「自然に体が」脳腫瘍から復活…元阪神外野手が振り返る“奇跡のバックホーム”

元阪神・横田慎太郎さん【写真:本人提供】

ボールも観客席も「二重に見えていた」

元阪神外野手、横田慎太郎さん。左打ちのスラッガーで将来の中軸打者として期待されていたが、脳腫瘍を患い、2019年にプロ6年目・24歳にして現役引退を余儀なくされた。しかし、引退試合では“奇跡のバックホーム”で走者を刺し、野球ファンの目にその雄姿を焼き付けた。昨年9月、腫瘍が脊髄に転移していたことが判明。再び試練にさらされながら乗り越え、現在は講演活動などに取り組む。横田さん本人に、2年前の奇跡の瞬間を振り返ってもらった。

【実際の写真】2017年、抗がん剤と放射線による治療など壮絶だった闘病生活

2019年9月26日、阪神の2軍本拠地・鳴尾浜球場で行われたウエスタン・リーグのソフトバンク戦には、大勢のファンや、この日試合のなかった1軍のチームメートたちが足を運んでいた。誰もが横田さんにとって3年ぶりの実戦出場、そして現役最後の試合となることを知っていた。

2017年3月に18時間に及ぶ開頭手術を受けた。その後抗がん剤と放射線による壮絶な治療、リハビリを経て、ようやく漕ぎつけた実戦復帰。とはいえ、この時点でも横田さんの視界は後遺症のため、満足に野球ができる状態ではなかった。

「センターの守備位置から見ていると、フライが上がった瞬間にボールが消え、落ちてくる時に現れるけれど、そのボールが二重に見えました。観客席も上下二重に見えていました」。練習を再開した当初は戸惑いしかなかった。「凄く怖くて、何度かボールが顔に当たりそうになりましたが、数をこなしていくうちに少しずつ慣れました」と振り返る。ノックに参加できるようにはなったが、実戦形式の練習で打席に立つことは危険と判断され、最後まで禁じられたままだった。

2-1とリードして迎えた8回の守備。2死二塁のピンチを迎えたところで、横田さんは平田勝男2軍監督からセンターの守備に就くことを命じられた。「実は試合前には、9回の守備にだけ就くことになっていたのですが、突然ピンチになって、平田監督からキャッチボールをしろと言われてびっくりしました」。全力疾走でセンターの定位置に到着し、もう1度驚いた。「3年ぶりにセンターから見た球場の景色はもの凄くきれいで、こんなにきれいだったかなって……。初めて見るような景色で、絶対に何かやってやるぞ、という気持ちになりました」

平田2軍監督は号泣、そして鳥谷から掛けられた言葉

最初の打者のソフトバンク・市川友也捕手が放った打球は、横田さんの頭上を越えるセンターオーバーの同点二塁打。必死にボールを拾い、中継の内野手へ返球する。ここで二塁走者として代走・水谷瞬外野手が起用された。

続く塚田正義外野手の打球も、痛烈なライナーとなってセンター正面を襲う。ただでさえ中堅手にとって正面のライナーは、距離感をつかみにくい。この時の横田さんの状態では、エラーするか、打った瞬間に大事を取って後ろへ下がるはずの打球だった。ところが、「まるで誰かに押されたかのように背中が前へ出ました」。横田さんは両方の手のひらを前へかざして回想する。

二塁走者の水谷は三塁を蹴って本塁へ突入。ワンバウンドでボールを捕った横田さんは思い切り左腕を振り、絶妙のノーバウンド送球となって捕手のミットに吸い込まれていった。タッチアウト。「ファンの皆さんが物凄く喜んでくれていて、内野手の皆さんがガッツポーズしていて、それでアウトだと気づきました」と横田さん。「病気になってからノーバウンド送球はしたことがなかった。これは自分の力ではないと感じました。自然に体が動いた、本当に不思議な瞬間でした」と今も夢見心地で振り返る。

ベンチで出迎えた平田2軍監督の頬は涙で濡れていた。興奮したままベンチ裏のロッカールームへ向かった横田さんの背中に、球場を訪れていた1軍選手の鳥谷敬内野手(翌2020年からロッテへ移籍、今季限りで現役引退)が手を置いて語りかけた。「野球の神様は、本当にいるな」。その瞬間、横田さんの両目から「ぼわーっと」涙があふれてきた。「絶対にグラウンドに戻るという目標を、見失わずにやってきてよかったと思いました」

あれから2年が過ぎた。現在は故郷の鹿児島県を拠点に、リモートを含めた講演活動、YouTubeなどを通して自身の貴重な体験を語っている。児童養護施設で講演した後には、子どもたちから「僕には目標が何もなかったのですが、講演を聞いて自分にできることは何かを考えられるようになりました」「小さい目標を立てながら頑張っていけそうです」といった手紙が届いた。「目標を立てて入院生活を過ごした経験は、決して無駄ではなかった」と横田さん。“奇跡の男”は穏やかな笑顔を浮かべている。

【実際の写真】2017年、抗がん剤と放射線による治療など壮絶だった闘病生活

2017年、抗がん剤と放射線による治療など壮絶だった闘病生活【写真:本人提供】 signature

(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)

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