ヘルメットに懐中電灯、腰には命綱… 引退から20年、元オリックス「デカ」の現在地

身長194センチ、体重100キロの体を屈めてエレベーターの整備をする高橋智さん【写真:間淳】

オリックス“黄金時代”にはイチロー氏、田口氏と強力外野陣を形成した高橋智さん

「デカ」の愛称で親しまれ、オリックスやヤクルトでプレーした高橋智さんは今、名古屋市でエレベーターの整備工をしている。昼夜を問わず、故障の連絡を受ければ現場に駆け付ける。華やかな野球界を離れてから現在に至るまでの道のりは平たんではなかったが、野球でつながった縁と当たり前の幸せに感謝して第2の人生を歩んでいる。

【写真】日本人選手で初めてピアスを開けた高橋智さん 現在も現役当時の面影が

現役時代は身長194センチ、体重100キロ。大きな体から、ファンやチームメートから「デカ」と呼ばれた。高橋智さんは1984年ドラフト会議で4位指名されて阪急に入団。体格を生かした豪快な打撃でオリックス時代の1992年には29本塁打を放ち、ベストナインにも輝いた。当時、イチロー氏(マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター)や田口壮氏(オリックス外野守備走塁コーチ)と外野を組んでいた。1999年からはヤクルトで3年間プレー。通算124本塁打の記録以上に、記憶に残る選手だった。

現役引退から20年ほどが経ち、体重は20キロ増えた。54歳の高橋さんはその体を折りたたむように、現在は名古屋市でエレベーターの整備工として働いている。ユニホームは青いつなぎの作業着に変わった。現役時代のようにヘルメットをかぶっているが、小型の懐中電灯がついている。腰には転落事故を防ぐ命綱と安全ベルトが欠かせない。

高橋さんはエレベーターの保守点検で、企業や工場などを月に100か所ほど回っている。会社は故障の連絡に24時間対応しているため、夜中でも車に乗って顧客のところへ駆けつける時もある。「24時間稼働している工場もあるので、夜中に電話がかかってくることもあります。エレベーターが動かずに工場の作業効率が落ちれば、売り上げに影響します。できるだけ早く原因を見つけて通常通りに動くように作業しています」。試合日程が決まっていたプロ野球と違い、予定が不確定なのは日常茶飯事だ。

エレベーター整備工になって12年。ようやく安定した生活を手にした。現役引退後、プロ野球時代の知人の紹介でマッサージ店に勤務した。名古屋市の繁華街にある店だったため、勤務は夜11時から朝7時まで。2年ほど働いたが、子育て中の妻と相談して昼間の仕事を探すことにした。マッサージ店の常連客で野球好きだった会社経営者に声をかけてもらい、自動車関連の鉄鋼業に就いた。だが、3年ほど経った2008年にリーマンショックで仕事が激減。高橋さんは「会社に行っても材料がありませんでした。掃除をして1日が終わり、翌日は仕事が休みという状態。2人目の子どもが産まれていたので、まずいと思っていました」と振り返る。この窮地でも野球が新しい仕事に就くきっかけとなった。

ファンやチームメートから「デカ」と呼ばれた高橋智さん【写真:間淳】

「真っ直ぐに成長した子どもたちを見るのが幸せ」

「働いていた鉄鋼業の社長の知り合いで野球好きな人がいて、紹介してもらったのが今のエレベーター管理会社の社長でした。野球を通じた出会いに感謝しています。今の人生はなかったですから」

高橋さんはプロ野球選手の頃、派手な生活を満喫していたという。現在の生活は当時の華やかさはないかもしれない。しかし、当たり前の日常に幸せを感じている。仕事のモチベーションとなっているのが妻と3人の息子。自宅で過ごす時間が何よりの楽しみだ。息子は小学5年生、高校3年生、大学1年生と食欲旺盛。夕食のメニューが唐揚げなら3キロ、餃子なら150~200個と合宿所のような食卓になる。

「家に帰れば家族がいるので仕事に不満を持ったことはないです。高校生と大学生の息子はアルバイトをしていて、親の大変さを感じているのか、時々ごちそうしてくれます。特別な教育はしていませんが、真っ直ぐに成長した子どもたちを見るのが幸せです」

現役引退後に指導者や解説者をする元選手も少なくないが、高橋さんは野球への未練はないと言い切る。「野球を見る機会は減りました。今の一番の興味は、来年から規制が変わる安全ベルト。今までは腰だけでしたが、全身につけないと作業できない現場が出てくるので。点検ミスは重大な事故につながるので、目と耳で異変を見逃さないようにしていきたいです」。頭の中はエレベーターの安全と家族を守ることでいっぱいだ。

○高橋智(たかはし・さとし) 1967(昭和42)年1月26日、横浜市生まれ。54歳。向上高から1984年ドラフト4位で阪急に投手として入団。野手に専念した1987年に1軍デビューし、91年に23本塁打。92年には自己最多の29本塁打を放ってベストナインを受賞した。99年にヤクルトへ移籍、同年に16本塁打を記録した。2001年オフに戦力外通告を受け、翌02年に台湾プロ野球に挑戦し、シーズン途中で退団、現役引退した。NPB通算945試合出場、打率.265、737安打、124本塁打、408打点。

【写真】日本人選手で初めてピアスを開けた高橋智さん 現在も現役当時の面影が

日本人選手で初めてピアスを開けた高橋智さん 現在も現役当時の面影が【写真:本人提供】 signature

(間淳 / Jun Aida)

© 株式会社Creative2