【中原中也 詩の栞】 No.34 「むつよ」(生前未発表詩)

あなたは僕より年が一つ上で
あなたは何かと姉さんぶるのでしたが
実は僕の方がしつかりしてると 僕は思つてゐたのでした

ほんに、思へば幼い恋でした
僕が十三で、あなたが十四だつた。
その後、あなたは、僕を去つたが
僕は何時まで、あなたを思つてゐた……

それから暫(しばら)くしてからのこと、
野原に僕の家(うち)の野羊(やぎ)が放してあつたのを
あなたは、それが家(うち)のだとしらずに、
それと、暫く遊んでゐました

僕は背戸から、見てゐたのでした。
僕がどんなに泣き笑ひしたか、
野原の若草に、夕陽が斜めにあたつて
それはそれは涙のやうな、きれいな夕方でそれはあつた。

(一九三五・一・一一)

       

【ひとことコラム】「すずえ」「むつよ」「終歌」の三篇からなる「初恋集」の中の一篇。幼い失恋の悲哀が切なく美しい情景を通じて描かれている。〈背戸〉は家の裏口のこと。中也の生家では裏の畑でヤギが飼われていて、その鳴き声が遠く哀れげに響いていたと、弟の思郎が伝えている。

中原中也記念館館長 中原 豊

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