6歳娘「私を売って薬を買って」、夫を爆弾で亡くした貧困28歳女性のおなかには5人目 タリバン支配下で今、起きていること―安井浩美のアフガニスタン便り(2)

タヒラさん一家が住む借家には玄関ドアがなく、ビニールで寒さ対策をしている

 復権したイスラム主義組織タリバンが政権を掌握するアフガニスタンで、長い戦乱のひずみが貧しい女性や子供たちを苦しませている。首都カブール西部にあるダシュテ・バルチ地区。差別を受けがちな少数派民族のハザラ人が多く暮らす。人口約150万人の地区の約6割が1日2㌦(230円)以下で暮らす貧困層だと言われている。昨年8月の首都陥落数日前、国軍兵士だった夫をタリバンが仕掛けた路肩爆弾で亡くし、4人の子供たちと暮らす一人の女性を訪ね、話を聞いた。そこには日本からは想像を絶するつらい暮らしがあった。(共同通信=安井浩美)
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 ▽父が他界、貧しい幼少期

 舗装道路から脇に入った未舗装のぬかるんだ道を300㍍歩く。突き当たりに泥土でできた2棟の平屋。片方に家主が暮らし、もう1棟にタヒラ・メヘラン(28)一家が別の家族と一緒に住んでいた。共同の台所として使う土間を挟んで両側に部屋があり、8畳ほどの部屋にタヒラら5人が暮らす。中に入ると、支援でもらった石炭ストーブとテレビの他にはペタンコの長座布団と、高く山積みされた布団しかない。

 アフガン中部バーミヤン州のワラス地区に生まれたタヒラ。寒村で農業以外に産業もなく、隣国イランへ出稼ぎに出る人が多い。タヒラの父親も例外ではなかったが、父はイランで作業中に感電死してしまった。8歳だったタヒラは、その時のことをよく覚えていない。子供たちが春から秋まで家畜を山へ放牧に行く仕事で家計を支えた。男兄弟はおらず、タヒラも5歳上の姉も小学校を4年生でやめざるを得なかった。

 19歳になったタヒラのもとに出稼ぎでイランから戻ったばかりの当時27歳のイブラヒムがプロポーズにやってきた。親戚ではないが同じ地区の青年で8歳年上。当時のタヒラには、結婚の意味がよく分からなかった。その日は、目の前に座るイブラヒムと会話をすることもなく、次の日の朝を迎えた。朝食を済ませイブラヒムは、タヒラに何も言わずに帰っていった。婚前交渉がないのが当たり前のイスラム圏の田舎ではよくあることだ。

 イブラヒムと話した姉に「彼のことどう思う?」と聞かれ「すごくいい人そう。麻薬中毒者でもないし」と答えた。タヒラの近辺には夫が麻薬中毒者で大変な思いをしている女性が多い。姉は続けて「自宅にいても食べていけない」とし、タヒラも「ちゃんと食べさせてもらえそう」と応え、婚約は成立した。地方の貧困家庭では口減らしのために若い女性を嫁に出すのは、特別なことではなかった。

 1か月後に結婚式を挙げ、翌年には夫婦でカブールに移住した。長女ザラが誕生し、長男アミール、次女マクノースも誕生。貧しい暮らしだったが、夫は日雇いで働きながら平穏に暮らしていた。

 ▽国軍入隊と不幸の始まり

 2018年に次男アリが誕生し、夫は友人の誘いで国軍に入隊した。20年春にカブールから東部ガズニ州に転勤となり、家族で移り住んだ。転勤直後から各地での戦闘が激しくなった。昨年8月15日の首都陥落より2週間前、タヒラの住んでいる村にもタリバンが戦闘を仕掛けるようになり、家族は急いでカブールへと避難したが、夫は再びガズニへと任務に戻った。その1週間後、ガズニもタリバンに陥落。その夜、電話で夫から「明朝、陸路でカブールに向かう」と聞いた。これが、タヒラがイブラヒムと話した最後の会話だった。翌朝、いくら電話しても夫に連絡がつかない。心配で夫の同僚の家族に連絡すると、夫の乗った車両がタリバンの仕掛けた地雷に触れ爆発したといわれた。

 慌ててけが人が運ばれた軍病院に行くが夫の姿は見つからない。夫の名前を病院関係者に伝えると「殉職です」といわれ頭の中が真っ白になった。自宅近くのモスクに遺体があるといわれ、モスクに向かった。モスクに到着すると、既にほかにも4体遺体が安置されていた。タヒラには50㌢四方の木箱が渡された。開けてみると綿花にくるまれた夫の頭部が納められていた。爆発で遺体は頭部しか残っていなかった。

 

緑色の瞳が少しだけ開いたまま眠ったような表情だった。タヒラは手でそっとなでて瞳を閉じた。安心して天国へ行けるようにと。その後タヒラは気を失い、気づいた時には。夫は埋葬人によって墓に埋葬されていた。

 ▽仕事なく、娘を売るしかない

 母親を1年前に新型コロナウイルスで亡くし、夫以外に頼れる人のいないタヒラは絶望の淵に立たされた。4人の子供をどうやって食べさせようか。仕事を探すが、男性でさえも職がないこのご時世に見つかるわけがない。もう、食べるものもなくどうすることもできなくなり、腎臓を売ろうと考えた。故郷に暮らす姉に相談したが、腎臓摘出に失敗して命を失ったら4人の子供が孤児になってしまうといわれ、思いとどまった。それでも何とかしなくてはと次女のマクノーズ(6)を売ろうと思った。それでほかの3人の子供が救われるならと。しかしタヒラには愛娘を売ることはできなかった。

支援を受ける前のタヒラさん一家。左から次女マクノーズ、タヒラ、次男アリ、長男アミール、長女ザラ。お金がなく、日々の食べ物にも困る生活だ

 夫の喪が明ける40日目に初めて墓参りに行った。それまでは、行く気持ちにもなれなかった。墓参りを済ませ、自分の中で何かが吹っ切れた。夫が亡くなって半年がたった。思い出の品は、結婚式の写真も夫と写った家族写真も何もない。夫の遺品は、軍服と迷彩柄のブランケットだけだ。

 

夫の軍服をまえに夫のことを思い出し急に涙ぐむタヒラさんと父親の形見の帽子をかぶったアリ君

軍服を見て夫を思い出したのか急にタヒラは、涙を流した。夫のことが大好きで結婚したわけではなかったが、子供たちの面倒を見てくれるとても子煩悩な良い夫だったと今更のように思う。しかし、小麦色の肌で鼻筋が通り緑色の目をした夫の顔は、よく思い出せないでいる。

 涙ぐむタヒラの横で、次男のアリ(3)は夫の迷彩柄のキャップをかぶり笑顔を見せる。小さすぎて父親のことを覚えていない。長女のザラ(8)や長男アミール(7)は、父親の影響か将来は、空軍のパイロットになりたいという。次女のマクノース(6)は、タヒラが売ろうとしたことを気づいているが意味は分かっておらず、ことあるごとに「私を売ってお母さんのお薬を買って病気を直して」と言う。子供たちのけなげさに涙が出た。

 ▽臨月迎え家賃滞納

 月1500アフガニ(約1800円)の家賃を滞納しながら、支援物資や支援金でなんとか生活している。タヒラは自身が学校に行けなかった分、子供たちには教育を受けさせたいと願っている。しかし、今の経済状況では、将来は不安以外の何物でもない。タヒラのおなかには、臨月を迎えた5人目の赤ちゃんが宿っている。子供好きの夫も生きていればどんなに喜んだことか。無事赤ちゃんが生まれてくるように祈るばかりだ。

 

 朝7時から夕方5時ごろまで路上に座り込んで物乞いをするブルカ姿の女性

タヒラの話は、決して特別な話ではない。アフガニスタンでは、タヒラのような悲惨な話はまだまだたくさんある。原因はタリバンの復権を招いたガニ政権の怠慢だ。ガニ元大統領はタリバンの復活に手をこまねいて、揚げ句の果てに国外へ逃亡してしまった。

 昨年までの国軍兵士の死者は3万3千人に上る。ガニ政権時までは、殉職者は申請すれば恩給が支払われていたが、現在のタリバン暫定政権では国軍や警察はタリバンの敵とみなされ、支払いの対象とならないという話も聞く。再婚すると連れ子を嫌がる慣習があり、子供たちを母方の両親に預けるのが通例。そのため、夫を亡くした多くの女性らが再婚を希望せず、子供たちを何とか自力で育てようと努力する。

寒い雪の日でも家計を助けるために靴磨きをするカブールの子どもたち

 タリバンの復権で女性たちの職が奪われたために、さらなる苦労が女性の家計を行き詰まらせることになった。子供たちは物売りや靴磨き、車の整備や洗車などの仕事に就き一家を支える。コロナの世界的流行からタリバンの復権にかけ、カブールでも働く子供の姿と一緒に物乞いをする女性も多く見かけるようになった。夕食前のナンを売るパン屋の前には、パンを買いに来た客のおこぼれにあやかろうと多くの女性が座り込んでいる姿も見かける。

家計を助けるため母親の作ったサンドイッチを売る少年

 多民族国家のアフガニスタンで多数派のパシュトゥン族を優先させようとタリバンへ権力を引き渡すべく国を捨て逃亡したガニ氏らがとった傲慢な政策がタリバンの復権を促し、国民を今までに見たことないくらい悲惨な状況に追いやったその罪は、大きく計り知れない。ガニ氏らは、どのように国民に代償を払うのだろうか。

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