4つ以上のディケードでプレーした選手たち 公式サイトが特集

メジャーリーグ公式サイトのデービッド・アドラー記者とアンドリュー・サイモン記者は「4つ以上のディケード(=年代)でプレーした選手」を紹介する特集記事を公開した。両記者は記事のなかで「長くプレーするためには驚異的な耐久力や生命力のほか、不屈の精神、そして運とタイミングのよさも必要だ。ディケードの終わりにキャリアをスタートさせると一番有利になる」と指摘。なお、4つ以上のディケードでプレーした選手は過去31人しかおらず、通算500本塁打(28人)や通算3000安打(32人)と同等の難易度ということになる。

記事中で紹介されている31人のなかに5つのディケードでプレーした選手が2人だけいる。1920年代から60年代までプレーしたサチェル・ペイジと1940年代から80年代までプレーしたミニー・ミニョソだ。

先月、時代委員会の選考によりアメリカ野球殿堂入りを果たしたミニョソは「史上唯一の5ディケード・プレーヤー」として知られていた。1949年にインディアンス(現ガーディアンズ)でメジャーデビューし、1964年ホワイトソックスを最後に引退。しかし、ホワイトソックスのビル・ベック・オーナーのアイデアにより1976年に50歳で3試合、1980年に54歳で2試合に出場して「5ディケード・プレーヤー」となった。なお、ニグロリーグの記録がメジャーリーグの公式記録として認定されたことにより、ミニョソのデビューは1946年となっている。

ニグロリーグで活躍した伝説の名投手・ペイジは1948年(当時42歳)にインディアンスでメジャーデビューし、1953年限りで引退。ところが、1965年にアスレチックスと1試合だけの契約を結び、59歳で3イニングを無失点に抑えた。この時点では1940年代から60年代までの「3ディケード・プレーヤー」に過ぎなかったが、ニグロリーグの成績が加わることで「5ディケード・プレーヤー」の仲間入りを果たした。

4つ以上のディケードでプレーした選手は以下の31人。なお、1999年以前にデビューした選手のなかに2020年代もプレーした選手はいない。新たな「4ディケード・プレーヤー」の誕生はしばらくお預けということになりそうだ。

ダン・ブローザース(1879-1904)
ジム・オルーク(1872-1904)
キッド・グリーソン(1888-1912)
ディーコン・マグワイア(1884-1912)
ジャック・オコナー(1887-1910)
ジャック・ライアン(1889-1913)
ニック・アルトロック(1898-1933)
エディ・コリンズ(1906-30)
ジャック・クイン(1909-33)
ボボ・ニューサム(1929-53)
サチェル・ペイジ(1927-65)
ミッキー・バーノン(1939-60)
テッド・ウィリアムス(1939-60)
アーリー・ウィン(1939-63)
ウィリー・メイズ(1948-73)
ミニー・ミニョソ(1949-80)
ジム・カート(1959-83)
ティム・マッカーバー(1959-80)
ウィリー・マッコビー(1959-80)
ビル・バックナー(1969-90)
リック・デンプシー(1969-92)
カールトン・フィスク(1969-93)
ジェリー・ロイス(1969-90)
ノーラン・ライアン(1966-93)
リッキー・ヘンダーソン(1979-2003)
マイク・モーガン(1978-2002)
ジェシー・オロスコ(1979-2003)
ティム・レインズ(1979-2002)
ジェイミー・モイヤー(1986-2012)
ケン・グリフィーJr.(1989-2010)
オマー・ビスケル(1989-2012)

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