【中原中也 詩の栞】 No.35 「冬の日」(生前未発表詩)

私を愛する七十過ぎのお婆さんが、
暗い部屋で、坐つて私を迎へた。
外では雀が樋(とい)に音をさせて、
冷たい白い冬の日だつた。

ほのかな下萠(したもえ)の色をした、
風も少しは吹いてゐるのだつた。
私は自信のないことだつた、
紐を結ぶやうな手付をしてゐた。

とぎれとぎれの口笛が聞こえるのだつた、
下萠の色の風が吹いて。

あゝ自信のないことだつた、
紙魚(たこ)が一つ、颺(あが)つてゐるのだつた。

     

【ひとことコラム】「下萠」は冬枯れの地面から芽吹いた草のこと。自分に注がれる愛情を受けとめながら、期待に背くことしかできないこともわかっている、そんな身の置き場のないような気持ちが季節の移ろいの中に浮かび上がります。井上公園の詩碑に刻まれた「帰郷」と同時期の作品です。

中原中也記念館館長 中原 豊

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