考えると、そこに「水」の「再生」の力を感じないわけにいかないのです。

 加えて、Book3では、「天吾」が父親の入院している海沿いの病院を訪れ、そこの看護婦「安達クミ」と一晩を過ごす場面があります。

 その「安達クミ」は「うちのお父さんは漁師だったの」と「天吾」に言います。すると「天吾」は「うちの父親も漁師だったらよかったのかもしれない」と思うのです。彼女が「どうしてそう思うの?」と問うても、「天吾」は「どうしてだろう」「ただふとそんな気がしたんだ」と言います。「天吾くんとしてはお父さんが漁師だった方が受け入れやすかったのかな?」と「安達クミ」に言われて、「天吾」は子供の自分が「父親と一緒に漁船に乗っている光景を想像した」りしているのです。

 この奇妙なやりとりも、そこに『祭祀からロマンスへ』で指摘された「漁夫王」「漁師」「再生」というものを置いてみれば、2人の会話をしっかり受け取ることができると思います。

 実は、これらのやりとりは「天吾」と「安達クミ」が一夜を一緒に過ごした後の日の会話ですが、その一晩をともに過ごした夜には、「安達クミ」はベッドの中で、両腕を天吾の首にまわして、「私は再生したんだよ」と言います。「天吾」が「君は再生した」と言うと、「だって一度死んでしまったから」と彼女が言い、「君は一度死んでしまった」と「天吾」は繰り返すのです。

 このやりとりも「漁師」以上に、意味のつかみがたいものです。でも、そこに次のような言葉を置いてみたらどうでしょう。

 「祭祀の残存した、かつ認知されたさまざまな形式を考慮するならば、わたしたちは最初期の、混交されることのもっとも少ない聖杯物語の版本の中心人物は死者であり、探求者の任務は彼の生命を回復させることであると判断してもいいのではないだろうか」

 これもウェストン女史の『祭祀からロマンスへ』に記されている言葉です。これらの言葉の横に「私は再生したんだよ」「だって一度死んでしまったから」という安達クミの言葉や「君は再生した」「君は一度死んでしまった」という「天吾」の言葉を置いてみると、「聖杯伝説」と、その背後にある「再生神話」の言葉のように、私には響いて、強く迫ってくるのです。

 さらにこんな場面もあります。

 『1Q84』Book2では、「青豆」のほうの物語で「すごい雷」が鳴り、「雨もすごい」状態となり、地下鉄も構内に水が流れ込んで銀座線と丸ノ内線が一時運転が中止しています。さらに「天吾」の物語のほうでも雷鳴が窓ガラスを激しく震わせる中、「天吾」と「ふかえり」が交わるのです。

 日本の〈荒地派〉の詩人について、岩崎宗治さんは「彼らの「荒地」とはすなわち第I部「死者の埋葬」だった」と指摘しましたが、そのエリオットの『荒地』の最後の第5部は「雷の言ったこと」です。そこでは雷が鳴り響く中、「DA」「ダッタ」―与えよ。「DA」「ダヤヅワム」―相憐れめ。「DA」「ダミヤタ」―己を制せよ。

 というような詩句が記されています。稲妻が閃き、雨を含んだ風が来て、「DA」という雷鳴が「与えよ」「相憐れめ」「己を制せよ」と3度とどろきます。

 「神々の復活は〈荒地〉に生命を甦らせる救いの道を啓示した」と岩崎宗治さんの訳注にあります。さらに、その後には「ぼくは岸辺に坐って/釣りをしていた」とあります。「ぼく」は神話の〈漁夫王〉になって、釣りをしながら自らを死にゆだねる覚悟をし、平安を祈るのです。

 そして『1Q84』では、この雷鳴の中での「天吾」と「ふかえり」との交わり、さらに「青豆」が「リーダー」と対決して「リーダー」を殺害することを通して、洪水のような「水」が満ち、「青豆」が「天吾」との子を身ごもるという展開となっています。

 ここに「青豆」と「天吾」の「再生」があるとは言えないでしょうか。瀬戸内海に春を告げる魚・サワラの産卵のように。

 またまた、あまりに長いコラムになってしまったので、このあたりで終わりにいたします。なお、ジェシー・L・ウェストン『祭祀からロマンスへ』の引用は、丸小哲雄訳に従いました。(共同通信編集委員・小山鉄郎)

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