1953年に「竹島」の木杭抜き「独島」の標石を立てた韓国測量団の当時写真が公開…韓国紙報じる

朝鮮戦争直後に独島(竹島)を測量した韓国山岳会員たちによる当時状況や写真が明らかになった。日本の行政区と表記された杭を撤去する様子などもあった。

参考記事:韓国メディア「日本が独島付近で中露軍機を追跡したかのように歪曲」「韓国の防空圏70年認めてきた…」

東亜日報は3日、『竹島の杭を抜いて「独島」の標石を立てる… 韓国山岳会の独島上陸記』を掲載し、それらを伝えている。

1953年10月13日、当時22歳だったソウル大生のキム・ヨンドク氏(90)をはじめとする韓国山岳会員16人が独島に向かった。東亜日報は「当時、(韓国)政府は日本との外交摩擦などを懸念して、軍隊ではなく民間団体の独島上陸を支援した」とし、キム氏が母校の会報に当時寄稿した文章『独島行脚』をもとに詳しい様子を伝えている。

東亜日報(3日)の当該記事キャプション

それによると、当時、山岳会員たちを載せた韓国海軍の艦艇には日本の海上保安庁の巡視船が接近してが、「韓国海軍が戦闘態勢を整え、日本領海に戻ることを要求すると、巡視船は退いた」とされる。

山岳会員たちは一次上陸失敗の後、二日後に上陸に成功し、最初に「島根県五島村竹島」と書かれた日本行政区域を主張したとみられる木杭を抜いたという。同杭は1952年5月に日本の漁船が建てたものだったとされる。測量を経た翌日、彼らはハングルで「独島」と刻まれた標石を丘陵地帯に建てたという。東亜日報はその様子を収めた写真も掲載している。

東亜日報は「光復(解放)後、韓日両国政府は独島をめぐり、継続的に葛藤を繰り広げた」とし、「日本政府側は1947~1953年に駐日米軍が独島で爆撃練習を行ったことを根拠に領有権を主張した」と伝えている。米日両国政府が合同委員会を構成して独島を爆撃練習地に指定する過程で、米国政府が自身の領有権を認めたという主張だという。

一方で、米軍による誤爆撃により韓国の漁民が死亡する事件があったことから、韓国政府は1952年11月10日に駐韓米大使館を通じて独島爆撃練習の中断を要求した。翌年の1953年3月19日に日米合同委員会は駐日米軍の爆撃練習地から独島を除外することにした。

この報道をみた韓国のネットユーザーからは、

「日本帝国主義には反対だが、日帝が私たちの国土のあちこちに鉄杭を打ちこみ、民族の精気を断とうとしたという俗説は、今考えてみれば、荒唐無稽な左派たちの偽の扇動のようだ…」

「建国当時の困難な時期に、李承晩ラインを引いて独島をわが民族領土に編入した李承晩だいとうりょうは本当に偉大な領導者だ」

「これらの方々も素晴らしかったが、独島は李承晩が1952年に平和線と命名した李承晩ラインを一方的に宣布して私たちが占領したものだ…この時は日本はまだ米軍政下にあり、主権を回復できず、李承晩の先取りにどうもできずやられるままだった」

「朝鮮は永遠に大日本帝国の属国である」(※日本語での書き込み)

「対馬に行くべきだったな」

「まさに愛国心。記憶します」

などのコメントがネット掲示板に投稿されている。

参考記事:韓国紙「日米韓外務次官会見流れた口実…独島訪問は極めて粗雑な調整か」「米憂慮、韓国は孤立危機」

参考記事:米高校教科書「独島は韓国人が甚だしい民族主義で領有権主張」 他にも「日本海」「満州属国」

参考記事:韓国紙「韓国で日本史研究者や日本書ベストセラーが急減」「国力的にスルーできる国ではない…嫌いでも知る必要」

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