<明日を見つめて 佐世保中央高からの便り・上> 家族の愛情記憶がない 運命と思い生きるしか

「なんで母親は自分を産んだんだろう」とつぶやく山本=佐世保市内

 家庭環境の影響で学校から離れていく生徒、夢のため勉学と仕事の両立に挑戦する生徒。長崎県佐世保市梅田町の長崎県立佐世保中央高(松尾修校長)には、さまざまな背景や思いを抱えた生徒が多く通う。現実と向き合い、もがきながら一歩一歩前進しようとする彼らの、“今”の声に耳を傾けた。
 「親はケンカしかしてないし、暴力を振るってた父親は小5の時に病気で死にました」。山本和久(17)=仮名=は佐世保市内の喫茶店で、淡々と話し始めた。「母親はずっと水商売の仕事をしていて家に居ない。最悪な家庭環境だけど、生まれた以上これが運命だと思って生きるしかないでしょ」-。
 山本は佐世保で生まれた。幼いころから両親はけんかばかり。隣の部屋から聞こえる罵声に2歳下の妹とおびえることしか、できなかった。父親は気に入らないことがあると物に当たり母親に手をあげる。心が休まる場所は家庭には無かった。
 そんな父親は山本が小学4年の時に脳梗塞で倒れ、母親はホステスとして働き始めた。この頃から山本は学校に足が向かなくなった。朝、家を出るものの、学校へは行かず、友達とゲームセンターなどで時間をつぶすようになる。
 母親は午後5時に出勤して朝まで帰って来ない。山本が家を出る時間に母親は寝ているか、起きていても酔っぱらっていて、話ができない状態だった。ほとんど母親と顔を合わせない生活。翌年、父親が亡くなった。「家族から愛情を注いでもらった記憶がない」。山本は目を伏せてつぶやく。経済的にも困窮した。「冷蔵庫に何も入ってない時もあった。あの頃何を食べていたんだろう」と首をかしげた。
 ◆
 山本は中学に入っても学校に気持ちが向くことはなかったが、「高校で仕切り直そう」と、佐世保中央高夜間部の門をたたく。入学当初は勉強も学校生活も頑張った。しかし、次第に学校生活になじめなくなり2年になる前に自主退学。その後、同校の通信制に入学し直したが、現在は通学していない。
 1年ほど前から、母親は地元のスーパーで働くようになったが、顔を合わせないよう山本は深夜に帰宅した。「子どもを産むことは自己満。だったらせめて子どもを育てられる環境を整えてから産んでほしかった」と心情を吐露する。こう話すものの、アルバイト料の半分は母親に渡している。
 ◆
 初めて山本に話を聞いたのは昨年6月だった。当時彼は大きな黒いリュックサックを背負っていた。何が入っているのか尋ねると、「歯ブラシ、タオル、ビニール袋…」と一つ一つ取り出しながら教えてくれた。いつ家に帰ることができなくなっても、いいように中学1年の頃から生活用品の全てを入れて持ち歩いているという。
 あれから約半年、山本はあのリュックサックを背負わなくなっていた。「経済基盤ができたから、必要な物は買えば良くなった。やっぱり身軽が楽」と屈託なく笑う。
 家族から離れたいからと、現在は他県で友人と共同生活をしてアルバイトに励み留学資金をためている。「中央高に入学したからアルバイトもできたし夢や仲間を見つけられた。これからもっと広い世界を知って視野を広げたい」と未来を見つめる。
 「家族で一緒にテレビを見たり、安心して暖かい布団で寝たり、地域の行事に参加したり。そんな、ささやかな幸せにずっと憧れていた。だからそんな幸せを築いていけるような大人になりたい」。“身軽になった”彼は最後にそんな言葉を残した。=敬称略=

■学校紹介
 長崎県立佐世保北、南高などにあった佐世保地区の定時制・通信制を統合し、1977年に佐世保市万徳町に開校。97年に梅田町に移転した。昼間部(94人)、夜間部(134人)、通信制(511人)の3課程がある。夜間部はさらに夜間コース(38人)と、2018年に開設されたエンカレッジコース(96人)に分かれている。エンカレッジコースは県内唯一の午後2時半から授業が始まるコース。夜間コースは午後5時35分から授業が始まる。
 いずれの課程も1年時に退学する生徒が多く、学校としても対応を重視。スクールカウンセラーとスクールソーシャルワーカーがそれぞれ週に数回勤務して継続的なケアを提供している。=各部・コースの生徒数は1月末現在


© 株式会社長崎新聞社