名将小嶺さん逝く

 明治大正期の政治家、後藤新平は「財を残すは下、事業を残すは中、人を残すを上とす」と説いた。プロ野球の名監督だった故野村克也さんも座右の銘にしていた▲高校サッカーの指導者として知られる小嶺忠敏さんが76歳で亡くなった。島原商高や国見高を率い、全国高校サッカー選手権やインターハイを何度も制する「事業」を成した上に、多くの「人」も残した。まさに名将と言える▲地方のハンディを補おうと、徹夜で自らマイクロバスを運転して全国各地に遠征したのは語り草だ。小嶺さんの情熱を目の当たりにしていたからこそ、選手たちは「妥協するな」と叱咤(しった)される厳しい指導にも付いていった▲全盛期の国見高は一人一人が自分の役割を理解し、決して手を抜かずプレーしていた。チームの根底に強い責任感があった。その強さは「徳育」を重んじた小嶺さんの教育と地続きだった▲小嶺さんは教育者として、サッカーを通し、たくさんの人材を育て上げた。教え子には日本代表やJリーグの選手だけでなく、指導者として活躍している人も多い。小嶺イズムは脈々と引き継がれていくはずだ▲プロサッカークラブのV・ファーレン長崎の誕生に尽力したのも忘れられない。事業も人も残し、なお現場に立ち続けた名将の死が、ただただ惜しまれる。(潤)

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