江戸時代、女性画家はいかにして生まれたのか…片桐仁が足跡を辿る

TOKYO MX(地上波9ch)のアート番組「わたしの芸術劇場」(毎週土曜日 11:30~)。この番組は多摩美術大学卒で芸術家としても活躍する俳優・片桐仁が、美術館を“アートを体験できる劇場”と捉え、独自の視点から作品の楽しみ方を紹介します。12月4日(土)の放送では、「実践女子大学 香雪記念資料館」に伺い、江戸時代後期の女性作家たちの作品を堪能しました。

◆江戸時代、女性画家はいかにして生まれたのか

今回の舞台は、東京都渋谷区の実践女子大学のなかにある香雪記念資料館。ここは1999年の開館以来、女性画家の作品の収集や調査・研究を行っており、定期的に企画展を開催。学内にあるものの誰でも無料で館内を楽しむことができます。ちなみに"香雪”とは、実践女子学園の創設者・下田歌子のペンネームです。

片桐は、そんな香雪記念資料館で開催されていた企画展「清く雅やかな世界を求めて-江戸時代後期の女性画家たち-」へ。江戸時代は儒教的な価値観のもと女性は子を育て、家庭を守るのがよしとされていましたが、なかには絵筆をとった女性たちも。今回はそうした女性画家がいかにして生まれてきたのか探ります。

同館の学芸員、田所泰さんの案内のもと、まず観賞したのは徳山(池)玉瀾の掛け軸「漁楽図」(18世紀後半)。

玉瀾は京都で活躍した絵師で、日本における南画の大成者、池大雅の妻。南画とは中国の文人画に影響を受け、江戸時代中期以降に盛んになった絵画様式ですが、大雅は結婚後、妻の玉瀾に絵を指南します。

片桐は一見し、「女性の絵という感じがしない」とその印象を語る一方で、「旦那さんの見様見真似で描いているけど、ちゃんとした絵心があり、小さい画面のなかにも広がりがある素敵な絵ですね」と称賛。

続いて、「これまた珍しい、1個の掛け軸に絵が2つありますね」と片桐が目を見張っていたのは、谷文晁とその妻・林幹々の作品を合装したもの(谷文晁「江村晩晴図」(1795年)と林(谷)幹々「雪景楊柳図」(18世紀後半))。林幹々も玉瀾同様、夫が著名な画家だったため絵を描くようになったと言われています。

「両方とも奥に山があり、湖があり、手前に岩場があるというのは似ていますね」と片桐は感想を述べつつ、「当時、やはり女性が絵を描くという環境は旦那さんやお父さんなどが絵師などでないと、なかなかそこまでいかないということですよね」と話していましたが、そうした条件があったのは確か。

それは、続く亀井少琹も同じ。彼女は祖父・父ともに儒学者で、幼少時から教養の嗜みとして漢詩や絵を学んでいました。そして、詩人でもあった彼女の「墨菊図」(19世紀)の上部には自作の詩が。当時は女性も漢詩を嗜むようになり、作品に詩を書くことがあったそうです。

◆江戸時代後期には一流男性画家に負けない才媛が続々と

江戸時代も後期になると、男性の名画家たちに負けず劣らずの優れた作品を生み出す才能溢れる女性画家たちが出現。その1人が江馬細香です。

大垣藩の医師を父親に持つ細香は、当初、京都の僧・玉潾に絵を学んだ後、父親の紹介で江戸後期を代表する漢学者であり、歴史・文学・美術などさまざまな分野で活躍した才人、頼山陽に教えを受けます。細香は頼山陽を通して多くの知識人と交流し、そこでさまざまな研鑽を積んでいきました。

そんな細香の「山水図」(1853)を前に、片桐は「やはりエネルギーがありますね」と語り、「そういう人しか絵師になれないですよね。ずっと描いていられるというか、描いていたいという人」と感服。

さらに、「この竹、上手いな~!」と目を丸くしていたのは「四季竹之図」。右から順番に春、秋、夏、冬と描かれていますが、ここにも漢詩が刻まれ、それを読むことで絵の情景が深まる仕組みに。当時は絵だけではなく、漢詩と合わせて表現していく手法が広まっていたとか。なお、江馬細香の"細香”とは本名ではなく字で、そこには「竹の香り」という意味が。細香自身、竹の絵が上手なことで有名でした。

◆全国を回り研鑽を積んだ流浪の女性画家

自立した絵師として活躍した細香と並び称される女性画家がもうひとり。それは細香よりも17歳年下で、同じく大垣藩出身の、張紅蘭。彼女は、江戸後期の著名な漢詩人で、勤王の志士としても知られ、自身のはとこにあたる梁川星巖と結婚。2人は連れ添い、日本各地を廻り研鑽を深めます。

そんな張(梁川)紅蘭の「秋卉舞蝶図」(1834年)は、全体的に暗い画面に秋海棠の花が描かれ、その様はまるで暗闇から花が浮かび上がってくるよう。そして、ところどころ金泥などを使って表現されていますが、右上には賛(書)が。これは、夫の梁川星巖が記したものだそうで、「全国を旅していろいろな植物などを見てスケッチとかしているんだろうなって感じがして面白い。博物画みたいな感じ」と片桐。

一方、「蘭竹昆喜図」(19世紀中頃)には竹が描かれていますが、細香のそれとはだいぶ雰囲気が違います。作品を前に、片桐は「スピード感のある、達人の筆の運びみたいなものを感じます」と話します。

これは張紅蘭と日根対山と頼三樹三郎の3人の合作。左下に描かれたトンボは勤王家で画家でもあった日根対山が、左上の賛(書)は頼山陽の息子の頼三樹三郎が書いているそう。

片桐は「なんで3人で描いたんでしょうね。どうやって合作が始まったのか……」と3人の関係に思いを馳せていましたが、本作はどう見ても張紅蘭が主。それだけに「紅蘭さんが描いていて、『あんたここに虫を描きなさいよ!』とか言ったのか、そう考えると面白い(笑)」と妄想。想像の限りでは、3人は対等の関係だったと言われているとか。

最後は、実践女子大学の創始者である下田歌子の「錦絵写 江戸名所四季の眺 隅田川雪中図」。

これは歌川広重の浮世絵をもとに描かれたもので、よく見ると中央の女性は微妙に着物の模様がアレンジされており、随所に創作的な点が。下田は女子教育家でしたが、明治の女性ということで教養として絵を学習。父親が一時失職した際には下田が絵を描き、その売買で家計を支えていたという逸話も残っています。

日本における女性画家の原点を垣間見た片桐は、「最初は旦那さんやお父さんなどが絵師で、それがきっかけで絵を描くようになり、そこから一流の女性絵師になっていくわけですが、やはりほとばしるエネルギーというか、絵を描く欲みたいなものは、結局、男女関係ないということがわかりました」と感心。そして、「女性たちの素晴らしい作品を見せてくれた香雪記念資料館、素晴らしい!」と称え、情熱に突き動かされ、絵を描き始めた女性たちに拍手を贈っていました。

◆今日のアンコールは、林珮芳の「山水図巻」

実践女子大学香雪記念資料館の展示作品のなかで、今回のストーリーに入らなかったものからどうしても見てもらいたい作品を紹介する「今日のアンコール」。片桐が選んだのは林珮芳の「山水図巻」(1857年)。

伊勢の国の地主の娘として生まれた珮芳の画風に大きく寄与したのは、長崎から伊勢にやってきた僧・鐵翁。当時、長崎は中国と貿易をしており、中国の文化が流入。そのなかの最新の山水画の情報を伊勢にもたらしたのが鐵翁だと言われているとか。鐵翁のおかげで京から離れた伊勢でも本格的な山水画を描くことができていたそうで、そんな珮芳の1枚に「すごいな。上手い!」とただただ唸る片桐でした。

※開館状況は、実践女子大学 香雪記念資料館の公式サイトでご確認ください。

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<番組概要>
番組名:わたしの芸術劇場
放送日時:毎週土曜 11:30~11:55<TOKYO MX1>、毎週日曜 8:00~8:25<TOKYO MX2>
「エムキャス」でも同時配信
出演者:片桐仁
番組Webサイト:https://s.mxtv.jp/variety/geijutsu_gekijou/

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