福島の沿岸被災地からJリーグ入り「いわきFC」の軌跡 「どうせすぐ、いなくなる」の声はね返し、6年でJ3に

JFL第29節で勝利し、J3昇格を確実にして喜ぶいわきFCの選手ら=2021年11月3日、福島県広野町のJヴィレッジスタジアム

 浜を照らす光であれ―。

 そのサッカークラブはサポーターからそんな願いを託されている。今季Jリーグ3部(J3)に初参入する福島県の「いわきFC」。ホームタウンは、東日本大震災による津波や東京電力福島第1原発事故で甚大な被害を受けた福島県沿岸部・浜通り地方にある8市町村だ。

 震災後、いわき市に生まれた一アマチュアチームのいわきFCは、2015年末に現在の運営主体となり16年シーズンに本格始動した。スローガンは「復興から成長へ」。新生チームはJ1から数えて8部相当の福島県社会人リーグ2部からスタートし、わずか6年でJ3昇格を成し遂げた。(共同通信=西村曜、中村靖治)

 ▽半信半疑

 「最初は『どうせすぐ、いわきからいなくなる』っていぶかる人が多かったんですよ」と語るのは、行政側の窓口を務めてきたいわき市役所の松本雄二郎(まつもと・ゆうじろう)さん(52)だ。

いわき市役所の松本雄二郎さん=1月

 米スポーツ用品大手アンダーアーマーの国内総代理店を務めるドーム(東京)が「スポーツで地域を活性化させたい」と持ち込んできたのが、いわき市にJリーグクラブを作る構想だった。同社は震災後、復興支援として市内に物流拠点を建設していた。

 いわき市は人口33万人ほどの地方都市で、過去にプロチームがあったこともない。しかも言い出したのは東京から来た縁の薄い企業だ。

 「夢物語」「うまくいかなければすぐ撤退する」「詐欺じゃないのか」

 市民や行政にはそんな声が渦巻いていた。しかし、松本さんはクラブ運営会社のトップ人事を見て「本気だ」と感じた。代表取締役に就いた大倉智(おおくら・さとし)氏(52)が、直前までJ1湘南ベルマーレの社長を務めていた人物だったからだ。

 「J1の社長を辞め、縁のないいわきに来るなんて、そんなことなかなかできない。すごい覚悟で来てくださっていると思った。男ですよね」と松本さんは振り返る。そして実際クラブは地元に根付き、快進撃を始める。

 ▽格上撃破

 サポーターの中で伝説となっている試合がある。県1部に昇格していた2シーズン目の17年6月21日に行われた天皇杯2回戦、J1北海道コンサドーレ札幌を5対2で撃破した試合だ。後半に追い付かれながら、延長戦に3点奪って突き放した圧巻の勝利だった。

 あるいわきFCサポーターは「試合後、札幌サポーターから『あんなことなら後半で負けておけば良かった』って言われちゃったよ」とにやけながら当時を振り返る。スタミナとフィジカルの強さを重視する「倒れないサッカー」をスローガンとするいわきFCの本領発揮だった。

2017年6月21日、天皇杯2回戦でJ1の北海道コンサドーレ札幌を撃破して喜ぶいわきFCのサポーターら=いわき市・いわきFCパーク

 終盤まで息切れせず走り抜くサッカーを支えたのは筋力重視の理念だ。日頃から「日本のフィジカル・スタンダードを変える」と訴える大倉代表は「世界を見れば筋力を鍛えるのは当たり前だが、日本では主流ではない。日本人選手が海外へ挑戦すると『外国人選手は体が違う』と言う。この25年全く変わっていない」と話す。

 最も効率的なトレーニングは遺伝子レベルで異なるはずだと考えて、いわきFCでは選手の唾液を分析した遺伝子情報に基づいて練習メニューを変えている。食事や睡眠も徹底管理。大倉代表は「強い選手を連れてくるのではなく、こうした方針に基づいたチーム作りで勝っていく。それを理解する監督や選手を連れてきて、育てていくのだ」と話す。

 古参サポーターの会社員鈴木大(すずき・まさる)さん(47)は「シーズンが始まる春と終盤の秋では選手の体格が一変する。がっしりしすぎてサポーターですら遠目では誰か分からないこともある」と笑った。

古参サポーターの鈴木大さん=1月

 ▽地域貢献

 いわきFCのもう一つの特徴が地域貢献だ。クラブは「スポーツを通じて社会価値を作る」と標榜してきた。

 大倉代表が就任したのもこの理念に共感したから。1994年にプロ入りした大倉代表は引退後にスポーツビジネスを学び、セレッソ大阪や湘南の経営や強化に携わってきた。

 ただJリーグがあまりにJ1、J2といったリーグの昇格と降格に一喜一憂しすぎていると違和感を抱いていた。「本来のJリーグはどうあるべきなのか」「スポーツの持つ力をもっと生かせないのか」。いわきFC代表への打診を受けたのは、そんな葛藤をしている時だった。

 「地方がスポーツの力で良くなっていく過程を一から見たくなった」と転職を決意。「『なんでJ1を捨てていくんだ』ともよく言われたけどね。自分のやりたいことができる場所が見つかったから、J1の社長の座を捨てることは何ともなかった」と笑う。

相手チームの選手にユニホームを引っ張られながらも倒れない、いわきFCのFW吉沢柊選手。この後、ゴールキーパーをかわして得点を決めた=2021年11月3日、福島県広野町のJヴィレッジスタジアム

 クラブは、市民がトレーナーから健康指導を受けられる取り組みを続けている。いわき市は炭鉱と漁業で栄えてきた歴史がある。その名残か、市民は肉体労働者向けのカロリーの高い食事を好む傾向がある。一方で一人1台が当たり前の自動車社会のため運動量は少なく、生活習慣病の発生率が国内有数だった。専用アプリで記録しながら睡眠や食事、運動を個別指導することで参加者の多くで状態の改善が見られている。子ども向けにも選手が正しい体の使い方を教える体育教室があり、いずれも無料だ。

 大倉代表は「企業と同じでサッカークラブも何を社会にもたらせるかが大事だ」と強調する。今後は20年からホームタウンになった双葉町や大熊町など原発事故による避難を経験した自治体にも取り組みを広げていくという。

 こうした活動に加え、クラブがリーグ昇格を続けていった結果、サポーターは年を追うごとに増加。チームカラーの赤がいわき市内の商店街や駅前で目立つようになっていった。

 市役所の松本さんは「市民は少しずつ復興していく地域と、一つずつ昇格していくクラブを重ねて見ていた」と話す。当初半信半疑だった市民の間で「本当にJクラブができるかもしれない」との機運が高まった。「ある高校生から『クラブができて、いわき市が最近おもしろくなってきた』って聞いた時は一番うれしかった」。松本さんはスポーツで町が一つになっていく様子を感じていた。

 ▽被災地のクラブ

 今年1月30日、福島第1原発の北3キロにある東日本大震災・原子力災害伝承館(双葉町)にいわきFCの選手とスタッフの姿があった。語り部の講話を聞き、展示を見て回った。被災について学ぶのは、クラブがシーズン前に取っている大事な時間だ。

東日本大震災・原子力災害伝承館で職員(手前)から説明を聞くいわきFCの選手ら=1月、福島県双葉町

 大倉代表は「いわきFCは震災がなければ、生まれなかったクラブ。地域の人たちにクラブを一つの光と感じてもらいたい。だからなぜできたのかを全員に理解してもらうため続けている」と語る。新型コロナウイルスの流行前は原発構内まで見学に行っていた。

 プレーの信条である90分間走り抜き、相手に当たり負けせず「倒れないサッカー」にも被災地への思いが秘められている。「いろんな苦労をしてきた被災者に絶対倒れる姿を見せちゃいけないという思いもある」と大倉代表は教えてくれた。

 サポーターにも思いは伝わっている。冒頭で触れた「浜を照らす光であれ」は、サポーターがスタンドに掲げている横断幕の言葉だ。イラストの灯台の光が差す先には「双葉」「大熊」「富岡」など原発被災地の名前が書かれている。

 デザインを考案したのはサポーターでいわき市の自営業、原恵司(はら・けいじ)さん(51)。「クラブができた時、津波や原発事故で暗かった地域に差した光に本当に思えた。だからこれからも灯台みたいに浜通りを照らす存在になってほしいとの願いを込めたんだ」

JFL最終節で、ゴール裏に掲げられた横断幕「浜を照らす光であれ」=2021年12月、福島県いわき市

 今季からJ3で戦ういわきFCだが、既に先を見ている。J1上位に出場権が与えられる海外クラブとの戦い、アジア・チャンピオンズリーグ(ACL)だ。大倉代表は「震災当時、世界の人たちが『プレイ・フォー・ジャパン(日本のために祈ろう)』と言ってくれた。もし浜通りからACLに出たら、『あの被災地のクラブが来た』と注目を浴び、復興した姿を発信できる。それはここでサッカーをやるクラブにとってやるべきことだ」と力を込めた。

 いわきFCのJリーグでの挑戦は震災発生11年の2日後、3月13日に行われるアウェーの鹿児島ユナイテッド戦でキックオフとなる。

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