走り去った列車たち #2 八高線貨物列車

19990330 丹荘-群馬藤岡 5263レ P:鉄道博士

走り去った列車たち #1」で紹介したEF63が碓氷峠で走らなくなってから、私は八高線やわたらせ渓谷鐡道に撮影に行くようになりました。今回紹介するのは、八高線の高麗川駅から、1999年9月20日まで運転されていた、DD51重連が牽引する貨物列車です。八高線の高麗川駅近くの太平洋セメント・埼玉工場で生産されたセメントが、高麗川駅まで同社の専用線で輸送され、高麗川駅からは八高線を通って高崎方面へ輸送されていました。上の写真は1999年3月30日に撮影したものなので、廃止まで半年を切っていた時点の写真です。もちろん、フィルムカメラで撮影した写真です。今回の記事執筆にあたり、フィルムスキャナーでスキャンしてデジタルデータ化しました。

19990302 竹沢 5263レ P:鉄道博士

この写真は、竹沢駅を通過する貨物列車を撮影したものです。現在では、交換設備は廃止され、寂れてしまった竹沢駅ですが、当時は今より活気がありました。

この貨物列車の牽引に充当されていた、高崎車両センター高崎支所配属のDD51は数を減らしています。昨年、事業用気動車GV-E197系が登場したことにより、「小野上工臨」の砕石輸送からも撤退することになりました。

機関車牽引列車を気動車や電車に置き換えるのは、時代の流れではありますが、私は、一日も長くDD51の活躍を見守りたいと思っています。

【著者】鉄道博士 / Dr. Railway

生後2ヶ月より、鉄道を眺め始め、列車の音が、子守唄代わりになる。 3歳で、交通博物館(鉄道博物館の前身)のリピーターとなる。保育園に登園前の早朝から、最寄駅に年200回ペースで通い始める。 5歳で、鉄道に関するニュースが読みたい欲で、毎日、複数の新聞を読むようになる。小学校入学までには、ほとんどの漢字を読めるようになる。 小学校の入学祝いに「国鉄監修 交通公社の時刻表(現 JTB時刻表)」を買ってもらい、全ページ読破し、旅行の計画を立てるようになる。 10歳で、一眼レフでの鉄道写真撮影をスタート。学生時代は、鉄道の写真をひたすら撮る生活を送り、塾等も行かず、法政大学へ入学。 その後も、企業の取締役、海外との業務提携等の仕事をしながら、鉄道写真を撮り続け、鉄道誌に寄稿を続ける。 1949年以降の日本の車輌であれば、数百種類の車輌の解説が可能。それぞれの特徴や魅力も含めて何でも楽しく解説する姿から”鉄道博士”と呼ばれるように。

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