史上初「200S&200H」に現実味 オリ守護神・平野、MLB挑戦へて起きた“変化”

オリックス・平野佳寿【写真:荒川祐史】

入団5年目に救援に配転、4年ぶりオリ復帰の昨年は29セーブをマーク

2021年に4年ぶりに日本球界へ復帰したオリックス・平野佳寿投手は昨年、46試合登板で29セーブをあげる活躍を見せてリーグ優勝に貢献した。2014年の優勝争いも経験しているベテランの存在は、若手の多いチームが熾烈な競り合いを勝ち抜くうえで大きなファクターとなった。今回は、16年にわたって第一線で活躍を続けてきた剛腕の“変化”について見ていきたい。

平野は鳥羽高から京都産業大を経て2005年大学生・社会人ドラフト希望枠でオリックスに入団。1年目の2006年からローテーションに定着して7勝をマーク。翌年も8勝を挙げて若きエース格としての立ち位置を確立しつつあった。だが、2008年は故障でシーズン全休。翌2009年は復帰を果たすも成績は振るわず、2010年にリリーフへ転向した。

この配置転換が大きな転機となった。同年は63試合で防御率1.67と抜群の安定感を発揮し、2011年には49ホールドポイントを挙げて最優秀中継ぎを受賞。2014年にはリーグ史上初となる40セーブを記録し、最多セーブの座に輝いた。2017年オフにFA権を行使して米球界に挑戦。新天地ダイヤモンドバックスでの1年目は75試合に登板して32ホールド、防御率2.44の成績を残し、2019年も62試合に登板。2020年はマリナーズに移籍し、シーズン途中から抑えも務めた。

2021年に日本球界へ復帰し、古巣・オリックスに。シーズン開幕をセットアッパーとして迎えたが、チーム事情で再びクローザーを任された。家庭の事情で退団したブランドン・ディクソン投手が抜けた穴を埋める活躍を見せ、優勝に貢献した。

渡米前年と比較すると制球力や被打率が改善、球種の割合も変化

先発を務めていた2009年まではさほど奪三振率が高くはなかったが、リリーフに転向した2010年は奪三振率11.27を記録。そこから2015年まで投球回を上回る奪三振数を記録したものの、渡米前年の2017年は7.38、復帰した2021年は7.74だった。制球力に目を向けると、与四球率が1点台以下だったシーズンが4度あり、キャリア通算の与四球率も2.10だ。驚異的だったのが2012年で79回2/3を投げて出した四球は5。三振を四球で割って求める「K/BB」は3.50を超えれば優秀とされるが、同年の平野のK/BBは16.00と“桁外れ”だった。

K/BBはリリーフ転向後の9年間で7度3.50を上回る数値を記録。一方で、被打率は2013年以降の6シーズンで4度.240を超えた。1イニングで出す走者数の平均値を示す「WHIP」も、同じく6年間で4度1.00を上回っている。こうしたデータから平野が打者と積極的に勝負していく投球スタイルであることが分かる。

これらの点を踏まえたうえで2021年の数字を見ていくと、奪三振率こそ7.74と高くないものの、与四球率は2014年以来の1点台(1.88)、K/BBも4点台(4.11)と、制球面が改善されたことがわかる。加えて、被打率は.200とキャリアで2番目に低い数字で、WHIPも0.91と1を下回った。走者を溜める投球が少なかった点も含め、安定感のある投球を見せていたといえる。

渡米前年の2017年と日本に復帰した2021年で、結果球における球種の割合も変わった。2017年はストレートの割合が58.8%で、スプリットが37.5%。この2つに120キロ台の緩いスライダーを加えた3球種のみで組み立てていた。一方、昨年はストレートが51.7%に減少し、スプリットの割合が42%に。110キロ~120キロほどのカーブを投じるようになっており、スライダーも含めて4つの球種を投げ分けていた。

平野は昨季までに日米通算190ホールド、193セーブという数字を残しており、史上初の200ホールド、200セーブも視野に入る。3月8日には38歳の誕生日を迎えるが、日米を股にかけた名クローザーが今後も息の長い活躍を続け、さらなる金字塔に手をかけることに期待したい。(「パ・リーグ インサイト」望月遼太)

(記事提供:パ・リーグ インサイト)

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