まず記録の入手を  誰がその重要資料を持っているのか? 「権力監視型の調査報道とは」【2】

権力監視型の調査報道とは何か。何を指針にして、どう進めたら良いのか。この記事はそうした疑問に答えるため、日本記者クラブ主催・第10回記者ゼミ(2015年11月27日、日本プレスセンター)で行われた講演を加筆・再構成したものだ。主に新聞社・通信社の若手、中堅記者にを対象にして「何をすべきか」「何ができるか」を語っている。6年前余りのものだが、権力チェックを志向する取材記者にとって、今でも十分に役立つはず。第1回は「端緒が全て」「クリーンな人以外と付き合う」などがテーマだった。今回は2回目。(フロントラインプレス代表・高田昌幸)

◆「資料を入手せよ」「際どい取材では必ず録音を」

権力監視型の調査報道とは何か、新聞社の記者として何ができるか、すべきか。

調査報道を進める上でのポイント、その3番目です。それは「証言だけでなく、証拠のブツを」です。これも調査報道には必須だと思います。もちろん、証言だけで原稿を書けないわけではないですけれども、非常に危ないです。特に記事が出た後に、「俺はあんなことを言ってなかった」という人が出てくるかもしれない。取材時点の証言を変遷させる恐れもある。

米国のニクソン大統領を辞任に追い込んだ、ワシントン・ポスト紙による「ウォーターゲート事件」報道をご存知だと思います。あの取材では若い20代の取材記者に向かって、幹部が何度か決めゼリフを言うんですね。その1つが「何としても証拠となる内部資料を取って来い!」という内容です。「Get the documents!」と。そう言い聞かせるわけです。

その点で付け足すと、調査報道の取材においては、必ず録音をしたほうがいい。自分の身を守るためです。「言っていない」「言った」の世界になったとき、最終的に自分の立場を固めるものが必要です。もちろんノートでもいいです。大事なのは記録しておくことです。もちろん、たとえ裁判になったとしても安易に公開すべきではありません。

私は、暴力団関係者や大型経済事案の関係者、政治家関係者らの取材の場合、時に録音をしました。いわゆる隠し録音です。私はICレコーダーを2つ使いました。1つは取材のとき、相手の目の前にポンと出す。相手が「録音はダメだ」と嫌がったり、場の空気が違ったりしたら、「これはやめます」と言って引っ込めます。でも、上着には最初から録音スイッチをオンにしたままのICレコーダーが入っている。部屋に入る前から、オンにしておくのです。最後の最後、究極的にはその取材の確かさを担保するためです。自分自身で落ち着いて取材内容を再チェックできるし、デスクや部長、編集局長といった社内のチェックに対し、自信を持って説明するための材料でもあります。ただし、録音するに際しては、取材時の状況を十分に検討する必要があるし、必要に応じて上司に相談必要もあります。

とにかく、際どい取材では何とかして録音はとるべきです。道義的にどうたらこうたらと、そんなことを言っていると、調査報道はできないことがある。仮に会社の上層部が「相手の了解がない録音はやめろ」と言っても、何とかして録音のことを考えるべき場合があります。会社は最後に記者の身を守ってくれるとは限りません。上層部は保身も考えます。サラリーマンの所作としては、どうしてもそうなる。だから自分の身は自分で守ることを考えてください。

◆「誰が証拠書類を持っているか」をつかむ

物的証拠、つまりブツの話で言うと、誰がそのブツを持っているかを特定することが大事です。

配付資料の中に、琉球新報の2004年の記事「地位協定の機密文書入手」があります。このときの中心にいたのが、いま沖縄国際大学の先生になっている前泊博盛さんという方です。前泊さんは、どうやって外務省の秘密ペーパーを入手したか。端緒の入手から記事化まで、実に7年余りを要しているんですね。7年、8年ですよ。その執念というか、しつこさというか。私がメーンで書いた『権力vs.調査報道』(旬報社)という本に詳しく書いていますので、ぜひそれを読んでください。権力監視型の調査報道においては、執念がいかに大事か。諦めないことがいかに大事か。よくおわかりいただけると思います。

外務省文書の取材とは違いますが、前泊さんの取材はちょっと変わっています。基本的には、堂々と役所の中で、例えば、庁議の部屋に入っていき、「これ借りるよ」と言って、文書を持ってくるんですね。そしてコピーしてすぐ返す。何か言われたら「これは県民の財産でしょう?」「君たち役人は県民に言えないことをやっているのか?」と堂々と言う。相手がたじろいでいる間に若い記者にコピーしてもらう。そんな感じだったそうです。

これが良い方法かどうか、判断は難しいかもしれません。日常的な付き合いの中で、「あいつだったら」という濃密な人間関係もあったでしょう。もちろん、今のコンプライアンスで言ったら許されないかもしれない。でも、自分で簡単にコンプライアンスの線を引き、何でもかんでも自分を制御しないほうがいい。コンプライアンスを意識過ぎると、必要以上に萎縮し、最悪、取材方法についても当局のお墨付きを得ることが習い性になりかねません。

どこまでが取材として許されるのか、許されないか、については、結構真剣に詰めて考えたほうがいいと思うんです。つまり、ここで言いたかったのは、ブツにはいろんな取り方があるということです。

◆取締役会の議事録には誰がアクセスできるか

次の記事資料を見てください。1997年の記事です。

北海道新聞の地元・札幌に「丸井今井」という大きな地場の百貨店があります。そこの社長が役員会の議事録を偽造して、自分の個人的な投資の債務保証を会社にさせていた。自分の借金を背負わせていた、という特別背任を絵に描いたような話です。

紙面の「偽造議事録」のうち、氏名の部分は本記事掲載に際して加工し、消しています

この取材では、偽造議事録そのものをまず入手しました。記事に掲載した写真は偽造された取締役会議事録そのものです。あとは、その偽造とされる議事録が本当に偽造かどうかを調べていくわけです。

会社の取締役会の議事録は、そもそもどこにあるのか、どうやって管理されているのか、だれがアクセス可能かなどを考えるわけです。すると、議事録にアクセスできる人は限られる。偽造の実務を担当した人も限られてきます。

ただし、ブツそのものを紙面に載せるようなケースでは、それが誰から出たか、当事者たちには絶対に分からないようにしなければなりません。そうしないと、思わぬ形で情報源がばれてしまうことがある。手元のブツをそのまま紙面に出していいか、あるいは取材先でそのブツを示して良いか。よくよく考える必要があります。

◆沖縄密約事件の失敗

沖縄密約事件のとき、毎日新聞記者だった西山太吉氏は、入手した機密電文を社会党の代議士に渡しました。取材で得た資料をそのまま外部の者に渡すことの是非は問われるべきかもしれない。

しかし、さらに言えば、このときは代議士が資料片手に国会で質問に立ち、答弁席にいた外務省職員が「先生、資料を確認させてください」と言ってその資料を見て、それで出所が分かったと言われています。決裁欄の印鑑の順番で分かった。取材者が直接ばらしたわけではないとはいえ、資料の現物を不用意に外に出したために、情報源が露見する契機になったわけです。そういう失敗をしてはいけない。

そうであっても、ブツは大事です。ブツを手にすれば、証言ベースだけの取材から大きくステップアップしていくことは間違いありません。

◆単なる質問ではなく、「反問」こそが重要

4番目のポイントは「日常取材の中での『反問』『疑問』」です。とくに若い記者の方にはぜひこれは言いたかった。

日常の取材の中で、例えば記者会見やレクの場で、多くの人は、質問はしています。ただし、単なる質問が多い。漢字はどう書くんですかとか、その被疑者の生年月日はとか。本当に必要なのは単なる質問ではなく、反問です。疑問です。疑問に思ったことを必ず問うていく。

「おかしいじゃないですか」と。「あなたの言っていることは法律に書いてないじゃないですか」と。「それは法律に書いてあるんですか、規則に書いてあるんですか、それともあなたの裁量で言っているんですか、裁量だったら、誰が判断しているんですか」と。もう徹底的にやっていくんです。

◆記者会見は真剣勝負の場

そういうことが多分、一歩一歩、記者が取材相手に対して、特に権力機構に対して前に出るということです。それをやめて、ただの通り一遍の質問を繰り返すだけになると、記者会見とかレクの場はものすごくぬるくなります。予定調和の会見やレクなら、意味がない。市民の代理人として質問を発しているとはいえない。記者会見は真剣勝負の場です、本来は。

相手が立ち往生して言葉に詰まるところをみんな見たくないのかな、と思います。相手が激怒して机をたたく場面を、みんな、見たくないですか? 「誰だ、その質問をしたのは」なんて言わせたいじゃないですか。

そういう質問をその場できちんとできるかどうか、だと思います。名前の解釈、字の解釈とか、そういうものが質問ではないでしょう。少なくとも記者の質問ではないでしょう。なぜ会見でそれをやるか。私見ですが、会見というオープンの場で、厳しい質問を繰り出すことができない記者は、1対1の取材でそれはできません。相手を詰める取材で、厳しいやり取りはできない。なぜなら、そういう実践訓練ができてないからです。会見はいわば、その実践訓練だと思えばいい。

取材先、特に偉い人は時々「君はいい記者だ」と言うじゃないですか。どこかの市長とか、知事とか、言いそうじゃないですか。私も何度か言われたことがありますけれども、権力者に「君が一番いい記者だ」なんて言われたら、その記者は自分の記者人生を振り返ったほうがいい。権力者に褒められるとは、どういうことなのか、と。「二度とおまえには会いたくないけど、おまえには会わざるを得ない。おまえの取材には応じざるを得ない」と、そういう関係をどうつくるか。ふだんから、そういうところが大事なんだろうと思っています。

◆記者は市民を騙してはいけない そのためにも記者が騙されてはいけないない

「質問」「反問」に関して言えば、私にはものすごく苦い経験があります。経済部勤務になったばかりの、入社4、5年目だったと思います。北海道電力の泊原発で水蒸気漏れの事故があって、急遽、取材に行くことになった。私は金融担当でしたが、その日はたまたま、電力担当の先輩がいなかったんですね。

北電本店の会見場所に行くと、いろんな説明されました。難しい発電システムの話、カタカナの専門用語、見たこともない発電炉の概略図。そして先方は「……だから安全です。心配に及びません」と言っている。正直、まともに質問できませんでした。専門用語の表記や意味を尋ねた程度でしょうか。質問と言えるレベルじゃないんです。

その時、これはやばいぞ、と。知識がないと簡単に相手に騙されてしまうぞ、と。ニュースの価値判断もできないわけです。1面トップなのか、社会面のトップなのか、ベタ記事でいいのか。その後、悔しくて原発の本を買い込んで、勉強をしました。軽水炉と沸騰型炉の違いとか、チェルノブイリやスリーマイルの事故のこととか。金融担当だから直接は関係ないですけれど、知っておいて損はないはずだと思いました。

それからは特に、日常の取材相手が日々の仕事で何をやっているか、具体的に知ることを目標にして勉強しました。融資の実務はどうやっているのか、小切手帳はどう使うのか、不良債権はどう分類するのか。JRの担当になった際は運転所に行って、電車のメカニズムも教えてもらうとか。関連法令も勉強しました。

とにかく、知識が必要です。知識がないと、相手の不正や不作為もきちんと指摘できない。僕らの大先輩はかつて、戦時中に多くの国民を騙したわけです。日本軍は勝った、勝った、また勝った、と。僕たちは二度とそういうことをしてはいけない。二度と国民を騙してはいけない。そのためには、まず、記者自身が騙されてはいけない。都合よく利用されたり、権力にコントロールされたりしてはいけない。そう思います。そのためには、圧倒的な知識、専門知識が欠かせません。1900年代以降の歴史的な知識も不可欠でしょう。

=つづく(第3回は2月2日公開予定)

<第1回>調査報道は端緒がすべて それを実例から見る 「権力監視型の調査報道とは」

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