〝帰りたい場所はグラウンド〟 小嶺忠敏さん告別式に1500人 南島原市

霊きゅう車に小嶺さんのひつぎを乗せる教え子ら=9日午後1時44分、南島原市深江町、南高葬儀社セレモニーホール寳玉殿

 長崎県立国見高サッカー部を率いて全国高校選手権を戦後最多タイの6度制し、7日に76歳で死去した小嶺忠敏さん(現長崎総合科学大付属高監督)の葬儀・告別式が9日、南島原市深江町の葬斎場で営まれた。親族や教え子、サッカー関係者ら約1500人が参列し、故人に最後の別れを告げた。
 祭壇にはジャージー姿で選手を指導する50代ごろの小嶺さんの遺影。ひつぎの周りには愛用のグラウンドコートやサッカーボールが並べられた。日本サッカー協会の田嶋幸三会長(64)は「多くの素晴らしい選手、監督を育てたことに日本サッカー界を代表して感謝したい。先生の教えを忘れることなく、日本サッカーを前に進めていく」と弔辞を述べた。
 喪主の妻厚子さんに代わり長女の伊藤ゆりさんが遺族代表あいさつ。「島原商高(時代)が前半戦で国見高(時代)が後半戦。まだまだ勝負は終わらず、延長戦の長崎総合科学大付属高と、最後の最後までグラウンドに立ち続けた幸せなサッカー人生でした」と振り返った。
 今冬の全国選手権で監督不在の中、戦う同付属高の選手への思いも口にしていたという小嶺さん。「父は何度も『病院を退院する』『生徒の待つ東京に行きたい』と訴え続けた。父の帰りたい場所は生徒たちの待つグラウンドだった」と涙声で話すと、会場のあちこちからすすり泣く声が漏れた。
 元日本代表FWで、J3相模原監督の高木琢也さん(54)は「心の整理が付かないが、これから先も小嶺イズムを継承していく」と涙をぬぐった。J3北九州の小林伸二スポーツダイレクター(61)は「自分にとって先生は羅針盤。悩んだ時にはよく相談した。指導者として、サッカーへの情熱を大事にする、選手を大事にする、自分で動いてみせる、ということを教わった」と振り返った。
 現役を引退した元日本代表FW大久保嘉人さん(39)とのホットラインで国見高時代、2000年度のインターハイ、国体、全国選手権の3冠を達成した松橋章太さん(39)は「監督を胴上げしたい一心で戦った。選手権で優勝した直後、ロッカールームで喜んでいたら『勝ってかぶとの緒を締めろ』と怒鳴られた。謙虚さを忘れてはならないという戒めだった。天国でゆっくり休んでほしい」と恩師を悼んだ。


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