「軽症で回復したはずだった」コロナ後遺症の深刻な実態

1年以上苦しみ、今なお治らない記者の記録

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上咽頭擦過療法(EAT)と呼ばれる治療を受け、痛みをこらえる記者=2021年7月6日、東京都

 新型コロナウイルス感染症の症状がどんなものかは多く報道されているが、回復後の後遺症の実態は意外と知られていない。記者(33歳、女性)は、感染から1年たった今も後遺症に苦しんでいる。体の痛みで座っていられずにのたうちまわり、ひどい倦怠感で日常生活がままならない時もあった。仕事も長期の休職を余儀なくされた。治療である程度は改善したものの、今も本調子にはほど遠く、再び悪化するかもしれない恐怖と闘う日々だ。

 若年層は感染しても重症化しにくいからと、油断しないでほしい。コロナ感染自体はたいしたことがなくても、その後に重い後遺症に苦しむ人は多くいる。記者の体験から、その深刻さを知ってもらいたい。(共同通信=秋田紗矢子)

 ▽感染判明、でもずっと軽症

 コロナ感染が判明したのは昨年1月。東京ではいわゆる「第3波」と呼ばれ急拡大していた時期だ。自分もいつ感染してもおかしくないと感じ、一切の会食を控え、友人の家に集まる予定もキャンセル。習っていたヨガもオンラインに切り替えていた。

 味覚がなくなっていると気付いた瞬間は鮮明に覚えている。当時、JRの駅構内にある自販機だけで売っている割高なりんごジュースがマイブームだった。飲むと芳醇なりんごの香りが鼻に抜ける。

 ところが1月15日午後8時ごろ、帰宅途中にりんごジュースを飲んだが、味がしない。ただ冷たい水を飲んでいるようだった。まさかと思い、家にあったありとあらゆるものを口にした。お茶、牛乳、ビール…すべて水を飲んでいるよう。キムチは砂をかんでいるようだった。これが味覚障害か―。感染を確信した。

 翌16日朝、近くのクリニックを受診。抗原検査で陽性と診断されたが、重症化はしなかった。熱が上がらず、せきもない。当時住んでいた品川区からはすぐにレトルト食品などが届き、保健所も毎朝、体調を確認する電話をくれた。

感染後、品川区から送られた就業制限についての文書

 自宅待機の10日間は軽症のまま過ぎた。ただ、起き上がるのがおっくうになるような倦怠感は残ったため、大事をとって職場復帰は2月からにした。

 復帰初日、明らかな異変があった。電車で30分ほど通勤しただけなのに、激しい疲労感をおぼえ、会社に到着するなりソファに倒れ込んだ。

 この疲労感には覚えがある。かつて、登山でテントを担いで北アルプス・涸沢を目指し、5時間以上歩き続けた。それでもたどり着けず、ゴール目前で一歩も歩けなくなって座り込んでしまった。あの感覚に近い。

 このときはまだ「コロナで体力が落ちたからか」としか考えなかった。しばらくたつと、異常な疲労感や倦怠感は通勤だけでは出なくなり、だんだん収まっていくのだろうと信じていた。

 ▽倦怠感、一度消えた後急激に悪化

 4月上旬になると、断続的に続いていた倦怠感はなくなっていた。「コロナを振り切った」と思った。それまでは体が重くて仕事が手に付かない日も多かったが、ようやく思い通りに体が動くようになり、仕事に一層打ち込んだ。

 プライベートでは、以前から始めたいと思っていたゴルフのレッスンを受けた。マンツーマンで指導を受けながら、ゆったりと約1時間スイング。軽い運動で、直後はなんともなかった。

 

実家に身を寄せる直前の昨年5月、体調が思わしくないことを母に相談したLINEのやりとり

 ところが1週間後、急激に倦怠感が強くなった。体が鉛のように重く、動かせない。とても出社できない日が続いた。あまりのしんどさに、コロナに再び感染したのではないかと疑い、PCR検査を受けた。結果は陰性。当時はちょうどゴールデンウィークだった。連休の間の平日も休むことで計10日の休みを取ったが、あまり回復しない。

 連休明け。体がつらくて、とても通勤電車には乗れない。重い体を引きずってタクシーで出社し、なんとか宿直勤務に入った。しかし、3時間もたたないうちに体が強く痛み、座ってもいられなくなった。上司に説明して早退させてもらった。

 倦怠感もひどく、もう何もできない。一人の生活に限界を感じ、実家の世話になることにした。30歳を過ぎて実家に戻り、家事の一切を親に任せなければならない自分が情けなかった。

 ▽「今のままでは寝たきりになる」と医師に言われ、休職

 コロナの後遺症に詳しいヒラハタクリニック(東京)の平畑光一医師によると、後遺症が悪化して筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群(ME/CFS)に移行し、寝たきりになるケースもあるという。

 記者も診察を受けると「そのままでは寝たきりになる。絶対安静」と言われた。しばらく休職することにした。

 このクリニックを訪れた人のうち、仕事を持っていた人は1832人(昨年12月18日時点)。うち736人が休職したという。時短勤務などを含めると、3分の2が仕事に影響が出ているとも聞いた。

 平畑医師によると、ME/CFSの傾向が強くなると、普段なら何ともないような活動をしてから5~48時間後に強い倦怠感が出ることがある。その現象は「PEM」と呼ばれる。記者もこの時期、比較的元気に過ごせる時間と、倦怠感や体の痛みでぐったりしている時間があり、体調には波があった。

 不調の波は、動ける時間帯に何か行動をしたことが原因となっているようだ。だからだろう。平畑医師は患者に「だるくなることをしないで」と繰り返し呼び掛けていた。調子の波の振れ幅をなるべく小さくし、PEMを引き起こさないようにすることが症状の改善には肝要らしい。

記者の2021年6月14日の日記。寝たきりに近づく恐怖にさいなまれていた

 記者も気を付けたが、それでも症状が最もひどかった6月は、不調の波が否応なしに押し寄せ、本当に気がめいった。グレープフルーツの皮をむくだけで、ドライヤーで髪を乾かすだけで、不調となった。

 中でも特に「不調の大波」に見舞われると、体の中で何か強い炎症が起きているような不快感と体の痛みで、発狂しそうになった。親にはとてもそんな姿を見せられず、部屋でひとり、床をのたうちまわった。手元にあった家電のコードが目に入った。死んでしまった方が楽かも知れない。そんな感覚は初めて。この苦痛から本当に逃げ出したいと思った。

 ▽耳鼻科で70回の激痛治療。改善の手がかりに

 この頃の自分は暗いトンネルの中にいるようだったが、7月末ごろから徐々に改善した。役に立ったとみられるのは「慢性上咽頭炎」の治療だ。

 日本病巣疾患研究会の堀田修理事長によると、後遺症患者の多くが重度の慢性上咽頭炎という。ウイルス感染などにより、鼻と喉の境で炎症を起こして慢性化すると、うっ血状態となり、脳機能が低下して自律神経障害などを引き起こすと考えられている。

 

EATでは塩化亜鉛溶液に浸した綿棒で上咽頭をこする

 これに対する治療は上咽頭擦過療法(EAT)と呼ばれる。塩化亜鉛溶液を浸した綿棒を鼻や喉から突っ込み、患部をこすって亜鉛の殺菌作用で上咽頭のうっ血状態を解消し、炎症を和らげる。

 堀田理事長によると、新型コロナワクチン接種後、倦怠感などの慢性的な不調が続く人も慢性上咽頭炎になっている人がおり、EATによる効果がみられるという。

 記者も治療を受けるべく近くの耳鼻科に通った。上咽頭には重度の炎症が起きており、最初はすさまじい激痛でパニックを起こしそうになった。例えるなら後頭部を鈍器で殴られるよう。あまりの痛みに、病院を出た後に何度か一人で泣いた。ただ、処置後は頭が晴れ渡るようにすっきり。なぜか気持ちも一気に前向きで穏やかになった。

 そうなって初めて、これまでいかに不調だったかを認識できた。何より改善の手がかりを得たのがうれしく、我慢して70回以上、治療に通った。

 ▽不眠、しびれ、胃もたれ…もぐらたたき状態

 記者は倦怠感や体の痛み以外にも、細かな不調には悩まされていた。不眠、胃腸の不調、体のしびれ…。不調がひとつ治まったと思うと、別の不調が起きる。もぐらたたきをやっているようなもどかしさを感じた。

 体の痛みが特に強かった6~7月に悩まされたのは、不眠だ。寝付きが悪い上、悪夢でうなされる日々が続く。銃撃戦に巻き込まれる夢。実在する取材先から激しく責められる夢。これが連日続き、ぐったり。体調悪化に追い打ちを掛けた。

 胃腸の不調も深刻だった。胃がずっともたれている感覚で、食欲が大幅に減退。約2カ月間続き、目に見えてやせた。ほとんど経験したことがなかった便秘も続いた。左脚を中心にしびれが続いた時期もある。

 ひょっとしてこれらはコロナ後遺症とは別の疾患ではないかと思い、インターネットで何度も検索したが、はっきりしない。一つ一つの不調はそれほど深刻ではなかったが、対処のしようがなく途方に暮れた。症状を緩和する目的でさまざまな薬も飲んだが、どれもさほど効果はなかった。新しい薬を試した結果、じんましんが出たこともあった。散々だった。

コロナ後遺症の症状を緩和するために処方され、飲み残した薬

 ▽根本から変わってしまった体を実感

 8月下旬になると、EATが奏功したのか体調が改善し、実家から自宅に戻った。自分で家事もこなせ、1時間程度は出歩いても倦怠感が出なくなった。

 いよいよ仕事に復帰できる。そう確信し、自ら願い出て数時間の取材に2日携わった。電話で話を聞き、それを書き起こす内容。難なくこなせる仕事だ。いくら体調管理に注意が必要とはいえ、それくらいなら問題ないと思った。

 でも電話取材を始めると、なぜかどんどん手足が冷たくなっていった。一方で頭はのぼせるような感覚。「久しぶりの仕事で緊張しているのだろう」と思い、気にとめなかった。

 数日後、激しい体の痛みと息ができないような体の不快感に再び襲われた。たちまち日常生活が立ちゆかなくなり、また実家に戻った。耐えられる負荷は、自分の想定よりもずっと低かったのだ。記者の体は、コロナ感染前とは根本から変わってしまった。一生治らない障害を負ったと思った。

 自分の現状を正確に把握できず、さらに職場復帰が遅れる結果になったことも悔しかった。

 感染前は、激務になっても自分が壊れないぎりぎりのラインを探り、調整して乗り越えられた。自己管理能力には自信があった。自己嫌悪、焦り、いらだちが募る。この時ばかりは、気遣って連絡をくれた周囲や取材先すら煩わしく思えた。今振り返ると思い詰め過ぎていたと感じるが、当時は体調悪化も相まって、最も精神的に追い込まれていた。

 ▽復職に向け、半年ぶりに出社

 EATを再開し、安静を心がけたことで10月には体調が再び戻ってきた。今度こそ復職に向けて動き出す。平畑医師の診察を受け、仕事復帰に失敗した経緯を話すと「1時間ごとに横になるとか、休みながらやれば防げたのではないか」とアドバイスを受けた。

 それぐらい慎重にやるべきなのか。目からうろこだった。平畑医師によると、すぐに休むことができ、なるべく負担がかからない環境で復職した人の方が順調に推移するという。

 会社と相談し、完全テレワークで復帰することになった。前例がないため簡単ではなかったようだが、後遺症に理解を示し、環境を整えてくれて深く感謝した。後遺症で退職を余儀なくされた多くの人より恵まれていると思った。そんな自分の境遇を生かし、記者としてできることを考え、この体験を記事にしようと改めて決意した。

 11月中旬、復職に向けて産業医と面談するために出社した。半年ぶりだ。所属する社会部では、上司や同僚が温かく迎えてくれ、回復を喜んでくれた。くじけずに頑張ってきてよかったと目頭が熱くなった。

 ▽それでも不調はなくならない

 11月末にようやく仕事復帰を果たした。予想通り、初日から倦怠感がぶり返した。

 アドバイスを守り、すぐに横になったりして調整しても、やはりだるさと体内で炎症が起きているような不快感が襲う。このまま仕事を続けたら、また階段を転げ落ちるように一気に体調が悪化するのではないか。そうなると回復までさらに1カ月以上かかるのではと、怖くなった。

 幸い、そうはなっていない。それでも「このまま仕事を続けても大丈夫か」と自問自答を繰り返す綱渡りの日々は続いている。

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