日本で初めての鉄道が1872年(明治5)年、新橋─横浜間に開業してから今年で150年を迎えた。全国に広がっていく鉄道網と船の交通網をつなげたのが、明治期に横浜港周辺に整備された貨物線「臨港線」だった。貨物輸送の主役が鉄道から自動車に変わるとともに廃線となったが、線路跡に残る遊歩道「汽車道」を歩くと、機関車が活躍したかつての光景を思い起こすことができる。
臨港線は1911(明治44)年、初代横浜駅(桜木町駅隣接の東横浜貨物駅)から、造成されたばかりの新港ふ頭の横浜港(みなと)駅(横浜港荷扱い所)まで開通した。多くの貨物を運ぶだけではなく、北米を結ぶ貨客船が接岸すると、東京駅から客船に連絡する列車「ボートトレイン」が乗船客や見送りの人たちを乗せて往復した。
現在赤レンガ倉庫のそばには、ボートトレインが停車した横浜港駅のプラットホーム跡が保存されており、今も休憩所として多くの人に親しまれている。
JR桜木町駅周辺から複合商業施設「横浜ワールドポーターズ」間に整備されている汽車道も、かつては臨港線が走っていた。
京浜工業地帯の発展とともに、臨港線の貨物列車網は拡充されていった。53年から山下ふ頭の埋め立てが始まると、新港ふ頭との間をつなぐ線路の整備が進められ、65年には山下公園内を高架でつなぐ路線が開通した。
だが、時代の移り変わりとともに、鉄道貨物の需要は減少。国鉄の分割民営化に先立ち、臨港線は86年に廃線となった。
横浜都市発展記念館主任調査研究員の岡田直さんは「高速道路をはじめとする幹線道路網が日本中に整備され、輸送の中心が鉄道から車による輸送に変わっていったことが廃線の背景にある」と振り返る。
近代日本の発展に寄与した路線は姿を消したが、横浜・みなとみらい21(MM21)地区や山下公園には鉄橋や古い石組みが残り、鉄道が行き交った時代の面影を残している。