ホロコースト生存者の映画「ユダヤ人の私」が警告する危険な未来 今に通じるナチス「国や社会は簡単に転ぶ」

ベルリン五輪の開会式で開会を宣言するアドルフ・ヒトラー=1936年8月1日

 ナチスによるホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)の生存者が波乱の人生を語る映画「ユダヤ人の私」が東京・神保町の映画館で公開された。ユダヤ人に起きた悪夢を「誰が想像できるだろう」と問い掛ける主人公マルコは、アウシュビッツ強制収容所などを生き延びた105歳。共同監督の一人、オーストリア人のクリスティアン・クレーネス氏はオンラインで取材に応じ「国や社会は簡単に危険な方向に転ぶ。その過去を忘れれば、過去はいつか未来になる」と警鐘を鳴らした。(共同通信=斉藤範子)

 ▽語り続ける

 主人公は1913年にハンガリーで生まれ、オーストリアの首都ウィーンで育ったマルコ・ファインゴルト。全編モノクロの映画の序盤、小さい頃の家族との思い出や、青年時代のビジネスでの成功を懐かしむように豊かな表情で語る。

 だが、オーストリアが38年にナチス・ドイツに併合されると、反ユダヤ主義が急激に広がり、人生が一変する。39年にナチスのゲシュタポ(秘密国家警察)に逮捕され、45年まで四つの強制収容所に収容された。

映画「ユダヤ人の私」の主人公、マルコ・ファインゴルト(C)2021 Blackbox Film & Medienproduktion GMBH

 「誰が想像できるだろう?あれは人間による所業なのだ」「ユダヤ人であるというだけで殺害された」「受け入れることなんて絶対にできない」

 射るような目線を向け、マルコは語り掛ける。

 オーストリアで最高齢のホロコースト生存者だったマルコは70年以上、語り部として自らの体験を語り、ナチスの罪を明らかにしてきた。そして「哀れなオーストリアはドイツに侵略された」と言い逃れるのは間違いだと訴え続けた。映画では、併合の際にナチスを迎えたウィーン市民の熱狂ぶりを証言している。

 ▽中傷にひるまず

 オーストリアは戦後、侵略の「被害者」という立場を長年保ち、93年になってようやく当時の首相が「オーストリアもナチスに加担した」と対外的に責任を認めた経緯がある。マルコは証言を続けたことで、長年にわたってユダヤ人差別に根ざす多くの誹謗中傷を受けた。

 映画では独白の合間、国内外からマルコに届いた罵詈雑言や警告が書かれた手紙が映し出される。ただ、マルコにひるむ様子は全くない。「私の身に起こったことを否定する者がいる限り、語り部の仕事は終わらない」

1938年、ナチス・ドイツの侵攻を歓迎するウィーン市民(C)2021 Blackbox Film & Medienproduktion GMBH

 ▽空気感

 「非人間的な時代を、自らの体験として語ってくれる証言者は少なくなっている。彼らの物語を未来に伝えることが私たちのミッションだった」

 4人の共同監督の1人であるクレーネス氏は映画製作の意図をそう説明する。マルコについては、高齢でも「とても明晰だった」と振り返った。

共同監督の一人、クリスティアン・クレーネス氏

 時代の記録として撮影を重ねるにつれ「これはただのドキュメンタリーではない」という意識を強く持つようになったという。マルコが語る時代に「今の社会に通じる空気を感じた」からだ。

 クレーネス氏が暮らすオーストリアでは2021年10月、首相が辞任した。世論調査の結果を改ざんするため、公金が報道機関に支払われた疑いがあり、捜査対象となっていた。

 民主主義はどういう状況にあるのか。報道の自由は守られているのか。クレーネス氏は「当たり前に『ある』と考えてはいけない」と強調する。「ドイツもオーストリアも機能した社会があったのに、あっという間にたがが外れた。この映画を未来への警告と受け止めてほしい」

 映画の撮影は18年から行われ、マルコは19年9月、映画の完成を待たずに106歳で亡くなった。クレーネス氏は「彼はもう語ることはないけれど、映画を通じて記憶は語り継がれる」と願っている。

 ▽私は知らなかった

 「ユダヤ人の私」はクレーネス氏らがホロコーストに関する証言を扱った映画の第2弾だ。18年に公開された前作の「ゲッベルスと私」は、ナチス・ドイツでプロパガンダを担った宣伝相ゲッベルスの女性秘書が当時を語った。

 撮影時103歳だった秘書は前作の中で、ユダヤ人の大量虐殺について「私は知らなかった」「私に罪があるとは思わない」と繰り返した。合間に差し込まれる当時のアーカイブ映像と、「何も知らなかった」と訴える秘書の独白の間で、観客は目を背けて気づかぬふりをした者の罪を考えさせられる。

 アーカイブ映像は今作でも印象的に使われた。ナチス親衛隊幹部で強制収容所への移送責任者だったアイヒマンの61年の裁判の映像も登場。自分は「命令に従っただけ」と主張していたアイヒマンは裁判で、市民の大多数が当時「起きていたことを考えようともしなかった」とひとごとのように述べている。「皆言いました。『私が反対してもムダ』」

アーカイブ映像に登場するアイヒマン=1961年(C)2021 Blackbox Film & Medienproduktion GMBH

 クレーネス氏は取材で「過去を繰り返さないために私たちは世の中で起きていることに常に注意深く目を向けなければならない」と語っていた。挿入した映像にはかつてナチスに加担した市民としての自戒が込められているのだろう。第3弾も製作しており、次作は強制収容所に入れられた元少年が主人公だという。

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 「ユダヤ人の私」は東京都千代田区の岩波ホールで2022年1月14日まで公開。

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