「村上春樹を読む」(31)『鼠』と死者、『猫』と魚  T・S・エリオットをめぐって、その3

『風の歌を聴け』(講談社文庫)

 村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』(1979年)に「鼠」という「僕」の友人が出てきます。

 「金持ちなんて・みんな・糞くらえさ。」

 「鼠」がカウンターに両手をついたまま「僕」に向って憂鬱そうに、そうどなる場面で、この物語は動き出すと言ってもいいです。「僕」と「鼠」は「ジェイズ・バー」のカウンターに隣りあって腰かけていて、ビールを飲んでいたのです。

 その「僕」と「鼠」は2作目の『1973年のピンボール』(1980年)や第3作の『羊をめぐる冒険』(1982年)にも共通して登場してきます。そのため、この「鼠」の登場する『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』は村上春樹作品の中で、初期3部作と呼ばれています。

 そして、この「鼠」をめぐる作品を書いた村上春樹は、デビュー作『風の歌を聴け』を書いた時、「ピーター・キャット」という名のジャズ喫茶の店主でした。つまり「猫」の名前を持ったジャズ喫茶店主が「鼠」の話を書いたのです。

 この「猫」と「鼠」の関係はどうなっているのでしょうか。「猫」と「鼠」がペアであることは、世界の常識かと思いますが(また「猫」と「犬」もペアであるかとも思います)、村上春樹作品の中で、「猫」と「鼠」の関係はあまり詳しく論じられていないのではないかと感じています。今回の「村上春樹を読む」では、この村上春樹作品の中での「猫」と「鼠」の問題を考えてみたいと思います。

 まず、その入り口として『風の歌を聴け』から初期3部作の中での「猫」と「鼠」の関係について考えてみましょう。清新な風が吹き抜けていくような、村上春樹のこのデビュー作を愛する読者は多いのですが、普通に読んだだけでは、登場人物として出てくる「鼠」の印象が強烈すぎて、「さて、『猫』が出てきたっけ?」という感想かもしれません。

 私も何回か読むうちに「猫」のことがちゃんと書かれていることに気がつきました。同作中の「猫」について、『風の歌を聴け』を好きな人が、よく指摘するのは「僕」が左手の小指がない女の子の家でレコードを聴きながら、食事をしている場面の「猫」の話です。

 彼女は「僕」の大学と東京での生活について主に質問をするのですが、そこで「僕」は「猫」を使った実験の話やデモやストライキの話をします。でも「猫」の話では〈もちろん殺したりはしない〉と嘘をついたようです。〈主に心理面での実験なんだ〉と。

 (しかし本当のところ僕は二カ月の間に36匹もの大小の猫を殺した)と心の内が書いてあります。

 「僕」は「生物学」を専攻しているからかもしれませんが、ちょっと残酷な話なので、この「猫」の話を覚えている人もかなりいます。

 でも「猫」と「鼠」の関係が直接語られる、こんな場面もあります。

 「小さい頃、僕はひどく無口な少年だった」という言葉で書き出されている章なのですが、両親は心配して、「僕」を知り合いの精神科医に連れていき、そこで「僕」がその医者とフリートーキングをするという場面です。

 医者は「猫について何でもいいからしゃべってごらん。」と言います。「僕」は考えるふりをして首をグルグルと回して、「四つ足の動物です。」と話します。

 「象だってそうだよ。」と医者が言うと「ずっと小さい。」と「僕」は答えます。

 さらに「それから?」と医者に問われると、「僕」は「家庭で飼われていて、気が向くと鼠を殺す。」と答えるのです。

 ここでは「猫」が「鼠」を殺すことが、「僕」によって話されているのです。

 「家庭で飼われていて、気が向くと鼠を殺す。」と「僕」が答えて、ほどなく医者とのフリートーキングは終わります。

 医者は「僕」との対話の中で「文明とは伝達である」と言っていたのですが、医師とのフリートーキングが終わると、それに続いて「医者の言ったことは正しい。文明とは伝達である。表現し、伝達すべきことが失くなった時、文明は終る。パチン……OFF」という文章が記されています。つまり「猫」は「家庭で飼われていて、気が向くと鼠を殺す。」というのが、「僕」の「表現し、伝達すべきこと」だったのでしょう。

 そして、もう1カ所、『風の歌を聴け』には重要な「猫」についての記述があります。

 同作にデレク・ハートフィールドという架空と思われる作家が登場します。冒頭近く、その作家について「僕は文章についての多くをデレク・ハートフィールドに学んだ。殆んど全部、というべきかもしれない」ということが書かれているのですが、最後にデレク・ハートフィールドについて、また触れて、この作品は終わっています。それは「ハートフィールドは実に多くのものを憎んだ。郵便局、ハイスクール、出版社、人参、女、犬、……数え上げればキリがない。しかし彼が好んだものは三つしかない。銃と猫と母親の焼いたクッキーである」という言葉です。

 『風の歌を聴け』では、この3つの場面の「猫」が重要ではないかと私は思っています。

 つまり「僕」が、2カ月の間に36匹もの猫を殺したこと。「僕」が猫は「家庭で飼われていて、気が向くと鼠を殺す。」と言ったこと。そして「僕」が文章について、殆んど全部を学んだというデレク・ハートフィールドが好んだ3つのものの中に「猫」が挙げられていること―です。でも少しだけ、加えておけばハートフィールドが憎んだ多くのものの例示の最後に「犬」が挙げられていることも、見逃せないと思います。

 このように『風の歌を聴け』は、ただ「鼠」という友人が登場して物語が展開していくだけでなく、前面には出ないけれど、「猫」に関して十分な注意が払われて作品が書かれているのです。ちゃんと「ピーター・キャット」という「猫」のジャズ喫茶店主によって書かれた小説になっているのです。

 でも確かに、このデビュー作『風の歌を聴け』に登場する3つの「猫」の場面では、やはり「僕は二カ月の間に36匹もの大小の猫を殺した」という言葉が印象的でしょうか。その猫殺しの話は、その後の村上春樹作品を知る者にとっては、『海辺のカフカ』で猫殺しマニアのジョニー・ウォーカーが、残酷に猫を殺していく、あの場面を思い出す人も多いでしょう。

 あの場面ほどではありませんが、2作目の『1973年のピンボール』にも「猫」のことは出てきます。「僕」は友人と東京で翻訳を専門とする小さな事務所を開いていますが、昼休みに外で食事をして、事務所に帰る途中、ペットショップで、猫と遊んでいます。とても人なつっこい猫が「冷たい鼻先を僕の唇に押しつけて」きたりもします。

 でも、この『1973年のピンボール』で、一番印象的な「猫」についての場面は次のようなところでしょう。

 それは主人公たちが通う「ジェイズ・バー」を「鼠」が閉店後に訪れて、バーテンのジェイと話をするところです。

 「鼠」がジェイに「一人暮し?」と尋ねると「ああ」とジェイが応えた後、「猫が一匹だけいるよ」と言います。「年とった猫でね、でもまあ話し相手にはなる」とジェイが話すと、「話すのかい?」と「鼠」が聞くのです。

 ジェイは何度か肯いて「ああ、もう長いつきあいだから気心は知れてるんだ。あたしにも猫の気持はわかるし、猫にもあたしの気持はわかる」と言います。

 この辺りも『海辺のカフカ』で「猫」と話せるナカタさんや、最後に「猫」と話せるようになる星野青年と通じていくところがありますね。村上春樹がデビュー以来、自分の作品世界を変えることなく、その作品世界を広げ続けてきたことが、こんな何気ないやりとりからも分かると思います。

 さて、その「鼠」との会話の中で、ジェイは自分の話相手の「猫」が「片手」であることを話します。つまり4年ばかり前、「猫」が血まみれになって、家に戻ってきます。「猫」の手ひらがママレードみたいにぐしゃぐしゃに潰れていたのです。最初は車にでも轢かれたのかともジェイは思いましたが、もっとひどい潰れかたでした。「ちょうどね、万力にかけられたような具合だったね。まるっきりのペシャンコさ。誰かが悪戯したのかもしれない」とジェイが言うのです。

 さらに、「そうさ、猫の手を潰す必要なんて何処にもない。とてもおとなしい猫だし、悪いことなんて何もしやしないんだ。それに猫の手を潰したからって誰が得するわけでもない。無意味だし、ひどすぎる。でもね、世の中にはそんな風な理由もない悪意が山とあるんだよ」とジェイが言います。

 それを聞いて、「鼠」が「俺にはどうもわからないよ」とつぶやきます。

 しばらくして、2人の会話が終わり、「鼠」が帰ろうとします。微笑んで立ち上がり、ごちそうさま、と言い、さらに「家まで車で送ろう」と言うのです。でも、家が近いし、歩くのが好きなジェイは、それを断ります。

 「それじゃおやすみ。猫によろしくね」

 と言って、「鼠」が帰っていきます。

 『1973年のピンボール』を何回目かに読み返していた時、ここまできて、爆笑してしまいました。だってこの場面、「鼠」が「猫」によろしくね、と言っているのですから。

 この「猫」に対する悪意に満ちた残虐な行為の話は『風の歌を聴け』の「僕は二カ月の間に36匹もの大小の猫を殺した」や『海辺のカフカ』のジョニー・ウォーカーの猫殺しの場面につながっていくものでしょう。

 『1973年のピンボール』の最後には「鼠」が「ジェイズ・バー」を訪れて、ジェイに「街を出ることにするよ」と語る場面がありますが、これも「猫」と「鼠」のペアで考えると、片手の「猫」と暮らしているジェイに「鼠」が別れの挨拶にきたという場面になっていると思います。考え方によっては面白い場面ですね。

 そして、この「猫」と「鼠」をペアで考えていくという観点から村上春樹作品を追いかけていくと、初期3部作の最後の長編『羊をめぐる冒険』では、それまでなかった特別なことが、「猫」と「鼠」に起きるのです。

 その一つは「鼠」の死です。

 『羊をめぐる冒険』は、背中に星の印を持つ「羊」を探して、「僕」が北海道まで行く物語です。北海道の果ての「十二滝町」近くの山上にある別荘で「僕」が「鼠」と再会します。その別荘は「鼠」の父親の別荘ですが、別荘の漆黒の闇の中に、霊魂のような「鼠」がやってきて、自分の中に入ってきた星の印を持つ「羊」のことを話すのです。

 「鼠」の話によると、「鼠」は「羊」が寝込むのを待ち、台所で首を吊って自殺したというのです。『風の歌を聴け』から『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』と、一貫して、登場してきた「鼠」は、ここに死にます。「鼠」は「羊」を呑み込んだまま死んだのです。

 私は『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(1985年)で、村上春樹をインタビューしたのが村上春樹との初対面ですが、その作品が刊行される直前、文学担当をしたこともある先輩記者が「『羊をめぐる冒険』で『鼠』が死んだよね。それから、村上春樹の作品はどうなるのだろう…」と語っていました。

 それほど、村上春樹作品にとって、「鼠」の死は大事件でした。

 そして「猫」と「鼠」のペアで考えていくと、『羊をめぐる冒険』ではもう1つ、村上春樹作品にとって、とても重要なことが記されているのです。

 その場面を紹介したいのですが、その前に、ちょっと記しておきたいことがあります。前回のこのコラム「村上春樹を読む」で、次はT・S・エリオットのことを書きますと記しました。ちょっと、中途半端なところで、コラムが終わっていたので、そのように予告しておいたのですが、ここまで読んできた方で、そのことを覚えている人は「おいおいエリオットのことは、どうなったのだ」と考えている人もいるかと思います。

 でも、ここまでが、長い長い前置きなんです。実はここからが、T・S・エリオットと村上春樹作品の関係についてのことなのです。ごめんなさい。前置きがあまりに長くて。

 さて「猫」と「鼠」の視点から『羊をめぐる冒険』を考えていって、もう1つ大切なこととは、それは「猫」に名前が付いていることです。「猫」に命名がされているのです。

 ここ2回ほど、ミュージカル「キャッツ」の原作となったT・S・エリオットの『キャッツ ポッサムおじさんの猫とつき合う法』(1939年)の「猫に名前をつけるのは、全くもって難しい」という言葉を紹介してきました。村上春樹が、このエリオットの言葉をエッセーの中で繰り返し書いていることも紹介しました。

 エリオットの詩『キャッツ』では、「猫」への命名の場合、その名前の最初の候補に「ピーター」という名前をエリオットが挙げています。そして村上春樹がやっていたジャズ喫茶の「ピーター・キャット」は、もしかしたら、このエリオットの詩『キャッツ』と関係があるのではないかと、私は妄想しているのですが、そのことも書いておきました。

 ですから作中で「猫」への最初の名づけが行われる『羊をめぐる冒険』という作品にはとても重要な意味があると、私は考えているのです。

 その『羊をめぐる冒険』では、物語が半分近く進んだあたりで、耳のモデルをしている女の子と「僕」が背中に星の印を持つ「羊」を探しに出かけます。でも、その旅に出かける直前に、「羊」探しを依頼してきた黒いスーツを着た男に「猫を飼ってるんですよ」と「僕」は電話をして、これを誰かに預かってもらえないと旅行に出られないと話します。

 男は「ペット・ホテルならそのへんに幾らでもあるだろう」と言いますが、「猫」は年取って弱っているので、ペット・ホテルのような檻なんかに入れたら死んでしまうと主張すると、男は仕方なく、「僕」の要求にしたがって、車の運転手に「猫」を受け取りに行かせます。

 そして、翌朝の10時、「おはようございます」とやってきた運転手に「猫」を渡すのですが、その「猫」について、尻尾の先が60度の角度に曲がり、歯は黄色く、右眼は3年前に怪我したまま膿がとまらず、殆んど視力を失っていること、年のせいで1日に20回ぐらいおならをすることなどが紹介されています。

 でも運転手は「可愛い猫ですね」「よしよし」などと言っています。きっと、この運転手も猫好きなんですね。そして、この運転手が「なんていう名前なんですか?」と問うのです。

 「名前はないんだ」と「僕」が答えても、「じゃあいつもなんていって呼ぶんですか?」と重ねて言います。

 「僕」は「呼ばないんだ」「ただ存在してるんだよ」と話しますが、その運転手は「でもじっとしてるんじゃなくてある意志をもって動くわけでしょ? 意志を持って動くものに名前がないというのはどうも変な気がするな」と言うのです。

 「鰯だって意志を持って動いてるけど、誰も名前なんてつけないよ」と「僕」が応えるのですが、その運転手は「鰯と人間とのあいだにはまず気持の交流はありませんし、だいいち自分の名前が呼ばれたって理解でませんよ」と反論します。どうも「僕」は、運転手に議論で負けています。

 「どうでしょう、私が勝手に名前をつけちゃっていいでしょうか?」と運転手が言い、「僕」が「全然構わないよ。でもどんな名前?」と応答すると、「いわしなんてどうでしょう? つまりこれまでいわし同様に扱われていたわけですから」と言います。この提案に「僕」も「悪くないな」と同意するのです。

 こうやって、「猫」に「いわし」という名づけが行われているのです。

 そして、この「猫」のことは『羊をめぐる冒険』の最後にもう一度出てきます。

 運転手から「いわしは元気ですよ」「まるまると太っちゃいましてね」と伝えられます。それは「僕」が闇の中で「鼠」と会って、「鼠」の自死を聞いて、その少し後です。

 このように『羊をめぐる冒険』を「猫」と「鼠」の観点から読んでいくと、「鼠」が死に、死にそうだった「猫」が元気になる物語なのです。

 さてさて、エリオットや村上春樹が言うことに従えば、「猫」に名前をつけるというのは、なかなかむずかしいもののようですが、村上春樹作品に最初につけられた「猫」の名前は「いわし」でした。しかし「いわし」とは随分かわった命名ですね。

 でもなぜか、村上春樹がつける猫の名前には魚が多いのです。

 前々回の「村上春樹を読む」で紹介したように、『海辺のカフカ』の最後のほうで、星野青年がナカタさんの死体の口から出てくる白く細長い物体を殺す前に、黒猫が「圧倒的な偏見をもって断固抹殺するんだ」と言います。この黒猫の名前は「トロ」です。

 「猫」と話せるようになった星野青年が、その黒猫に「名前はあるの?」と聞くと、黒猫は「名前くらいある」と答えます。「どんな名前?」と問うと、「トロ」と言うのです。

 近所の鮨屋で飼われていて「鮨のトロ」からの名前です。ちなみに、その鮨屋は犬も飼っていて、そっちは「テッカ」という名前だというオマケの話まで記されています。

 トロが魚の名前かというと、そのままイエスとは言えませんが、一応、魚系の名前であることは間違いないでしょう。

 さらに紹介すると『ねじまき鳥クロニクル』も「猫」が行方不明になるところから始まる大長編です。その「猫」は大柄の雄猫で、茶色の縞で、尻尾の先が少し曲がって折れてるそうです。「猫」の名前は「ワタヤ・ノボル」です。この「ワタヤ・ノボル」は「僕」の妻の兄の名前から、借りたものでした。

 そして、この長い物語の第3部に、行方不明となった「猫」が帰ってきます。「僕」は帰ってきた「猫」に、スーパーで買ってきた生の鰆(さわら)を与えます。そして、それまでの「ワタヤ・ノボル」という名前に替えて、その「猫」に「サワラ」と新しく名づけるのです。

 『羊をめぐる冒険』『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』は村上春樹にとって、とても重要な長編ですが、それらに登場する「猫」には「いわし」「サワラ」「トロ」という魚(魚系)の名づけがされているのです。これは偶然の名づけではありませんね。なにしろ「猫に名前をつけるというのは、なかなかむずかしいもの」だと言われていることを、村上春樹は繰り返しエッセーの中で記しているのですから。

 そして、初期3部作の中で、重要な役割を果たした「鼠」は『羊をめぐる冒険』で死んで以降、「猫」と入れ替わるように村上春樹作品の中ではもう登場してこないのです。

 では、なぜ「猫」と「鼠」なのか。なぜ「猫」には魚の名前がつけられているのか。

 それはもしかしたら、T・S・エリオットの詩と関係があるのではないかと、私は考えているのです。以下、村上春樹作品の「猫」と「鼠」と「魚」と、T・S・エリオットの詩との関係を妄想してみたいと思います。

 『海辺のカフカ』の終盤に黒猫の「トロ」が「圧倒的な偏見をもって断固抹殺する」んだと星野青年に言うセリフは、村上春樹が圧倒的なファンで、もう20回くらいは見たというフランシス・コッポラの『地獄の黙示録』の中のセリフの引用です。

 その映画の中でマーロン・ブランドが演じるカーツ大佐もエリオットの詩「うつろな人間たち」を読んでいます。

 さらにカーツ大佐の机の上にジェシー・L・ウェストン女史の『祭祀からロマンスへ』とフレーザーの『金枝篇』の2つの本があることが、映像に映し出されます。

 『荒地』は雑誌発表当初から難解な詩として知られたようで、1922年の単行本化の際に付けられたエリオットの自注によって、ようやくその意図するところの一部分が著者により明らかにされたという詩集です。

 そのエリオットの自注の冒頭には、ウェストン女史の『祭祀からロマンスへ』(1920年)から、この『荒地』が着想を得ていることがまず記されていて「わたしがこの本に負うところはじつに大きく、詩の難解な個所の解明には、わたし自身の注よりもむしろウェストン女史の本のほうが役立つと思う」とまでエリオットは書いています。

 さらに「もう一つ、わたしが広い意味で恩恵をこうむっている人類学の本がある」と記して、エリオットは、それが「われわれの世代に深い影響を与えた『金枝篇』」であることを述べています。

 その2冊の本が『地獄の黙示録』の最後に映像として、映し出されるのです。つまり『地獄の黙示録』はT・S・エリオットの詩をめぐる映画とも言えると思います。

 そして、このエリオットの『荒地』は「鼠」のことが、何度が登場する詩なのです。

 例えば『荒地』第2部「チェス遊び」の中には「われわれは鼠の路地にいる、とぼくは考える、/死者たちが自分の骨を見失ったところ」という言葉あります。

 さらに『荒地』第3部「火の説教」の中には「鼠が一匹、草むらを音もなく這(は)っていった、/ぬるぬるした腹を引きずって」「低い湿地には白い剥き出しの死体がいくつか転がり、/低く乾いた狭い屋根裏部屋では、打ち棄てられた骨たちを/カタカタと鳴らす鼠の足、今年も来年も」という詩句もあります。

 これらの『荒地』第2部、第3部の「鼠」にかかわる部分の関連性については自注の中で、エリオット自身が指摘しているところです。

 さらに岩崎宗治訳のT・S・エリオット『荒地』の岩波文庫の訳注によれば「第一次大戦中、西部戦線では『塹壕』のことを『鼠の路地』と言っていた」そうです。その「鼠の路地」には「鼠と南京虫が蔓延(はびこ)っていた。そこでは戦死者の骨が回収されず、『死者たちが自分を見失う』ことがしばしばあった」と記されています。

 そして村上春樹の初期3部作の中の「鼠」には「霊魂」や「死者」のイメージがつきまとっています。例えば『1973年のピンボール』の中で「鼠」が女とデートをする場所は街の山頂に近い「霊園」です。

 「ジェイズ・バー」を訪れて、バーテンのジェイに「街を出ることにするよ」と言った後に、車で1人訪れる場所も、闇の中の「霊園」です。「鼠」の視線の先には「暗い空と海と街の夜景が広がって」います。

 また『羊をめぐる冒険』の「鼠」が北海道の果ての山上にある別荘で、「僕」の前に初めて現れるときは「羊男」の姿でした。その「羊男」は「頭から羊の皮をかぶっていて、腕と脚の部分や頭部を覆うフードは作りものだが、くるくる巻いた角は本物」という衣裳の男です。

 『羊をめぐる冒険』によると、北海道では明治政府の援助で羊の飼育が始まりましたが、その羊の飼育の理由は大陸進出に備えて防寒用羊毛の自給のためでした。

 同作では、北海道へやってきた津軽の小作農たちを、アイヌの青年が案内役となって、開拓地を求めて進んでいくのですが、その案内役だったアイヌ青年が、開拓地にできた牧場の責任者となるのです。でも日露戦争が始まるとアイヌ青年の長男も徴兵されて中国の前線に送られて死んでしまいます。

 その死んだ長男は「羊毛の軍用外套を着て死んでいた」と書かれています。それは「羊男」をイメージさせます。つまり「羊男」には、その日露戦争の戦死者のイメージがあるのですが、この「羊男」の服装を借りて現れる「鼠」にも、戦争の死者の像が重なってくるのです。

 エリオットの『荒地』の「鼠の路地」は第一次大戦中に、「鼠」が蔓延っている塹壕のことでした。そこにも戦死者のイメージが投影されています。私には『羊をめぐる冒険』までの「鼠」と、T・S・エリオット『荒地』の「鼠」が響き合って、読めるのです。

 さてさて、そして「猫」の名前が「魚」(魚系)である理由を簡単に記して、今回の「村上春樹を読む」を終わりにしたいと思います。

 T・S・エリオットの『荒地』というタイトルは、中世ヨーロッパのアーサー王物語の中の「聖杯伝説」から来ています。キリストが磔刑となった際に、その血を受けたとされる聖杯は、その後、見失われてしまいます。その聖杯を探す騎士の物語が聖杯伝説です。

 その物語では〈聖杯の城〉の王は〈不具の王〉で、その国土は〈荒地〉で、騎士たちは、ある問いを正しく問うことによって、生命力の衰えた王と荒廃した国土を再生させるのです。その王は太古の生命のシンボルである魚と結びつけられて〈漁夫王〉と呼ばれています。

 『荒地』の第3部「火の説教」に「すみれ色の時間、家路をいそぐ/夕暮れどき、船乗りが海から帰るのも」という言葉あり、さらに「ロウアー・テムズ・ストリートの居酒屋のそば」「魚市場で働く男たちの昼休みの場所だ」などの言葉があります。

 エリオットは自注の中で「夕暮れどき、船乗りが海から帰るのも」の部分について「わたしは日暮れに帰港する近海漁業の漁師や平底舟の船頭のことを考えていたのである」と記しています。

 また岩崎宗治さんの訳注によると「ロウアー・テムズ・ストリート」はロンドン・ブリッジ北端からテムズ河左岸を東にのびる通りのことですが、『荒地』の時代には、ビリングズゲイト魚市場があったそうです。

 そして村上春樹作品でも、漁師と漁師の暮らす場所は重要な場所として登場します。

 『1973年のピンボール』の中から、一例を示しておきましょう。

 その第4章は、無人灯台が長い突堤の先に立っていることから書き出されています。そして「海が汚れ始め、沿岸から魚がすっかり姿を消すまでは何隻かの漁船がこの灯台を利用した」とあり、「浜辺にレールのような簡単な木の枠が組まれ、漁師がウィンチでロープを引いて漁船を浜に上げた。三軒ばかりの漁師の家が浜の近くにあり、防波堤の内側には朝のうちに獲れた細かい魚が木箱に詰められて干されていた」と書かれています。

 さらに続いて「魚が姿を消したことと、住宅都市に漁村があることが好ましくないという住民のとりとめのない要望と、彼らが浜辺に建てた小屋が市所有の不法占拠であったという三つの理由によって漁師たちはこの地を去っていた」ことが記されているのです。

 海を失っていくこと、魚を失っていくことへの怒りが、村上春樹の文学の出発点ですが、この漁師たちの労働の姿を記す書き方に、エリオット『荒地』の漁師や魚市場で働く男たちへの言葉と響き合うようなものを、私は感じるのです。

 紹介したように、魚は太古の生命のシンボルでした。

 村上春樹作品の「猫」たちに「いわし」「サワラ」「トロ」という魚(魚系)の名前がつけられていることは、生命と再生のシンボルとして名が選ばれているのではないかと考えていますし、T・S・エリオットの『荒地』や『キャッツ』との関係があるのではないかと妄想しております。

 まだまだ、T・S・エリオットの詩と村上春樹作品について考えることがあるのですが、今回もあまりに長くなってしまいましたので、続きは次回にいたします。

 ただ少しだけ予告しておきますと、T・S・エリオットが『荒地』自注の冒頭で紹介したウェストン女史の『祭祀からロマンスへ』やフレーザーの『金枝篇』と村上春樹作品の関係について考えてみたいのです。

 〈聖杯〉は磔になったキリストの血を受けた杯のことですが、でもウェストン女史の『祭祀からロマンスへ』によれば、「聖杯伝説」の起源をずっとたどっていくと、キリスト教よりも、はるか以前の太古の神話にまでさかのぼることができるとのことです。

 そんな古代の神話的なことと、村上春樹作品の関係について考えてみたいのです。

 今回引用した『荒地』は岩崎宗治訳に従いました。またその訳注、解説を通して〈『荒地』をどう読むか〉について教えられることが多くありました。そのことを記しておきたいと思います。(共同通信編集委員・小山鉄郎)

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