第9回「昭和は遠くになりにけり」〜療養中のPANTAが回顧する青春備忘録〜

その昔、半分冗談で紅白歌合戦のような“東西対抗バンド合戦”を考えたことがあり、調べたら、いま関ヶ原は“ウォーランド”(Warland)というテーマパークになっていてひっくり返りそうになった。なんでも英語にすりゃいいってもんじゃねえだろ、あほんだら! あくまでも関ヶ原で線を引いて東西のミュージシャンを選択したのだが、スターリン、人間椅子、友川カズキとか東北怨念系を混ぜても圧倒的に西のミュージシャンの数に及ばず、成立しないことがわかり断念した。 さるチンピラにやさしくしてあげたことがある。それからというもの何かとライブにも来るし、そのたびに金をせびってくる。2千円、5千円…餌付けしてしまった野良犬よりもタチが悪かったかもしれない。 そんなある日、ジョー山中が、「PANTA、あんなヤロウにやさしくしちゃダメだよ。この前どやしつけておいてやったよ。ああいうのはつけあがるから気をつけなきゃ」とたしなめられた。やっぱりダメなヤツはとことんダメかと、昭和なチンピラな話でした。 昭和の名残、子どもの頃、家のそばのちょっと広くなった道にボンカレーの看板女優(松山容子さん)を掲げた移動販売車を停めて、チンドン屋(あえて当時の子どもの呼び方で)をまじえ、チャンバラの寸劇を終え、カレーの販売をしていくというものを夢の中で思い出し、ちょっと記録を。

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