【読書亡羊】米議会襲撃事件の裏と日米の政治家の差 ボブ・ウッドワード、ロバート・コスタ『PERIL 危機』(日本経済新聞出版社) その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする週末書評!

「その時」、何が起きていたのか

一年前の、2021年1月6日

本書、ボブ・ウッドワード、ロバート・コスタ『PERIL 危機』はトランプ支持者たちが米議会を「襲撃」したその場面から始まる。

米軍の制服組トップにあるマーク・ミラー米統合参謀本部議長は、中国人民解放軍トップに電話をかけ、「米国は混乱しているように見えるかもしれないが、100%安定しています」「中国を攻撃する意図はありません」と訴えた。

「トランプが選挙での敗退を避けるため、中国に何らかの攻撃を仕掛け支持率回復を狙うのではないか」

このように中国がアメリカの動向を疑っていたことは、2020年10月時点の機密情報で明らかになっていた。そこへきての議会襲撃。中国だけでなく、ロシアやイランなども不測の事態に備えるべく、警戒レベルを上げていたとされる。

さらに緊迫の場面は続く。ペロシ下院議長とミラーの会話だ。このやり取りも電話を介したものだが、本書では、メモと取材を基に再現されている。

〈「どういう予防措置が使えるかしら」ペロシが聞いた。「精神的に不安定な大統領が軍事的敵対行為を開始したり、発射コードを手に入れて核攻撃を命じたりするのを防ぐのに。この錯乱した大統領がもたらしている緊急事態ほど危険なものはないわ……」
ミリーは答えた。「……統合参謀本部議長の私に確約できるのは、たった一つのことだけです……米軍は武力の使用にあたって、核攻撃であろうと外国における何らかの攻撃であろうと、違法なこと、常軌を逸したことはやらないと、私は110%確約します」

会話からは、トランプ大統領(当時)に対する、強い不信感と警戒がにじみ出ている。

トランプ政権には功績があり、「トランプ的なもの」が生まれた分断の背景には、左派・インテリによる「古き良きアメリカ」を愛する人々への見下した視線があったことも事実だろう。

だが、本書によれば「大統領選に負けたことを理解しながらも、『あなたは負けていない、選挙は奪われたのだ』と吹聴する周囲の人々の世界観に引っ張られ、大統領選陰謀論を煽ってしまった」トランプ大統領は、自らの将来や功績を、自ら葬ったに等しい。非常に残念だが、本書にはその経緯が詳述されている。

バイデンの「聞く力」は奏功したか

これまで、筆者の一人であるボブ・ウッドワードは米国の歴代政権の内幕を取材してきた。トランプ政権時代も、『FEAR 恐怖の男』『RAGE 怒り』を出版しており、本書は三作目にあたる。

トランプが再選を期す大統領選が焦点となることから、バイデン周辺も取材。トランプ陣営との対比もあってバイデン陣営は「実に良識的」に思えるが、良識があるからと言って国内の問題をうまく処理できるとは限らないことも見えてくる。

例えばコロナ対策では、当初「漂白剤を飲め」などと吹聴したトランプと、問題発生当初から専門家の見解に日々真剣に耳を傾けていたバイデンの「聞く力」が対比される。

だが現状を見れば、「マスクをするか否か」「ワクチンを打つか否か」までが政治理念上の対立を生んでおり、バイデンの大統領就任から一年の間にも、感染者数、死者数ともに増加し続けた。

ワクチン接種を妨害しているのは共和党陣営だとの指摘もあるが、バイデン批判の中には「マスクを無償配布すべき」といった、「アベノマスク」配布政策踏襲を勧めるかのような専門家の指摘もある(在庫をアメリカに送ってはどうか)。

日米ドキュメント作品の埋めがたい差

さて、冒頭、紹介した「米議会襲撃事件」時に起きていた「二本の電話」は、原書発売時に多くの報道機関に取り上げられた。二人の筆者の大スクープである。

なぜこれほど臨場感のある、核心情報をつかむことができたのか。本書の〈読者への覚書〉に、その理由が垣間見える。

描写されている出来事に直接かかわったか、それをじかに目撃した200人以上との数百時間のインタビューをもとに本書は書かれている。ほぼ全員がインタビューの録音を承諾した。

文末には〈トランプ前大統領とバイデン大統領は、本書のためのインタビューを拒否した〉とあるが(ただし前作でトランプはオンレコ取材に応じている)、本人に聞かずとも、これだけの記述が徹底した取材で可能になるのかとかえって驚いた。

翻って本邦はどうか。本書(邦訳版)と時を同じくして発売された日テレ政治部記者・柳沢高志『孤独の宰相―菅義偉とは何者だったのか』(文藝春秋)と比べると、かなり差があると言わざるを得ない。

『孤独の宰相』は菅前総理の信頼を得た記者だけが聞き得た、直接あるいは電話による「菅総理の生の声」をふんだんに取り上げている。だが、単に日々交わされた柳沢記者との会話とその時の政治状況が羅列されるのが大半で、その「生の声」をあえて掲載したことの政治的・歴史的な重みが、さほど読み取れないのだ。

ウッドワードは二百人に数百時間取材

一部報道によれば、菅前総理と柳沢記者とのやりとりはあくまで「オフレコ」前提であり、ウッドワードらの取材のように「録音・公開を承諾」したものではないという。

もちろん、政治的・歴史的な意味合いが勝れば「オフレコ破り」はむしろ記者としてとるべき手段だろう。だが『孤独の宰相』の多くの部分は、オフレコ破りをしてまで掲載する意味があったのか、疑問なのだ。

多少、極端な例ではあるが一例を紹介しよう。官房長時代の菅がトランプ政権のペンス副大統領と会談した後の場面。セントラルパークでの散歩を楽しみにしていた菅が秘書官にこう述べたという。

「浮かれた感じで報道されると、昨日までの完璧な成果が台無しになるから、緊張感を持って歩こう」
どこまでも慎重さを崩さない菅らしい言葉だった。

取り立てて意外性もないし、政治的決断にも無関係だ。

何より、一方が「オフレコ破り」であるのに対し、一方は情報源を明かさないながら、関係者が見ればネタ元が分かってしまいそうなディープな情報を、公開前提で提供してくれる関係者が200人以上もいたという点に違いがある。

保身に満ちた議員たちの惨状

ただ、それも仕方がないのかもしれない。

『PERIL』では、トランプ大統領の精神状態が危ぶまれ、議会突入事件で文字通り議員と国民の生命が危険にさらされる中、米国の議員や軍人たちが何とか冷静であろうとし、「最悪の事態」を避けるべく奮闘していた様が詳述される。

一方、『孤独の宰相』に描かれているように自民党議員たちは、「菅総理では次の衆院選を戦えない」との情報が入るや否や、党内から「菅下ろし」を実行している。自らの議席の危機を前に、一年前に自らが選んだ総裁を引きずり下ろしたことになる。囲み会見で泣いて見せた閣僚もいるなど、ほとんどパニック状態だったようだ。

こうした自民党議員に取材を試みたところで、保身に満ちた言説しか出てこないに違いない。

梶原麻衣子 | Hanadaプラス

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