「22敗の借金は誇り」 1型糖尿病を抱えプロ16年、元阪神・岩田稔氏に独占インタビュー

今季限りで現役を引退した岩田稔氏【写真:荒川祐史】

阪神で味わった注目度の高さ「マスコミの数も凄かった」

今季限りで現役を引退した岩田稔氏。1型糖尿病と闘いながら阪神一筋でプロ16年間を戦い抜き、通算60勝82敗、防御率3.38の成績を残した。人気球団でプレーするプレッシャー、プロ入り前の挫折など、様々な苦悩を乗り越えマウンドに立ち続けた左腕がFull-Countの独占インタビューに答えてくれた。

――16年間、お疲れ様でした。野球のことを考えない初めてのオフシーズンとなった。

「時間がないですね(笑)。忙しくて、時間が足りないです。解放された部分もありますし。ですけど自分が次やりたいことの準備が忙しい。1型糖尿病関連のことを色々とやっていきたいなと。現役中は中途半端だったのでメインにやりながら、野球のことも離れたところから見ていこうと」

――1型糖尿病と向き合いながらの16年間、人気球団でプレー。

「長かったようで短かった。(1型糖尿病は)野球選手として結果が出なかった時は焦りは凄くありました。めっちゃ注目される球団やなと、入ってから気付きました。大阪出身だけどタイガースファンじゃなかったので新聞も見てなかったです。巨人ファンだったので(笑)、甲子園も見に行ったことはほとんどなかった。大学で投げてましたが、高校野球で甲子園に出られなかった。縁のない所だと。入ってから凄さを知る感じでしたね」

――阪神に入って注目度の高さを知ることに。

「練習を休んだだけで1面になる。リタイヤ1号とか、誰が興味あるねんって(笑)。それほど注目を集める球団で、マスコミの数も凄かった。2軍にいても記者が多かったイメージです」

――プロ入りしてから最初の2年間は5試合、0勝2敗と苦しんだ。

「最初は肘の故障があって入ってきたので。しっかり治してからという意識がありましたが、そこから結果が全然でなくて正直2年ぐらいで終わるなと思いました。当時はオーバースローで投げていて、球は速かったけどコントロールが悪くてストライク取るのがしんどかった。当時育成投手コーチだった遠山(奬志)さんに『腕下げてみないか?』と言われて。自分でもどうしたら分からない時期で、それをやってみたらハマった。球速も出るし変化球も曲がりが鋭くなって、コントロールも良くなっていきました。これでやっていけるかなと」

病気を理由に社会人野球は断られる「悔しかった」「断れたチームを倒すのを目標に」

――入団時はリーグ屈指の投手陣だった。

「1軍はほぼ決まっていたかな。先発ローテも井川さん、下柳さん、安藤さん、福原さんがいて。2年目で上園が新人王、後ろはJFK(ウィリアムス、藤川、久保田)がいて。隙ないやんって(笑)。自分は生き残りに必死だったのでチームメートじゃなく全員敵と考えていました。人と同じ事をしても上手くならない。練習でもそういったことをしていました」

――筋力トレーニングなどを早くから取り入れていた。

「ルーキーの時も練習が終わってから車で大学時代から行っていたジムに行っていました。球団の施設を使うと同じメニューしかない。正直、飽きていた面もありましたが、皆と同じ事して上手くなることないだろうと。色々なことを取り入れていました。癖のある奴だと思われていたのは事実。早い段階でそこに気付けたかなと思っています」

――プロ通算は60勝82敗、防御率3.38。勝ち負けが逆でもおかしくなかったように思える。

「僕らは抑え続けるしかないですからね。勝ち負けの操作はできない。逆に打たれ強くなった。完投負けもたくさんありましたし。そういう意味では相手のエース級と投げ合ったとも言えるかな。22敗の借金を背負ってますが、僕にとっては誇りです。先発の仕事はちゃんとできたかなと、結果の表れだと思っています」

――大阪桐蔭を卒業してから本当は社会人野球に進むはずだった。

「大人になった今なら理解できるんですけどね。当時は病気を理由に断られて。悔しかったですけど、このチームより良いところに就職してやろうと思って大学に行かせてもらった。大学に入ってもプロというより社会人の良いところにいって、そこ(断られた)のチームを倒すのを目標にやっていた。大学4回の春にリーグ戦前に対戦することがあって。当時の監督も事情を知ってるから『先発で行くぞ』と。僕も『分かりました!』と気合が入りました。結果は7回ぐらいで降りたけどほぼ完璧に抑えて『ほれ見ろ!』って感じで。その時は鬱憤じゃないですが溜まっていたものを吐き出せました」

――来季から阪神の「Community Ambassador」(コミュニティアンバサダー)に就任。1型糖尿病関連の講演活動なども同時進行で行っていく。

「病気を抱える子どもたち、その親御さんとか現役時代にあまりできなかった意見交換もしていきたいなと思います。僕を支えてくれた妻、家族にも感謝です。そういった意味では、これから日本の四季を感じられるかなと。色々なところに行きたいですね」(橋本健吾 / Kengo Hashimoto)

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