ジョッキーと子育ての両立、1000勝達成の偉業 国内女性騎手で初、宮下瞳さんの歩み

千勝を達成し、セレモニーで2人の息子と記念撮影する宮下騎手

 1995年のデビューから積み上げた勝利は千を超えた。名古屋競馬の宮下瞳騎手(44)が11月18日、名古屋競馬場(名古屋市港区)で行われた第2レースで1着になり、国内女性騎手初の偉業を成し遂げた。「夢のような感じ。まだ実感はないです」。昨年は初の年間100勝を達成するなど年齢を感じさせない騎乗で存在感を放つ。2011年に一度は引退し、2人の息子を出産して16年に復帰した。子育てをしながらジョッキーとして奮闘している。(共同通信=原嶋優)

 ▽復帰を決断

 鹿児島市で生まれ、名古屋競馬で騎手をしていた兄を追って1995年に初騎乗した。2005年に当時ジョッキーだった小山信行さんと結婚。韓国での競馬も経験し「全うしてきれいさっぱり終わりだと悔いはなかったんです」と未練なく騎手人生を終えた。12年に長男の優心くん、14年に次男の健心くんを出産。その後は主婦として生活を送っていた。

 そんな時、転機は突然やってきた。きっかけは長男のふとした一言だった。自宅に飾っていた現役時代の写真を見て「ママも乗っていたの?乗っているところ見たい」。その言葉で「主人のレースを見て、いいなと思っていた」という騎手への思いが再燃。真剣にカムバックを考え始めた。

 大きな決断だが「悩んだのは子どものことだけでしたね。戻ろうと思ってからは気持ちは前向きでした」と当時を振り返る。ただ、本人の気持ちとは裏腹に落馬の危険がある仕事に戻ることに周囲の多くが反対した。

 「子どもがまだ1歳になっていなかったので。環境が整うまでやめた方がいいかな」。それでも背中を押してくれたのは信行さんだった。「100パーセント反対されると思ったんですけど『いいんじゃない』って。でも、他はほぼ反対でした。賛成してくれる人の方が少なかったです。けがをしたら誰が子どもの面倒をみるんだと言われて。でも、その声を聞いたから逆に燃えました」

名古屋競馬場の第2レースでリアルスピードに騎乗し1着となり、国内の女性騎手で初の通算千勝を達成した宮下騎手=11月18日

 ▽復帰前に厩舎で働く

 そこからは過酷な道が待っていた。「出産してから何もしていなかった」と言い、トレーニングはゼロからのスタート。「体重も結構増えていたのでランニングとか水泳を頑張りました。でも、筋力が戻らなくて大変でした」。懸命に少しずつ、体を徐々に騎手仕様に戻した。

 一度騎手としてレースに出ていても、免許は一からの再取得になる。育児の合間に試験勉強の時間を何とか確保した。「本当にやる時間がなかったので。午前中に仕事が終わって2時間とか寝る前に1時間とか。競馬の法律を覚え、レースに関する決まりや馬の体の部位の名前、馬の食べ物の名前とか。全部です。めっちゃ忘れていた。本当にゼロからです」

 時間を割いたのは勉強とトレーニングだけではなかった。しばらく不在にしていた競馬界に戻るため、ジョッキーとして正式に復帰する前から厩舎で働き始めた。「いきなり騎手に戻りたいと言って試験を受けても、周りの人も自分も納得できない」

 午前0時前に起き、厩務員として馬の世話を手伝った。睡眠時間は1日わずか2~3時間。当時を知る松崎貴久美厩務員は「プロセスも大事だと思っていたんでしょうね。全部クリアして自分の姿勢を示すということ」と話す。周囲を驚かせるほどハードな生活だったが「目標に向かっていく感じはすごく生き生きしていましたね。たぶん体力的には大変だったと思いますけどね」。苦労しつつも、懸命に騎手への道を駆け上がった。

リアルスピードに騎乗した宮下騎手=11月18日、名古屋競馬場

 ▽家庭との両立

 騎手の朝は早い。夫は韓国競馬で厩務員を務めていて不在。家事、子育てをしながら午前1時に起きて調教に向かう。馬の調教も騎手の大事な仕事の一つだ。「9時には寝るようにしています。でもなかなか子どもは寝ないので…」。十分眠れない日もあるが、愛知県弥富市のトレーニングセンターで各馬10~15分ほどの調教を20頭以上もこなしている。

 宮下さんへの調教依頼は多い。それも周りからの信頼があるからこそだ。調教で乗りながらその馬の様子を把握する。「いつも元気な馬に、急に元気がなかったら何かおかしいのかなとか。毎日乗っていると多少は分かりますね。子どもみたいです。話せないだけで基本一緒。かわいいです」

 復帰後は着実に実績を重ね、騎乗数も増えた昨年は105勝をマーク。17年からコンビを組んだポルタディソーニとは重賞も制した。「復帰してからの大事な馬で、すごく成長させてくれたので。勝たせてもらった重賞はすごく思い出に残っています」と、千勝達成後のインタビューで感謝を伝えた。デビューから一度現役を退くまでの16年間で626勝、16年に復帰してからは370勝以上を挙げており、復帰後は勝利ペースが大きく上がっている。

2017年からコンビを組むポルタディソーニと宮下騎手=愛知県弥富市

 ▽女性騎手として

 宮下さんのデビュー当時、女性ジョッキーは今より多かった。それでも「いざ勝てそうになると代えられたり。ちょっとの差で負けたりすると『女は駄目。追えないから代えろ』と言われることがすごく多かったです」と悔しい思いもした。

 それでも負けん気の強さと丁寧な仕事は評判だ。馬のわずかな異変も見落とさず、早朝の調教も必ず遅れず準備する。そうした積み重ねで信頼を積み重ねてきた。

 全国を見渡しても女性騎手は少ない。中央競馬にも藤田菜七子(ふじた・ななこ)騎手ら3人だけ。宮下が千勝目を挙げた当日、高知競馬から名古屋に遠征していた浜尚美騎手は「すごいの一言。ずっと騎手をやっていても届かないんじゃないかと思います」と尊敬のまなざしを向けた。

 ▽大好きな馬と

 調教師らからは「瞳ちゃん」と慕われている宮下さん。笑顔を振りまき、明るい一面もある一方、所属厩舎の竹口勝利調教師は「落馬して骨を折っても退院した日に調教に来た。さすがに帰れと言ったけど」とタフさに舌を巻く。苦労しながらも騎手を続けられるのはなぜか。「やっぱり馬に乗るのが好きなので一番はそこかなと思います」。理由を尋ねると迷わずそう答えた。

 「何年後か分からないですけど、調教師の道も目指したいなと思っていますし、息子も乗りたいって言ってくれたので、一緒にレースに乗れたらという思いもあります」。調教とレースを繰り返し、馬に囲まれる毎日はまだしばらく続きそうだ。

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