KOZZY IWAKAWA - 自身のルーツを探訪した音の時間旅行が伝承するロックンロール温故知新【後編】

■□■□■インタビュー前編はこちら■□■□■

90年代初頭、グランジの台頭で自分の進むべき音楽性を模索できた

──ローリング・ストーンズのレパートリーからは「UNDER MY THUMB」と「WILD HORSES」が選ばれていますが、岩川さんにとってはオンタイムで聴いたストーンズというよりも少し遡って聴いたクラシック的な2曲ですよね。

KOZZY:「WILD HORSES」に関して言えばアコースティック調の曲を唄ってみたくてね。他にそのタイプの曲がなかったし。60年代のストーンズは当時のガールズ・グループのようにポップな曲調にしようとして失敗したみたいなイメージがあって(笑)、そのどっちつかずなとっ散らかった良さがあるんだよね。「UNDER MY THUMB」はまさにその時代ならではのストーンズの混沌とした良さがある。自分がマイナー調のコードでアコギで唄うテイクがあったので、それに演奏を付け加えたらけっこう面白くなった。

──アコギと言えば、「PIGGY IN THE MIDDLE」のイントロを聴いて「STARMAN」を連想したんですけど、岩川さんの音楽からデヴィッド・ボウイからの影響はあまり窺えませんね。

KOZZY:もちろん好きだけどデヴィッド・ボウイみたいになりたいとは思わないし、明らかになれないから(笑)。自分がその人になりきれて楽しめるかが『R.A.M』における選曲基準の一つなのかもね。他人の曲をカバーするのはいろんな目的があるだろうけど、ボウイの曲は僕にはあまりフィットしないんだと思う。唄うのも難しいからね。

──ボウイがバンドではなくソロ・アーティストなのもあるんでしょうか。

KOZZY:それもあるかもしれないけど、ボウイがデラムからデビューする前のシェル・タルミーと組んでいた時代、グリン・ジョンズがエンジニアを務めた時期の曲は凄く格好いいのがあるよ。タイトでキレの良いサウンドで、それが狙いだったのかそうなっちゃったのかはわからないけど、僕もあんな音で録ってみたいと思うね。

──今回の収録曲の中で時代的に一番新しいのがワンダー・スタッフの「THE SIZE OF A COW」で、最新とは言え1991年発表の曲で(笑)。だけどバスター・ブラウンからワンダー・スタッフまでを網羅したカバー・アルバムを作れるのはまさに岩川さんの面目躍如と言えますね。

KOZZY:ここまで振り幅の大きいアルバムを作るのは僕くらいなものだろうね(笑)。ワンダー・スタッフも凄い好きで、人気があったときにイギリスまで見に行こうと思ったくらいでさ。結局チケットが取れなくて行くのをやめて、来日するのを待っていたら解散しちゃったんだよね。ケルトっぽい楽器を入れてみたりするルーツ的な要素のあるバンドで、楽曲の組み立て方が上手いなと思ってた。

──「THE SIZE OF A COW」が発表された1991年と言えば、岩川さんがコルツを結成した年ですね。

KOZZY:ちょうど自分でもルーツ・ミュージックやワールド・ミュージックを貪欲に採り入れた音楽をやってみたい時期だった。と言うのも、90年代初頭にニルヴァーナが出てきて「ああ、これはもうダメだな」と思ったわけ。小さい頃からずっと好きで聴いてきたロックがグランジみたいに持て囃されるようになって、もはや自分の出る幕じゃないなと思って。ロックがこんなふうになっていくなら自分の志向とは違うなと実感したし、それなら自分はどんな音楽をやっていきたいのかを真剣に考えざるを得なかった時期だったね。そこで岐路に立ったことでロック以外のいろんなジャンルの音楽を知ることになったからそれはそれで良かったと思うけど。

──本作には「LOOKIN' OUT MY BACK DOOR」が収録されていますが、『L.U.V』には「HEY TONIGHT」が、もっと遡ればラヴェンダーズのアルバムには「UP AROUND THE BEND」が収録されていたことからも、岩川さんのCCR好きがAKIRAさんに伝承されていたのがわかりますね。

KOZZY:『L.U.V』というアルバムは彼女と僕の年代の合流地点みたいな音楽が集約されているっていうかさ。時代的には1991年から95年頃、CDが世界的に凄く売れた頃だよね。レコードがCDに移行して数年、今もずっと現役で音楽を続けているいいバンドが次々と現れる一方で、ロックの名盤が立て続けにCD化されて再評価に繋がった。CCRもその一つだったんじゃないかな。当時はカフェをやっていたのもあって、AKIRAは僕の聴く音楽をよく一緒に聴いていたものだから、CCRも自然と彼女の中に刷り込まれたんだと思う。

今やロック後進国である日本はロックを捨ててしまった

──そんな話を伺うと、岩川さんの世代からAKIRAさんの世代へ良質なロックンロールがきちんと受け継がれていくことの大切さを改めて実感しますね。

KOZZY:その伝承のきっかけの一つとして『R.A.M』を作ったつもりだし、ここ14、5年の間に作り方も録り方もバラバラだったものを整えて、鑑賞に堪え得る一つの作品として今こそ一般流通するべきだと考えた。昨今の音楽番組を見ていても今の日本におけるロックンロールの在り方がだいぶおざなりになっているのを痛感するし、本当にこのままでいいのか?! と思うしさ。もちろん僕が好きなものは本来主流じゃないし、地上波のメジャーな番組とは縁がないわけなんだけど、音楽の在り方としてどうなんだろうとは感じる。そこで僕としては自分の主義主張というよりも、古き良き音楽を伝えつつも次の段階へ進めるようなものの一つとして『R.A.M』を正規盤として出すべきだと思ったんだよね。みんなが心の底から好きな音楽を体現して、これをどうしても作りたいんだという強い心意気でやっているなら別にいいんだけど、なかなかそんなふうには感じられない。日本ではそんな状態がだいぶ長く続いているし、随分と長いこと進歩していないよね。

──日本経済と同じく長期低迷にあるのは否めませんね。

KOZZY:僕が最近愕然としたのは、ロックのレコーディングに必須であるニーヴ(Neve)のコンソールがフルで常備してあるスタジオが日本にはもう存在しないってこと。今や全部デジタルに置き換わっていて、もちろんデジタルへ移行すること自体はいいんだけど、ニーヴのコンソール卓は世界中のレコーディング・スタジオでマスト中のマストなわけ。古い機材だから手もかかるし、もっと便利なコンソールは他にいっぱいあるけど、ニーヴのコンソールがロックには絶対欠かせないサウンドを担ってきたのは紛れもない事実なんだよ。そのコンソールが日本にはもうない。それはつまり、日本はロックを捨てたってこと。僕はその事実を知って一気に冷めてしまって、もはや日本にいる意味がないと実感した。もちろん維持費もかかるし日本の住宅事情もあるんだろうけど、いくら何でもそこは切り詰めちゃダメだよ。ロックのバンド・サウンドはまずニーヴのフルコンソールありきなんだからさ。日本の業務スタジオで今やそんな場を提供できる所がないなんてどうかしている。別に僕みたいにテープで録れとは言わないし、パソコンで録れるならそれで構わない。だけど音楽にはパソコンじゃ代わりにならないところが絶対にあるし、目には見えないものや音にも聞こえないようなところに神が宿るものなんだ。それを忘れちゃいけないよ。

──便利なものに飼い慣らされた挙句に本当に大切な核となるものを切り捨ててしまうようでは、AKIRAさんたちの下の世代にまで伝えるべき何かが行き届かなくなる可能性が出てきますよね。

KOZZY:ここ何十年も景気がずっと後退し続けているのも関係しているんだろうけど、日本は今となってはロック後進国なんだよ。アジアの国々の中でもだいぶ下だね。日本の平均賃金も30年間ずっと横ばいだと言うし、日本が裕福だと思っているのはおっさんだけだよ。日本は経済的にも文化的にももはや全く豊かじゃない。このコロナ禍の中で世界中のミュージシャンが活動自粛を余儀なくされているけど、巣ごもりする中で充実した創作活動に打ち込めている人たちはアメリカやイギリスに確実にいる。だから何も悪いことばかりじゃないし、音楽は水面下で凄くいい形で進化をしていると思うし、世界中のアーティストが自分たちの創作に向かう姿勢を見つめ直すいい機会にもなっている。ルーツに根差した音楽をやる連中が増えたり、メインストリームの音楽の中にも70年代のソウルをふんだんに採り入れたものが増えたり、音楽はこれからもっと面白くなると思う。そんな世界的な現状の中で、音楽にとって本当に大切なものをいともたやすく切り捨てようとする日本にはもはや絶望しか感じないよね。ここまで経済が後退する状況では余暇や趣味の部分をまず第一に削ることになるんだろうけど、音楽を制作する場を提供するスタジオから絶対になくしちゃいけない機材をなくすなんて現実を突きつけたところで、それが一体何になるんだろう? と思うよ。

──音楽という娯楽に対して満足にお金をかけられない現実に不況の重い影を感じますが、『R.A.M』はロック後進国である日本において岩川さんが如何に孤軍奮闘しているかを実践した記録とも言えますね。

KOZZY:もはや自分が壺焼き芋を守り続けるおっさんに思えるね(笑)。子どもの頃、近所に広島でも珍しい壺焼き芋屋さんがあって、そこのおっさんが芋を壺で焼いているのをずっと眺めているのが好きでさ。壺の上に瓦を載せるのが面白くてね。いま思うとなんで瓦なんだろう? と思うけど。

──果たして本当に効果があるのかわからない瓦に価値を見いだすようなところが、実はロックロールでも大切な妄想力に繋がるポイントのように感じます。

KOZZY:そう、そこにロマンを感じる。壺焼き芋のおっさんが瓦を載せて蓋にしたのは、たまたまそこに落ちていたからだと思うけど(笑)。

何事もまず自分一人でチャレンジするのが信条

──そういう一見無駄に思えることにどれだけ意味を見いだせるかが大事ですよね。

KOZZY:その通り。僕が『R.A.M』でやってみせたリズム&ブルースもオールド・ロックンロールも簡単にパッとできるっちゃできる。だけどその完成に至る無駄なプロセスがとても大事で、ロックから無駄を省いたら何が残るんだよ? と思うね。お金だって大して残らないんだから(笑)。ケチるところはそこじゃないだろ? と思うし、今の音楽の制作に携わる人たちもミュージシャンも僕にはだいぶズレているように感じる。愕然とすることは他にもあって、たとえばメジャー・レーベルと契約書を交わそうとして、そこに記載されているギャランティのパーセンテージが最初から印刷してあったりする。プロの野球選手でも何でもそこは空欄にしてあって、一対一で交渉を続けた末に決めるものじゃない? 自分の取り分を最初から交渉もせずに決めるなんてどうかしてるし、それじゃミュージシャンとして大きな夢は見られないよね。まあ、そんなことを平気で言うから僕は業界の人たちに嫌われるんだろうけど(笑)。だけど真っ当な正論だと思うけどな。売れ枚数を増やすよりも取り分のパーセンテージをどれだけ大きくできるかが大事なんだよ。だって日本の人口もロック人口もあらかじめ決まっているんだから、そこを取り合っても僕らに勝ち目はない。そうじゃなくて自分たちの取り分を変えてもらわないと、僕らの蓄えも目減りする一方で次の創作へ向かえなくなるんだからさ。

──過度な報酬を要求しているわけではなく、実績に見合った正当な対価を補償してほしいということですよね。

KOZZY:うん。僕はその収益の分配率がつい気になってしまうというか、間に入る業者の人たちが本当に必要なのか? と昔から感じるタチでね。だからと言ってむやみにお金がほしいわけじゃない。音楽を制作する上で必要な費用がこれだけかかるということなら、その中で無駄な部分はできるだけ省きたいってだけ。中間搾取しようとする無駄な人っていっぱいいるからさ。

──岩川さんの場合、自身の利益を少しでも増やしたいというのではなく、表でも裏でもやれる仕事は他人任せにせず自分自身でやってみたいということですよね。

KOZZY:そうそう。必要に迫られてという側面もあるけど何事もまずは自分でやってみたいし、最初から「できない」とは絶対に言いたくたい。それが僕の信条だから。

──わかります。あらゆる楽器演奏から録音作業までを一人で完結させる『R.A.M』の制作スタンスからもそれは窺えますし、ロッド・スチュワートの「MAGGIE MAY」をカバーするのもマンドリンを自分なりに弾きたいがために選曲したんじゃないかと思わせる節が岩川さんにはありますしね。

KOZZY:「MAGGIE MAY」はまずマンドリンを買うことから始まっているから(笑)。そんなことが曲がりなりにも成立しているのは、僕のこういう音楽を聴いてくれる人たちのおかげなんだよ。『R.A.M』を正規盤として流通させるのはある種の試みでもあるわけ。これが全然受け入れられないのなら落ち込むだろうし、逆にそれなりの需要があるようならロックンロールの未来は明るいと信じられるっていうかさ。それにこういうCDをわざわざ買ってくれる人たちが一定数いるということは自分にとってやりがいでもあるし、今後またオリジナル作品を生み出していく上での指標にもなるよね。

──古今東西の名曲を自身の作品の延長線上に並べることは自ら創作のハードルを上げているようなものですからね。

KOZZY:プロのアスリートと同じように常に自分に対してプレッシャーを与えないとダメだし、そうしないといつまでもお山の大将のままだから。そのためにも僕が大手を振ってバスター・ブラウンの「FANNIE MAE」をあえて1曲目にするようなアルバムを作るんだよ。お前らにやれるか?! みたいなところもあるし、そういう表現の全責任を自分で取る覚悟もある。演奏はドラム、ギター、ベース、ハーモニカ、ピアノ、ボーカルまで全部自分でやって、録音もミックス、マスタリングまで全部自分でやって。そこまで一手に責任を負いながらどうしてほしいのかと言えば、やっぱりみんなに楽しんで聴いてもらいたい。そんな作品をメジャーの流通に乗せて売ることで自分は報酬を得て、作者は収入を得る。それが正当な評価だし、僕はそこで得たお金で新しいマイクを買ってまたいい録音ができればいい。そうやって狭いマーケットなりにも潤滑に経済を回していくのが理想なんだよ。なんてことを言うと地元野菜の生産者みたいだけどさ(笑)。

© 有限会社ルーフトップ