●【幕末維新 山口れきし散歩】 No.23 「本間源三郎碑」

▲冬日和の午後(山口市嘉川)

 1909(明治42)年3月に建立されたこの碑は、篆額(てんがく)が萩出身の総理大臣・桂太郎。撰文(せんぶん)は薩摩藩出身で第4代山口県知事を務めた大浦兼武によるものである。碑陰には、「吉敷郡南部元拾七ヶ村建之 石工泉利兵衛」と刻まれている。

 1846(弘化3)年1月、吉敷郡嘉川村(現・山口市嘉川)の庄屋・本間家に生まれた源三郎は、1861(文久元)年4月、16歳の時に有志とともに郷勇隊を結成、銃陣稽古を始めた。下関で奇兵隊が創設される2年前のことであった。

 19歳の時には地元の庄屋役に就任。維新後は嘉川村初代村長、山口県議会副議長、衆議院議員など要職を歴任し、民政に尽くした。

  防長史談会山口支部長 松前 了嗣

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