東日本大震災をきっかけに東京から新潟県十日町市に移住し起業した、妻有(つまり)ビール株式会社(新潟県十日町市)の髙木千歩代表

同社のクラフトビール

妻有(つまり)ビール株式会社(新潟県十日町市)の髙木千歩代表は、親の転勤で全国を転々とし高校からは東京都に住んでいた。しかし生まれは母親の出身地である新潟県十日町市で、「自分のルーツのある場所」(髙木代表)である十日町市に2011年、地域おこし協力隊員として赴任した。

東日本大震災で東京で帰宅難民に

それまで、東京の私大を卒業し、東京のアウトソーシング会社でプロジェクトマネージャーとして働いていたが、東日本大震災のあった2011年3月11日、東京のオフィスで地震に遭遇し、帰宅難民になった。何とか深夜に帰宅することができたが、翌日に長野県北部地震があり、新潟県十日町地域も被害があった。十日町市に親戚がいたため連絡を取ろうとしたが、電話はパンクして繋がらず、新幹線も高速道路も不通ですぐに様子を見に行くことができなかった。

「普段なら十日町は新幹線などで2時間ほどの距離なので、それほど遠いとは思っていなかったが、いざ電車が止まったりすると、全然行けないということに改めて気が付いた。また、東京ではトイレットペーパーやレトルトカレーなどの買い占めなどが起り、相当なパニックになっていた。東京は物流が動いている前提で成り立っている場所で、ひと度道路が寸断されれば、お金を持っていても食べ物が買えないということが起りえると怖くなった。都会は危ういなと思った」と髙木さんは回想する。

一方で、「十日町の生活は自然にあるものをうまく利活用して、田んぼや畑をしながら生活している人が多い。東京との比較で、十日町は生きていく力がものすごく強いと改めて思い、価値に気づいた。あらためて十日町はすごいところなんだと私にとって衝撃だった」と話す。

追い打ちをかけるように、東日本大震災と同じ3月に、父親が急病で他界した。父親の墓を実家の十日町市に建てるということになり、「いつも変わらず自分を迎えてくれる好きな場所だった」(髙木代表)という十日町市への移住を決断した。

妻有ビール株式会社の髙木千歩代表

地域おこし協力隊での仕事は、地元の農家が育てた野菜を直売所で販売するなどして、地産地消を推進する取り組みを手伝っていた。任期が終わった後のことを考えながら、地域おこし協力隊の仕事をやっていたが、終了後には十日町市内で地産地消の料理を出すレストランを4人共同で運営した。そこで、髙木代表が大好きだった国産のクラフトビールを提供することになった。

レストランには徐々に観光客が多くなり、「十日町のクラフトビールはないのか」という質問が一気に増えた。そこで、クラフトビールについて調べ始めたのが妻有ビール起業のきっかけだったといいう。

髙木代表は「10年前の会社員のころを考えると、今、ビールを作っているのは不思議だなと思う。レストランでのお客さんの声がなければやっていなかった。私はスノーボードが大好きなので、雪は全然気にならなった。東京の生活より断然良かった」と笑う。

客の質問からビール会社起業へ

2017年に妻有ビールを立ち上げたが、東京の会社員時代の元上司たちがほとんどの資金を出してくれたという。しかし、自己負担分が足りなかったため、十日町市役所に補助金について相談をしに行ったのだが、そこでビジネスコンテストの存在を知り、応募した結果、最優秀賞の次の優秀賞を受賞。見事、賞金100万円を獲得した。

楽観的と言うべきか、髙木代表は最優秀賞の賞金300万円を資金計画に織り込んでいたため、開業資金の200万円が足りなくなった。髙木代表はどうしようかと打ちひしがれていたところ、ビジネスコンテストのプレゼンテーションを見ていた地元地方銀行の融資担当者から電話があり、何とか融資が決まったという。また、クラウドファンディングも実施し、200万円ほどを調達できた。

開業資金は何とか調達できたが、次ぎの難関は免許の申請だった。申請が下りるまでに9回書類をやり取りし、6か月間かかったという。

また、現在、同工場での生産能力は年間1万8,000リットルだが、適切なタイミングで工場を増設や移転などし、正式なビール免許が取得できる年間6万リットルを目指す。現在は旧発泡酒免許で醸造しているが、法律が変わり、ビールも製造できるようになった。だが、ビール免許が取得できると、作られるビールの幅が一層広がることになるという。

「最初からビールを作りたいと十日町に来たのであればかっこいいのだが」と笑う髙木代表だが、様々な人たちの協力を得て事業を軌道に乗せた。

今後は自家製十日町産のホップを使用したクラフトビールを本格展開するなど、十日町市松代地区で奮闘する女性起業家の髙木代表にエールを送りたい。

ビール工場の様子

新潟県十日町市松代地区にある本社

(文・梅川康輝)

© にいがた経済新聞