「反五輪デモ」字幕の本質見ない報告書 「金で動員」ならスクープ NHKの集合的無意識とは

By 佐々木央

 NHKの調査チームは、ことの本質からあえて目をそらしているのではないか。BS番組「河瀬直美が見つめた東京五輪」の字幕問題に関する調査報告書を読んで、そんな思いさえ持った。2月10日に公表された報告書は「裏付け取材が行われないまま(中略)上司によるチェックも十分行われず、誤った内容の字幕をつけたシーンが放送された」と述べ、現場の失敗として事態を総括する。だが、もっと深刻な組織の問題が伏在していることを、報告書自身が示していると思う。(共同通信=佐々木央)

聖火のお披露目式が行われた東京・駒沢オリンピック公園総合運動場の前で五輪開催に反対する人=21年7月9日

 番組は五輪公式記録映画の河瀬監督らに密着したドキュメンタリー。公式映画のスタッフが匿名の男性を取材している場面に<五輪反対デモに参加しているという男性><実はお金をもらって動員されていると打ち明けた>と字幕を付けて放送した。

 ■未放送の映像から浮かぶ異なる人物像

 この字幕の信ぴょう性に疑念が持たれた。以下、報告書を読んでいく。

 放送された男性の発言ははっきりしている。「デモは全部上の人がやるから、書いたやつを言ったあとに言うだけ」「それは予定表をもらっているから、それを見て行くだけ」

 これと字幕の「実はお金をもらって動員されている」とを合わせれば、主体的な意思を持たない男性が、お金欲しさから五輪反対デモに参加しているという構図が浮かび上がる。

 しかし、報告書によれば、未放送の撮影素材には「ご飯代ぐらいのお金をもらって、いろいろなデモに参加している」「五輪反対デモは行かない」「コロナが増えるから自分としては五輪はやめた方がいいと思う」という趣旨の言葉が残っている。

 そうなると、人物像が違ってくる。「五輪はやめた方がいい」、理由は不明だが「五輪反対デモは行かない」と明確な意思を示しているのだ。

 報告書はこの後、取材したディレクターの「あいまいな記憶」を記述する。

 ―ディレクターは、記憶があいまいだとしながらも、上記のインタビュー終了後、カメラを回していない状況で、男性から、▽デモに参加することで2000円から4000円をもらうことがある、▽五輪反対のデモに参加する可能性はあるという話を聞いたと話しています―(表記は原文のまま)

 カメラを回しているときには「五輪反対デモには行かない」と話していたのに、ディレクターの「あいまいな記憶」では、それと矛盾する「参加する可能性はある」という言葉に変わっている。

 ディレクターは男性の連絡先さえ把握しておらず、字幕が問題になるまで一度も連絡していない。つまり、未放送の映像に残る「五輪反対デモには行かない」という趣旨の発言と、ディレクターのあいまいな記憶である「参加する可能性はある」という発言だけが、五輪反対デモへの参加にかかわる情報なのだ。

 そしてこの二つの情報から「五輪反対デモに参加している」という字幕の言葉は、どう逆立ちしても導き出せない。この時点で既に字幕は虚偽であり「捏造」と評価するしかない。

 ところが、報告書はこの当然の結論を記述せず、実際に男性が五輪反対デモに参加したかどうかということに焦点を移していく。

開会式当日、東京・渋谷で五輪開催に反対する人たち

 ■後でデモに参加すればOKという奇妙な論理

 今年1月以降、NHKの複数回のヒアリングに対し男性は「五輪反対デモに行った記憶はある」と話したこともあった。だからNHKは1月に「字幕の一部に不確かな内容があった」と発表したのだという。

 さらに報告書は、調査チームによる2月上旬の男性へのヒアリングで「男性が五輪反対デモに参加したという確証が得られなかったため、字幕は誤りだったと判断」したと記述する。

 これは奇妙な論理と言わなければならない。取材・制作の時点では、五輪反対デモには参加していないという情報しかなかった。のちにデモに参加すれば、字幕の「参加している」という虚偽が事実によって上書きされ、“治癒”すると考えたのだろうか。

 取材時点で正しいと信じて報じた内容が、結果として間違っていた場合を「結果誤報」と呼ぶことがあるが、結果として事実と整合した(=だから問題はクリアされた)という意味の「結果確報」という言葉は聞いたことがない。

 しかも、報告書が力点を置いたデモ参加の有無は、ことの本質ではない。五輪反対デモに参加するかどうかは、その人の表現の自由に属する。問題はその政治的表現の自由が、金で買われたのかということである。

記者会見で謝罪するNHKの松坂千尋専務理事(中央)ら

 記者としての私がこの字幕のような証言に接したら、五輪開催への個人的な賛否とは関係なく、真偽を確かめたいと思う。くだんの男性が参加したかどうかにかかわらず、例えば「デモに参加してくれたら日当を払う」という募集があっただけで問題であり、裏付けが取れたら報道したい。

 信頼に足る関係者の証言は得られるか、物証や音声記録はあるか、誰がなんのために金を出してデモを組織しているのか。

 番組クルーが自ら取材するかどうかは別として、普通ならこれらを調べるために誰かが動くことになるはずだ。

 ■「金で動員」に驚かない制作チーム

 ところが報告書によると、金で動員されたという情報(字幕)に、制作チームも上司も全く驚いていない。制作段階で字幕が変遷しているので、確認しておく。

NHK大阪放送局前で不適切な字幕に抗議する人たち=2年1月15日

 放送前の試写は4回。1回目の時点では<かつてホームレスだった男性><デモにアルバイトで参加していると打ち明けた>という表現だった(以下、前の方を1本目の字幕、後の方を2本目と呼ぶ)。

 このとき、チーフプロデューサーが2本目字幕の「デモ」は五輪のデモを指しているのかと質問し、確認するよう指示した。  

 これを受けた2回目の試写の字幕は、より直接的な表現<五輪反対デモの参加者><実はアルバイトだと打ち明けた>に変わった。3回目、4回目の試写でのやりとりについて、報告書は言及していない。この表現が維持されたとみられる。

 放送の8日前、最終的にコメントを完成する段階で、放送時の表現<五輪反対デモに参加しているという男性><実はお金をもらって動員されていると打ち明けた>に落ち着く。

 2本目の字幕が<アルバイト>から<お金をもらって動員されている>に差し替えられたのは、台本のコメントを見た専任部長が「アルバイトという表現で大丈夫か」と質問したからだ。チーフプロデューサーも、アルバイトでは定期的にお金をもらうイメージがあると考えた。

 1本目を「参加しているという」という伝聞表現に変えたのは、ディレクター自身だった。断定しなければ問題はないと思ったと話しているという。

 デモが金で買われているという情報への驚きは、制作チームの誰からも一貫して示されない。それどころか、デモ参加の事実の確認には熱心な調査報告書も、金をもらっているのかという点にはほとんど紙幅を割かない。

 デモが金で買われるという事態は、NHKの人たちには、想定内であり常識なのだろうか。

字幕問題の調査報告をするNHKの松坂千尋専務理事

 ■誰をどう傷つけたのか

 この誤った字幕は誰を傷つけたのか。その認識は報告書の「はじめに」で示される。「重ねて深くお詫び」している相手を、報告書の順番通り、表現も原文のまま書き写す(丸数字は筆者)。

 ①番組にご協力いただいた監督の河瀬直美さんはじめ公式記録映画の関係者のみなさま

 ②インタビューに答えていただいた男性

 ③五輪反対デモに参加した方など番組で取り上げさせていただいた方々

 ④視聴者のみなさま

 これですべてである。デモを企画・主催した人たちは、自由であるべき表現を金で買ったとみなされ、名誉を傷つけられた。最大の被害者だと思う。だが、謝罪はない。

 デモ参加者に対しては、上記③で言及しているが、「番組で取り上げさせていただいた方々」の一部という位置づけだ。表現の自由を金で売った人たちというイメージが流布されたのだが、それを意識した謝罪ではない。

 放送法第4条4号は放送事業者に「報道は事実をまげないですること」を、同3号は「政治的に公平であること」を求める。これらは何より、市民に正しい情報を偏りなく伝えるためだと考えられるが、虚偽情報をつかまされた視聴者へのおわびは最後だ。

 そして、それぞれの相手にどのような不利益をもたらしたのかという点に関する認識は示されない。

 誤った字幕によって誰の何を毀損したのか、調査チームは正しく理解していないのではないかという疑問が浮かぶ。

 調査報告書が図らずも露呈してしまったのは、NHKという組織の深部にある集合的無意識の問題だった。

NHK放送センター=東京都渋谷区

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