<心新たに 2022年春・7>ソフトボール 山本愛闘(大村工高→岐阜聖徳学園大) 二枚看板で夏制覇 春の悔しさ忘れず成長

「大学でも日本一に」と次のステージでの飛躍を誓う山本=大村市、大村工高グラウンド

 昨夏のインターハイ決勝、新見(岡山)戦。先発した背番号「1」のサウスポー山本愛闘は、最終回途中まで無得点に抑え、最後を一緒にチームを引っ張ってきた村本直輝に託した。その信頼し合ってきた右腕は打者2人を連続三振に仕留めてゲームセット。「春の選抜で負けた悔しさを胸にプレーし続けてきた」。優勝が決まると、涙が止まらなくなった。
 その年の春、全国選抜大会。村本との左右二枚看板を擁して優勝候補に挙げられていながら、準々決勝で敗れた。2012年以来、県勢が続けてきた連勝記録も「44」でストップ。「先輩たちから引き継げなかった伝統の部分ではなく、単に練習と実力不足だった」
 この悔しさがバネになった。以降、選手全員の目の色が変わった。自主的な走り込みや練習中の積極的な声掛け。「夏に向けて雰囲気も良くなっていった」。やれることを全力でやり切る日々が続いた。
 山本と村本も体力や状況判断力養成に懸命になった。入学当初、山本の球速は100キロほどだったが、最後の夏を前に118キロまで上がった。山口義男総監督は両エースをこう評する。「いいライバル関係にあり、チームの目標に向かって高め合ってくれた」

村本と一緒にチームをインターハイ優勝に導いた山本=福井県敦賀市きらめきスタジアム

 山本が初めて全国の舞台に立ったのは神代小時代。勝って仲間と喜びを分かち合えるうれしさと「自分が勝たせないといけない」というエースの責任感を知った。そして、この経験が次のステージへの思いを募らせた。「もっと上を目指してみたい」。国見中卒業後の進路を全国トップレベルの大村工に決めた。
 高校入学当初はグラウンドを離れても研究熱心な先輩たちの姿勢に驚かされた。中学時代から実績のあった村本には一から変化球の投げ方を教わった。「選手としても人間的にも成長できた」。今、自信を持って「本当に充実していた」と言えるほどの3年間だった。
 春からは捕手の淀川瑛澄と一緒に岐阜聖徳学園大でプレーを続ける。全日本大学選手権の最高成績は16強ながら、このところ強化を進めている新鋭チームで、高校日本一バッテリーへの期待は大きい。「1年生から試合を任される選手になりたい」。目指すはチーム初の大学日本一。そのために、また、成長していく。


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