72歳の村田兆治氏が「離島甲子園」を続けるワケ 地道に力を注ぐ裾野の拡大

「HEROs AWARD 2021」に出席した村田兆治氏【写真:荒川祐史】

20日に日本財団から「HEROs AWARD 2021」を贈られた

豪快な“マサカリ投法”で一世を風靡した大投手・村田兆治氏が、72歳にして脚光を浴びた。現役引退後の社会貢献活動を評価され、20日に日本財団(笹川陽平会長)から「HEROs AWARD 2021」を贈られた。

村田氏は全国の離島に住む中学生球児が一堂に会する「離島甲子園」を提唱。2008年に東京・伊豆大島で行われた第1回大会を皮切りに、これまでに12回開催している。出場チーム数も当初の10から26に増えた。会場では、村田氏を中心にプロ野球OBで結成された「まさかりドリームス」による少年少女野球教室、地元チームとの親善試合なども開催。ここ2年は新型コロナウイルスの感染拡大で中止を余儀なくされたが、来年からの再開を目指している。

離島の野球少年は島外との交流機会が少なく、対外試合を行うことも難しい。村田氏は「離島の子ども同士の間に交流、絆が生まれれば」との思いで活動を続けてきた。「プロ野球選手になることだけが成功ではない。かつての出場選手から『野球は辞めましたが、教師になりました』とか『企業の営業職で頑張っています』などと連絡をもらうことがあって、とてもうれしい。大会をキッカケに人として成長してくれれば何よりです」と語る。

現役時代に通算215勝を誇った村田氏だが、1983年に33歳で右肘内側側副靭帯再建術(トミー・ジョン手術)に踏み切った。当時は投手の肘にメスを入れることがタブーといわれた時代で、1985年に17勝を挙げて華々しく復活を遂げた村田氏は、同手術の日本プロ野球最初の成功例といわれている。トミー・ジョン手術に行き着くまでには、国内の名医数十人を訪ね歩いたそうで、逆境から這い上がった経験が、離島球児支援につながっている。

巨人の育成ドラフト6位・菊地大稀から賞を受け取る村田兆治氏(右)【写真:荒川祐史】

第7回大会に出場した巨人育成ドラ6菊地がプレゼンターで登場

また村田氏といえば、59歳で出場したマスターズリーグで141キロを計測するなど衰え知らずの肉体でも知られた。離島でもたびたび打撃投手を務め「生意気なやつには絶対、バットに当てさせなかった」と笑う。

20日に都内のホテルで開かれた表彰式には、2014年に新潟・佐渡島で行われた第7回大会に出場し、地元の佐渡高、桐蔭横浜大を経て、今年巨人から育成ドラフト6位指名を受け入団した菊地大稀投手がプレゼンターとして登場した。

菊地が「これからも離島球児に夢や希望を与えてください。おめでとうございました」と祝辞を述べると、村田氏は「巨人に入って勝つと言え」と要求。菊地が「巨人に入って活躍します」と言い直すシーンもあった。村田氏は中3当時の菊地に「センスがいい。プロを目指して頑張れ」とアドバイスを送っていたという。大会出場者から初のプロ誕生で、村田氏の活動の成果が形となって表れたと言える。

「これからも社会貢献をして、人の役に立って恩返しをしていきたい」と村田氏。1990年限りで現役を引退し、95年から97年までダイエー(現ソフトバンク)の投手コーチを務めた後は、プロ野球の現場から遠ざかっている。派手ではないが、野球の裾野拡大のため地道に活動してきた姿が奥ゆかしい。(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)

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