<心新たに 2022年春・6>重量挙げ 酒井順一郎(諫早農高→九州国際大) 県勢2人目の2冠王 空白の3カ月間越えて

休部した3カ月間が「ターニングポイントになった」と語る酒井=諫早市、諫早農高専用練習場

 自身初の全国舞台だった昨年3月の全国高校選抜大会でいきなり優勝。続く8月のインターハイも頂点に立った。県勢史上2人目となる春夏2冠。そんな偉業を達成しながら、酒井順一郎は「重量挙げは個人種目ではなく団体種目」と言葉に力を込める。
 「試合の時、周囲の声掛けや励ましがあるのとないのでは全然違う。普段も仲間がサポートしてくれるからこそ、いい練習ができる。1人では絶対にここまで来られなかった」  そう思えるようになったのは高校2年の秋。一度は退部すら考えた経験が今に生きている。
 国体8位の実力者だった父、勝則さんの影響で重量挙げを始めたが、1年のころから上半身のけがが相次ぎ、2年の7月には肋骨(ろっこつ)を疲労骨折。ちょうどそのころ、他部員との人間関係にも悩み、部活にまったく顔を出せなくなってしまった。
 「気持ちがぷっつり切れてしまった。3カ月間、練習場から足が遠のいた」
 手を差し伸べてくれたのは山口直幸監督。部のOBで、その年に正式採用されたばかりの新任教諭だった。ある日「練習場に弁当を持って来い。一緒にめし食うぞ」と呼び出された。久しぶりに練習場に入ると、突然、ものすごいけんまくで叱られた。
 でも、それだけでは終わらない。2度、3度と昼食を共にしながら、少しずつコミュニケーションの時間を増やし、部に戻ってきやすい雰囲気をつくってくれた。部員たちも、以前と変わらず受け入れてくれた。
 もともと足腰が強くポテンシャルは高い。復帰から間もなく行われた九州大会で優勝すると、どん底からはい上がったメンタリティーを新たな武器に、一気に飛躍した。インターハイ前に故障しても動じず、追われる立場の重圧に打ち勝ち、接戦をことごとく制した。秋の三重国体はコロナ禍で中止となったが、開催されていれば「3冠」に限りなく近づいていたはずだ。

インターハイを制し、春夏2冠を達成した酒井=福井県小浜市民体育館

 卒業後に進む九州国際大は、諫早農のOBやOGが複数いる強豪チーム。苦楽を知る仲間たちと引き続き同じ環境でやれるのは心強い限りだ。まずは「1年から全日本インカレ出場」を目標に、鍛錬に励む。


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