共同通信の5人のカメラマンが、新型コロナの流行によって変わってしまった日常生活を描く連載企画の第3回。
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思い描いていた子育てとは違った。だが新型コロナウイルスが覆う世界をよそにわが子はハイハイを覚え、立ち上がり、言葉を発するようになった。その姿に無条件の希望を感じている。名古屋市の大学教員吉川遼(よしかわ・りょう)さん(32)と妻千佳(ちか)さん(30)はコロナ禍に生まれ育つ幼い長男を見つめ「いつかこの子に当たり前の日常をあげたい」と話す。(写真と文・共同通信=坂野一郎)
▽「意味は分かんないんだけど」
10月下旬、肌寒くなってきた雨の日。公園に遊びに行けない長男圭(けい)ちゃん(1)は、大きな声を出しながら笑顔で自宅を走り回っていた。「最近は少し言葉を話すようになって。『むーむー』はたぶん『ママ』って言ってると思うんですけど。他の動くものはなぜか全部『わんわん』って呼ぶ」
遼さんが、千佳さんと遊ぶ圭ちゃんを見ながら言う。リビングには相変わらずドタドタと足音が響いている。「全然何言ってるか意味は分かんないんだけど、少しずつ変わってる。そこになんか感動するんですよね。『あっ、成長してる』って」
話しているうちに、さっきまで笑顔だった圭ちゃんがいつのまにかぐずり、大声で泣き始めた。千佳さんが抱っこして、遼さんがティッシュで目を拭ってやる。泣きやむ気配はない。千佳さんに抱かれゆらゆら揺れている。
▽「こうやって日常が変わってくのか」
昨年6月、圭ちゃんが誕生。千佳さんの妊娠中から、想定外の連続だった。健診で院内に入れるのは千佳さん一人で付き添いは禁止。出産予定日直前の健診も、遼さんは駐車場に止めた車の中で待っていた。
周囲を見回すと、同じように車内で手持ち無沙汰にパートナーを待つ男性が何人もいる。「こうやって日常が変わってくのか、と思った」
希望していた立ち会い出産は認められず、出産直後に圭ちゃんを抱っこできたのは数分だけ。入院中の千佳さんと圭ちゃんとはオンライン面会のみで数日を過ごした。当たり前にできると思っていたことがことごとくできず、なんとなく不安だった。
▽見えない
コロナの世界的な感染がとどまらないまま、初めての子育てが始まった。ただでさえ初めての子で右も左も分からない状態。乳児の重症化リスクや感染対策は不確かな情報も多く、あらゆることが気にかかった。自粛で市の保健センターや病院で開かれるはずだった産前産後の育児教室も中止になり、親同士のつながりもできなかった。公園に出歩く人も少なかった。
他の家庭がどんな感染対策をしているか、どうこのコロナ禍を乗り切ろうとしているのかまったく見えない。マスク着用も消毒も難しい乳児にできることは少なく、親が感染に気を付けるしかなかった。「じゃあどこまで何をやれば?」
どれだけスマホで調べても、手探りの育児に答えはなく、不安は尽きなかった。
▽ふとした時に
「異常な状態で子育てをしている」。ふとそう思うようになった。いつもではなく、ふとした時に違和感を覚える。圭ちゃんが歩き始め、ずっと自宅にいるわけにもいかなくなり、時々外出すると、異常な風景と出会うことが増えた。
ショッピングセンターのボールプールは閉鎖したままで、一度も利用したことはない。何もなければ、と他の子どもたちと交じってはしゃぐ息子の姿を想像する。緑地公園のキッズルームでは絵本やおもちゃが撤去され、がらんとして誰もいなかった。「ぼくたちといっしょによもう」。空になった本棚の上に貼られたカラフルなあおむしやチョッキを着たねずみの張り紙が、空間から浮いていた。
「普通にできることをさせてあげられていない」。コロナ前には存在しなかっただろう風景に出合うたびに思う。だが親の思いとは関係なく、圭ちゃんは無邪気に笑い、泣き、怒った。1年前、白いおくるみに包まれていた圭ちゃんは、立って走って何かを話している。閉塞感のある世界とは関係ないように、成長している。
子どもはすごい。理由もなくそう感じた。
▽家族の時間
一方、社会の変化は家族で過ごす貴重な時間をくれた。遼さんが勤務する大学の2020年度の講義は、緊急事態宣言が発令されるたびにオンライン形式に。慣れないオンライン講義の資料づくりや機材準備は手間がかかったが、往復2時間の通勤時間を節約できるメリットは大きかった。自宅でオムツ替えや沐浴(もくよく)、寝かしつけを担い、夫婦でわが子の小さな寝顔を見ると幸福だった。
感染状況が落ち着き、対面とオンラインの併用で講義する現在はコロナ前より多忙になっている。7時過ぎに自宅を出て、大学を出るのは午後8時ごろ。帰宅する頃には千佳さんと圭ちゃんが眠っていることも多い。一人で静かなリビングの戸を開けると、今の働き方が正しいのか考えてしまう。
「元通りになってきた、と言えばそうかもしれないけど、その元通りが全部よかったわけじゃない面もある。皮肉だけど、結果的にコロナはそれに気付くきっかけにはなったと思います」
▽当たり前の日常
もしコロナがなかったら、もっとたくさん、家族で遊びに行けたかもしれない。ボールプールに3人で一緒に埋もれて、遠くに旅行もしていたかもしれない。コロナ禍でしか子育てをしたことがないから、当たり前の日常がどんなものか分からない。
でも、もしかすると、家族といる時間の大切さを実感できないまま、仕事が生活の大半を占めていたかもしれない。必要のない懇親会にもっと顔を出していたかもしれない。言い出したらきりがないが、なんとか3人が健康でやってこられたことに感謝している。
来年には第2子が生まれる。コロナが収束したら、夏の打ち上げ花火と冬のきれいなイルミネーションを子どもたちに見せてあげたい。まだ行けていないレゴランドにも連れて行ってあげたい。家族4人で生きる当たり前の日常を、夫婦で描き直している。
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カメラマンは見た「コロナが変えた日常」
第1回 https://nordot.app/845935608295309312?c=39546741839462401
第2回 https://nordot.app/845949533199613952?c=39546741839462401
第4回 https://nordot.app/846723885450706944?c=39546741839462401
第5回 https://nordot.app/846725469970137088?c=39546741839462401