毛利秀就の誕生地は広島ではなく宇部市? 平山智昭さんらが研究成果を出版

▲「長州藩初代藩主毛利秀就公 総括版~誕生の真実追究」

 「長州藩初代藩主 毛利秀就公~誕生の真実追究」を、平山智昭さんが11月3日に自費出版した。山口県地方史学会理事の田村悌夫(やすお)さんとの共著で、A5判244頁。長州藩初代藩主・毛利秀就は1595年、安芸国広島城(現広島県広島市)で出生したというのが定説だが、実は1591年に長門国厚東群四ヶ小野村(現山口県宇部市小野地区)で生まれていたことを、同書では立論・検証している。    

 平山さんは、1930年旧厚狭郡小野村生まれの91歳。山口大学教育学部を経て、山口県公立小学校の教員になり、山陽小野田市・宇部市・美祢市の小学校長などを歴任した。現在は、郷土史研究家として郷土史懇話会顧問、毛利秀就公誕生地史跡保存会会長も務めている。平山さんが生まれ育った宇部市小野地区には秀就誕生の際に使われたという「産湯の池」や、へその緒を祭ったとされる「高良神社」、暗殺を逃れるための「穴蔵」などがあることに興味を持ち、17年前から「秀就公小野誕生説」に関する研究を始めた。その結果、秀就は1591年に小野地区の領主・財満就久の屋敷で生まれたことを財満家に伝わる文書などから確信。秀就の母で、毛利輝元の側室「二の丸」様や二の丸を守ったとされる財間家などの史跡を整備し、郷土の歴史を後世に伝える活動もしている。    

 今回の著書は、これまでの研究の「総括版」として、小野村誕生説を唱えるきっかけとなった遺跡や伝承、調査の過程、財満家に代々伝わる「門外不出」とされる文書などが紹介されている。さらに2020年に確認することができた広島大学図書館蔵の「広島八百年文化史雑記」(錦田貞雄著)の記述から、財満家に伝わる文書の信ぴょう性と「広島誕生説」の根拠の無さなどを説いている。    

 本は頒価2000円(送料込み)で提供。問い合わせは発行元のふるさと紀行編集部(TEL083-972-8848)の畑山静枝さんへ。

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