大久保嘉人 日本代表での〝黒歴史〟…呪縛から解放されたのは21試合目だった

大久保はジーコジャパン時代に代表初選出(東スポWeb)

【多事蹴論(22)】希代の点取り屋の意外な“黒歴史”とは――。今季限りでの現役引退を発表したJ1C大阪の元日本代表FW大久保嘉人(39)は、J1川崎時代の2013年から3年連続得点王を獲得しJ1最多191得点をマーク。ドイツ1部ボルフスブルクやスペイン1部マジョルカでもプレーするなど、日本屈指のストライカーとして知られている。

そんな大久保が最も苦しんだのは日本代表だった。03年のジーコジャパン時代に初選出され、同5月に国際親善試合の韓国戦でデビュー。スピードとたぐいまれな決定力を武器に主力選手となり、チームに欠かせない点取り屋として期待された。スタメンで出場する機会も増えていき、好パフォーマンスを見せるものの、なかなかゴールが奪えなかった。

同年は国際Aマッチ14試合に出場も無得点。Jリーグではゴールを量産するのだが、代表では結果が出なかった。代表スタッフも「先発でも出ているし、FWでこれだけ試合に出ていて得点がないのは珍しい。珍記録じゃないの? まあキッカケさえあれば…」とし、大久保を重用していたジーコ監督も「いつかは取る」と、大久保への信頼を強調していた。

日本サッカー協会会長を務めていた川淵三郎キャプテンも大久保の状態を気にかけた。03年12月に行われた東アジア選手権(現東アジアE―1選手権)の韓国戦では前半18分で2枚目のイエローカードを受けて退場。その際、川淵氏は無得点が続いていることへの激励を込めて大久保に直接電話をかけ「しっかりせいよ」とゲキを飛ばした。後に大久保は報道陣に「サッカーを知らない人に言われたくない」と反発。ただ川淵氏が元日本代表で1964年東京五輪にも出場したことを知ると、ばつが悪そうな表情を見せた。

それでも大久保は代表に招集され続けたものの無得点。イビチャ・オシム政権となった07年10月の国際親善試合エジプト戦で2ゴールを決めてようやく呪縛から解放。実に21試合目だった。その後も第2次岡田ジャパンでは10年南アフリカW杯メンバー入り。さらにアルベルト・ザッケローニ監督のもと臨んだ14年ブラジルW杯にもサプライズ選出。国際Aマッチ60試合6得点だった。

「悪ガキ」と呼ばれたように、試合中に熱くなって退場処分を受けることも多かったが、世界的スターやサッカー界の重鎮や名将からも愛されたストライカーだった。以前に、本紙がインタビューした際には「現役を引退しても評論家や解説者にはならない」と明言。その理由について「滑舌が悪いからムリでしょ。子供たちにサッカーを教えたい」と話していた。

また「嘉人の性格からは信じられないほどの達筆」と、サッカー界屈指の美文字として知られている。引退後は各方面から引っ張りだこになると予想されるが、解説者として率直な意見を発信してほしい

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