<明日を見つめて 佐世保中央高からの便り・中> 日本は第二の祖国 多様性のはざま生きる

「中央高の友達とは今でも仲が良い」と話すサントス=佐世保市内

 東南アジア生まれのニコール・サントス(16)=仮名=は流ちょうな日本語で記者の質問に答える。「小学生の時に日本に来たから母国語はそんなに得意じゃない。でも母親は日本語が得意じゃないから母国語で話すしかなくて、うまく意思疎通ができない」-。言語だけでなく家庭環境など多様性のはざまに生きる彼女は、現在岐路に立たされている。
 サントスには、それぞれ父親が異なる妹と弟がいる。物心ついた頃には父母はおらず、母方の伯母たちと暮らした。日本にいる祖母を頼りに母親が渡日したため、一緒に暮らしたいとサントスも日本へ来た。9歳のときだった。
 言葉もわからぬ異国の地だったが、初めて母親と暮らす喜びを感じた。しかしそれもつかの間。自分とは向き合ってくれず、男性の影が消えない母親への悲しみは怒りに変わっていった。中学生になると母親との衝突が絶えなくなり家出をするように。1年生の後半には地域の児童養護施設に入所する状況になった。
 母親と物理的な距離を置いて少し心が落ち着いた。しかし今度は学校で陰口を言われるようになる。同性の先輩と付き合っていたことが周囲にばれたからだ。学校には行かず、部屋に閉じこもるようになった。
 この間、サントスは2回母親に手紙を書いた。話すことでは伝えることができない気持ち-。小さいころ母親がいなくて寂しかったこと、自分のセクシャリティーのこと、悪態をついたことの謝罪など、心を込めてつづった。しかし、母親からの返事は一度も無かった。「もういいや」。かすかに残っていた母親への期待は消えた。
 長崎県立佐世保中央高は施設職員から勧められ、夜間部に入学。高校生になると施設を出て、母親と暮らすようになったが、母親からは「なんで帰ってきたの」と言われた。それでも「一からやり直そう」と奮起し、アルバイトをしながら部活動にも励む、“普通”の高校生活を送り、楽しんだ。
 数年に一度のペースで引っ越しを繰り返すサントス。落ち着かない心を抱えながら、いつも自分の居場所を探している。昨年秋ごろに新しく出会った友達と夜遊びをするようになった。「今までで一番楽しかった」。初めて理解しあえる友達ができて、嫌なことも忘れることができた。しかし、夜遊びが続いた彼女は結局、自主退学をすることになった。
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 「アイデンティティーは母国にあるけど、日本は第二の祖国」とサントス。取材当初は早く母国に帰りたいと話していたが、半年たった今は日本に残ることも考え始めたという。
 現在彼女は他県に暮らす祖母のもとで、今春の全日制高校入学を待っている。「今度はちゃんと卒業したい」。心細そうな声で、そう話した。=敬称略=


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