4年以上続く日課 新聞持参の面影 「置いてくぞー」奇跡的な最期 準備したよう
「上越タイムス」を通じ、毎日、父に会えた―。上越市大貫1の不動産賃貸業、滝澤隆雄さん(63)は、11月22日に他界した父・義昭さん(享年88)との思い出を振り返り、その巡り合わせに感慨を深くしている。
平成29年に妻を亡くした義昭さんは、同市上中田の自宅で自炊しながら1人暮らしをしていた。新聞数紙を購読し、中でも本紙を丹念に読み、地域の話題に関心を寄せ、日々を楽しんでいたという。
隆雄さんは週1回、義昭さんを自宅に迎えての昼食会を提案。その際に、義昭さんが購読している本紙1週間分を、まとめて持ってきてほしいとお願いした。
初めのうちこそ野菜などを届けるついでだったのが、いつしか毎日、新聞だけを届けてくれるように。義昭さんが「置いてくぞー」と声を掛けていく日常は、4年以上続いた。
亡くなった当日の朝も義昭さんは前日の本紙を持って隆雄さん宅を訪れ、その後、隆雄さんの弟夫婦、知人宅に顔を出したという。短く言葉を交わし、後ろ姿を見送ったのが、義昭さんとの別れとなった。
義昭さんはこの日の午後、本紙の掲示板コーナー「ほっとらいん」をきっかけに入会した、懐メロサークルの練習に参加。その最中に義昭さんが突然倒れたと連絡を受け、隆雄さんが病院へ。しかし義昭さんの意識が戻ることはなかった。原因は心臓の大動脈瘤(りゅう)の破裂だった。
救いは、義昭さんが歌う映像が残っていたこと。サークルの代表者が、亡くなる8日前の発表会での父の映像を編集し、通夜にDVDを持参した。その映像を葬儀会場で流したという。
車で約5分の距離とはいえ、別々に暮らしている親子が顔を合わせる機会はなかなかつくれない。毎日となればなおさらだ。別れは突然だったが、隆雄さんは「父は私や弟たちにあいさつを済ませて逝った。また映像も残してくれた。このような奇跡的な最期を、大好きな上越タイムスを通して準備したように思えてならない」としみじみ語る。
今月末は親族がそろい、壇払い法要を営む。自身のことが掲載された本紙紙面を囲むみんなの姿を、義昭さんは笑顔で見守ってくれるだろうと、隆雄さんは思いを巡らせている。