小嶺忠敏さん死去 全国高校サッカー6度優勝 76歳 

サッカー界の発展に尽力した小嶺忠敏氏。2000年度は県立国見高を率いて全国3冠を達成した=2001年1月、東京・国立競技場

 冬の全国高校サッカー選手権で県立国見高を戦後最多タイとなる6度の優勝に導いた小嶺忠敏(こみね・ただとし)氏=現長崎総合科学大付属高監督=が7日午前4時24分、肝不全のため長崎市内の病院で死去した。76歳。通夜は8日午後5時半から随時(同7時開会)、告別式は9日正午から、いずれも南島原市深江町丁4593、南高葬儀社セレモニーホール寳玉殿で。喪主は妻の厚子(あつこ)さん。
 終戦間近の1945年6月、南島原市(旧南高有家町)生まれ。大阪商業大卒業後の68年、母校の県立島原商業高に商業科教諭として赴任してサッカーの指導を始め、77年のインターハイで九州勢として初優勝を飾った。84年に国見高に移り、全国高校選手権で戦後最多タイとなる6度優勝。約54年間の指導者人生で100回を超える全国大会出場と17度の全国制覇を成し遂げ、高校サッカー界の名将として知られた。
 元日本代表の大久保嘉人氏(39)や全国高校選手権最多得点記録を持つ平山相太氏(36)ら、日本を代表する選手や70人を超えるJリーガーを育成。その手腕からU-17、U-19の日本代表監督も務めた。
 1988年に長崎県民栄誉賞第1号となり、2004年に長崎新聞文化章、05年に文部科学大臣表彰を受けた。08年からは長崎総合科学大の特任教授を務めながら、付属高のサッカー部を指導していたが、昨年12月下旬に体調を崩して入院していた。

◎県民に大きな夢や感動 中村法道知事の話

 長年にわたって本県サッカー界をけん引され、県民に大きな夢や感動を与えてくださった。これからもわが国を代表する指導者として、ますます活躍していただけるものと期待していただけに、突然の訃報に接し、大変残念な思いを抱いている。心からご冥福をお祈り申し上げたい。


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