「権力を匿名にしない」「匿名は裏取りできない記者の逃げ」 第1回新聞協会賞の真価 毎日新聞(1957年) [ 調査報道アーカイブス No.82 ]

◆「暴力新地図」「官僚にっぽん」「税金にっぽん」の3部作

日本新聞協会による「新聞協会賞」が始まったのは、1957年だった。今から65年前のことである。報道メディアの主流が、新聞だった時代。新聞協会賞も現在と比べものにならないくらい威厳があっただろう。初回の受賞作には、毎日新聞東京社会部の「暴力新地図」「官僚にっぽん」「税金にっぽん」という3つの連載が選ばれた。

当時の毎日新聞の社会面には、興味深そうな連載が並んでいる。同協会の月刊誌『新聞研究』(1957年10月号)に書き残された同社会部の寄稿文によると、受賞対象外だった連載にも以下のようなものがあった。

・砂糖メーカーの過当利益、砂糖行政の腐敗を台所につながる問題として取り上げた「砂糖は狂っている」(全9回、1955年10月)
・日本に根を張る外国資本の実態を暴いた「白い手・黄色い手」(全37回、1956年4月〜)
・国有財産監理の乱脈ぶりを暴いた「白アリは巣食う 国有財産の実態」(全18回、1957年7月)

この流れの先で、「暴力新地図」「官僚にっぽん」「税金にっぽん」の3シリーズは始まった。取材の中心になったのは、戦時中の1943年入社した中堅の記者たち。1つのチームに4〜6人を配置して「目録作成」という名の企画コンテを作成し、1カ月半〜2カ月に及ぶ調査活動が続いたという。取材班のつくり方などは現在の報道機関とほぼ同じ。取材のプロセスもまさに調査報道取材である。

◆主張や意見ではなく、事実を事実のままに

この3シリーズを企図した背景について、先の寄稿文はこう続いている。

複雑な機構のもとに動いている現代人の生活には、そこに多くの不当なるもの、不正なるものが見いだされる。これらのユガミや社会悪に対し、社会正義の観点から万人が等しく激しい怒りと憤りを持つ。よりよい生活を、より住みよい社会を作り上げていくためには見逃すことのできない現実の姿である。われわれは、あくまで主張や意見を述べるのではなくて、事実を事実のままにこれを追求していった。この系列の連載特集はことに読者の強い支持と共鳴を呼ぶ。寄せられた多くの投書がこれを裏書きしている。

第1回新聞協会賞に関する『新聞研究』(1957年10月号)の記事

◆“権力を持つ相手を匿名にすると、取材があいまいになる”

「暴力新地図」は「ヤクザや暴力団の単純な暴行沙汰ばかりでなく、政治や宗教、あるいは右翼、警察、言論という分野にまで根を下ろした暴力の実態を解き明かしたい」として始まった。「官僚にっぽん」は戦前から続く特権的な官僚による支配の実態などを。「税金にっぽん」は税制の歪みだけでなく、徴税現場で恣意的な判断が働いているといった実態なども描き出した。この3シリーズの特徴は、多くの関係者が実名で登場することだ。

先に示した『新聞研究』で、毎日新聞社会部長の三原信一氏は、この取材ほど取材源の秘匿に気を遣ったことはないと言いつつ、こう書き記している。

われわれは、ごく特殊なケースを除いては、あえて匿名で扱うことをしなかった。個人の秘密や名誉を尊重するという新聞報道の原則を持ち出すまでもなく、われわれは、毛頭、個人を傷つける意図はなかったが、公務員が公務に関して取った行動については、あくまで公の責任が取られなければならないと考えたからである。

一般にこの種の新聞報道については、記事の素材となった情報の確実性を究明しきれないままに、匿名にしたり表現をあいまいにぼかすことで逃げるような状況がないとはいえないようである。われわれは、こういう手段を取らない。もしそうしていたら、この連載特集も読み物としてはもっと“面白い”ものになっていたかもしれないが、記事としての真実性では読者の信頼にこたえることができなかったであろう。

権力を匿名にしない、匿名は裏取りできない記者の逃げではないか、という宣言だ。何という毅然とした姿勢だろうか。実名で書くために取材を尽くす。徹底して事実にこだわる。裏が取れないからといって「関係者によると〜」といった表現に逃げない。そういう宣言である。現代の取材者には、耳の痛い部分も多いのではないか。

◆たった数行の裏取りに徹底して力を尽くす

実際、当時の取材チームは次のように行動した。ある政治家がテキヤから政治資金をもらったという話については、カネのやりとりの現場に居合わせた人物を探し出して証言してもらい、さらに資金供与の証文を手に入れるまで取材を続けたという。たった5行の文章の裏取りのためだった。

また、新橋界隈を仕切っていた暴力団幹部の行方を調べていたときには、当人はもう死亡しているのではないかとの情報に突き当たる。死んだ場所が関西方面と言われたため、大阪に出向くがつかめず、今度は東京・三田界隈の墓地をしらみつぶしに歩き、ようやく墓石を確認した。これも数行のためだったという。

新聞協会賞を授与するに際して、日本新聞協会はこう講評している。

この一連の企画記事は暴力、汚職など社会悪の裏面をついて、よく社会の寄生虫的分子、日本の官僚機構、税制の実態を明らかにし、これら問題の解決の必要なことを大衆に深く印象づけた。その取材に当たっては脅迫、政治的圧力などにより多くの困難があったにもかかわらず、社会部員の一致した決意と大衆の支持によって大きな成果をあげ、新聞の社会的使命を高度に発揮した。

毎日新聞の取材に掛けた思い、その徹底した取材ぶり、新聞協会賞に対する講評。そのいずれも、今から65年前のものとは思えない。取材テーマも現代に通じるものがある。何よりも調査報道という言葉すら生まれていなかった時代に、第1回の受賞作という出発点において、調査報道の取り組みが高い評価を得ていたことに驚く。

(フロントラインプレス・高田昌幸)

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