「愛馬進軍歌」作曲、新城正一さんの作品探しています 文献以外の5曲確認 那覇出身の上原さん

 那覇市出身の上原紀江さん(75)=神奈川県川崎市=は、軍歌「愛馬進軍歌」の作曲で知られ35歳で病死した、恩納村出身の作曲家・新城正一さんが手掛けた作品を2015年から探している。新城さんが教べんを執っていた福岡県内の中学校の教え子からの情報や同窓会誌などを頼りに、福岡や沖縄県内の学校などに問い合わせ、新城さんを紹介する文献に明記されている曲以外に5曲あることを確認したという。上原さんは「新城さんは軍歌だけでなく、素晴らしい多くの校歌も作曲していた。そのことを県民にも知ってほしい」と話した。

 新城さんは1908年生まれの恩納村名嘉真出身。県師範学校在学中からバイオリン演奏や作曲をし、宮良長包氏の師事を受ける。武蔵野音楽学校(現武蔵野音楽大学)卒業後は、福岡県の小倉中学校(現・県立小倉高校)などで音楽教師として勤務。1938年に陸軍省が作曲募集した「愛馬進軍歌」(作詞・久保井信人)に応募。1位当選となり、コロムビアビクターなどから6社から発売された。

 上原さんが新城さんについて調べるようになったのは、音楽教諭だった兄の知花洋介さんが持っていたレコードに収録されていた八重山農林高校の校歌を聞いたのがきっかけ。洋介さんが「一番良い曲」と評価する同校歌を作曲した新城さんに関心を持ちようになった。以後、上原さんは、新城さんとゆかりがある人たちをたどるようになった。新城さんの教え子である東京芸術大学名誉教授で声楽家の故畑中良輔さんや合唱指揮者の故村谷達也さんが残した記録には、芸術家として華麗に活躍する新城さんの姿が描かれていた。

 上原さんによると、文献に明記されていたのは軍歌「愛馬進軍歌」のほか、恩納村歌、多良間小や恩納小の校歌の4曲。上原さんが情報収集し作曲を確認した曲は軍歌「戦車第一連隊の歌」のほか、八重山農林高校、天願小、福津市立上西郷小(福岡県)、山口県立下関工業高校の校歌だったという。

 上原さんは「新城先生が長生きしていたら、大作曲家になっていた。生前の先生のことをもっと知らせたい」と語った。

(山川夏子首都圏通信員)

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