人口約3000人の町から世界へ挑戦。町民の前のめりな提案に導かれて移住を決意【北海道下川町移住者インタビューVol.09】

Profile

46歳 下川町森林組合、森林管理員・チェンソーアーティスト 愛媛県生まれ
1999年に移住

撮影に伺った日は、ちょうど下川神社に奉納する干支のチェンソーアートを制作中だった児玉さん。
「今年で、12体全部そろうんよ」と親子のオオカミの形をした作品を見せてくれた。

いまやチェンソーアーティストとして世界的に有名な児玉さん。下川町の個性的な住民がもたらす、ちょっと前のめりの提案が、児玉さんを下川とチェンーアートへ導いた。

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林業には職人の技が詰まっている

生まれも育ちも愛媛県松山市の街中でしたが、田舎暮らしに憧れて、結婚後に松山市のはずれに移住しました。「そこで求人があったから」程度の気持ちで林業に就労したのですが、いざ始めてみるととてもおもしろかったんです。
木を切る、植える、育てるというシンプルな仕事の中に、土質や地形の見極めや草の刈り方、自然災害時の知恵など、職人の技がたくさん詰まっていて。
同時に北海道への憧れも抱き続けていて、林業の専門誌に掲載されていた下川町に興味を持ちました。

そこで、アポなしで森林組合を訪れてお話しを聞かせてもらったんですが、帰ってきてしばらくすると内定通知が届いたんですよ。就職したいなんて一言も話していないのに(笑)。そのときに、まあ、職や場所を探す手間も省けたし、いいかなと思って移住しました。
僕は長男だし、愛媛を離れることに対していろいろ思うところもあったけど、妻が乗り気で、これもご縁かなと思って。4歳になる娘と3人で下川にやって来たんです。

冬の早朝は-30℃を下回ることもあります

仕事道具が遊びに使え、遊びの経験が技術を向上させる

来てすぐに、森人類(しんじんるい)という森林ボランティアのサークルに入りました。五味温泉の山に遊歩道をつくったり、都会から人を呼び込む林業体験ツアーの企画・運営をしたりして。友達もすぐできたので、さびしい思いはしなかったですね。

その頃、僕が住んでいる近所に、自分の山を気に入った人に開放して、好きなことをさせてくれる人がいたんですよ。ある日、「テレビの取材がくるから、丸太をチェンソーで削ってアート作品を作ってみない?」と言われたのが、チェンソーアートを始めたきっかけです。山でも遊びでも技術が向上できるならいいなと思って。

最初は時々チェンソーアートを作るだけでしたが、そのうち毎週末作品を作るようになり、人前でもやるようになりました。2004年に初めて競技会に出て、2006年に優勝したのを機にチェンソーアートジャパンの契約カーバー(=チェンソーアーティスト)になりました。

ひと工夫して、ワクワクしながらやることがモチベーション

森の仕事をしている間も休日も、いつでもチェンソーアートのことが頭にあります。誰もやったことのない表現や技術で作品をつくりたいし、現在の半分の時間で、いいものを勢いよく作りたいと思っていて、どうしたらできるかなと考えているんです。

仕事でも同じですが、「どこを改善したらいいかな」「こうしたらどうなるかな」と考えるとワクワクします。いつでも、ちょっとずつ工夫して改善していきたいんですよね。
こうやって「なにかやろう」という気持ちを持ってチャレンジし続けるには体力がいるので、これからは運動して身体を整え、心身を保っていきたいと思っています。「歳だから」って言いたくないんですよ。

そうして作品づくりが今の半分の時間でできるようになったら、仕事でもチェンソーアートでもない、違うことをやりたいですね。それが何かは見えていないんですが、生きる目的が一つだと行き詰った時にどうしようもなくなってしまうので。そうだなぁ……、アウトドアが好きな奥さんと2人で楽しめることを、始めたいですね。

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