アンヌマリーさん、安らかに 仏出身74歳の活水女子大生 友人らが送る会 「長崎に居場所を見つけた」10年間

矢を射る在りし日のアンヌマリーさん=長崎市営弓道場(ラクールさん提供)

 アンヌマリーさん、安らかに-。先月30日、病気のため74歳で急逝したフランス人女性武道家で活水女子大国際文化学部日本文化学科4年、アンヌマリー・アンソーさんを「送る会」が15日、長崎市の諏訪神社などであった。10年前に来日し、長崎に永住するつもりで語学や弓道など何事にも一生懸命に取り組んだ在りし日の姿を、日仏の友人らがしのんだ。

 真っすぐな性格で積極的に人と交流し、誰からも愛されたアンヌマリーさん。日仏両国に家族がいないため、フランス人の親友ナタリー・ラクールさん(64)=長崎市在住=らが送る会を企画。幅広い年齢層の友人、知人ら約50人が参加し、目頭を押さえる姿も見られた。
 友人らによると、アンヌマリーさんは母国で14歳の頃から柔道を習い始め、日本に関心を持った。仕事は中学の生物の教諭。定年退職後、日本の文化に触れようと2011年に来崎し、弓道を始めた。16年に長崎外国語大に入学し、卒業後、20年に活水女子大に編入。「諏訪神社の民俗学」をテーマに卒業論文の作成に着手していた。その傍らで夏に貿易会社を起業したばかりだった。
 弓道の「駒場クラブ」に所属し、毎日のように市営弓道場に通い、若者へのお菓子の差し入れを欠かさず、手作りのパイを振る舞ったことも。同クラブの真崎孝之会長(83)は、亡くなる前日にアンヌマリーさんと会っており、「『気持ち良く射れた。また明日ね』が最後の言葉になるなんて」と悲しんだ。
 毎週土曜日は諏訪体育館で居合道を学んだ。自宅の本棚には三島由紀夫の作品や源氏物語の本、「七人の侍」「座頭市」など日本映画のビデオなども並んだ。日本刀に興味があり、日本茶と和菓子を好んだ。いつも、もんぺ、作務衣(さむえ)、草履姿だったという。

アンヌマリーさんのお気に入りのスポット「抱き大楠」の前で、遺骨や遺影を胸に別れを惜しむ友人ら=長崎市上西山町、諏訪神社境内

 友人らは15日、遺骨と遺影を胸に、アンヌマリーさんの「マイ、パワースポット」としてお気に入りの場所だった諏訪神社の「抱き大楠」を訪れた。アンヌマリーさんをまねて大楠にハグする人も。行きつけのレストランでも思い出などを語り合った。
 一緒に旅行に出掛けたこともあるラクールさんは「彼女は『長崎に自分の居場所を見つけた』と言っていた。突然の別れは悲しいが、長崎で過ごした彼女の10年間はとても充実し、幸せだったと思う」と話した。


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